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明治時代初期の警察官になるにはどうすればよかったのでしょうか?

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ID非公開さん

2017/10/1409:26:29

明治時代初期の警察官になるにはどうすればよかったのでしょうか?

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りえさん

2017/10/1414:51:24

明治初年の江戸(東京)および地方の治安は府藩兵によって維持されていましたが、東京府では幕府の町奉行所の与力と同心を捕亡方として採用しましたが、明治四年(1871)七月に司法省が設けられると共に捕亡方は廃止され、十月にはこれに代わるものとして邏卒(後の巡査)3000人を東京に常置するよう太政官から布達されました。この制度は参議になった西郷隆盛が行政改革にあたって立案したもので、東京府典事の川路利良(後、警視庁大警視)が邏卒募集に着手し、鹿児島から下級士族と卒ぞ2000人、各府県から1000人を採用しました。邏卒とは最初は特定の官名ではく、巡邏する兵卒と言う意味で、外来語のポリスを改めたものです。しかし、地方ではまだ依然として捕亡吏と言う名称が使われていました。府県官制が発布された頃、邏卒と捕亡吏は正式官名となり、職を得なかった士族や卒族は競って邏卒と捕亡吏に応募しましたが、邏卒は明治六年に巡査と改称され、続いて番人と改められましたが、名称が気に入られず辞職者が続出するので、再び巡査と改められました。明治七年(1874)警視庁発足後、警部以上はすべて士族によって占められ、巡査は卒族上がりの者ばかりでした。

明治初年、平民は警察官採用に応募はできなかったので、邏卒はしばしば平民に高圧的態度に出て嫌われ、国民皆兵となって平民が軍隊に入隊するようになると、卒族出身の巡査(邏卒)の兵卒蔑視の念が強く、警察官と兵隊は頻繁に衝突事件を起こしています。

  • りえさん

    2017/10/1422:18:14

    明治初年の警察官採用は士族と卒族(旧足軽階級)出身者に限定されていて、平民は応募不可でした。

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