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足利義昭はたんなる世間知らずのお坊っちゃま?

isl********さん

2017/10/2507:17:31

足利義昭はたんなる世間知らずのお坊っちゃま?

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oia********さん

2017/10/2521:49:34

足利義昭は相当過酷な現実を突きつけられた人物です。

まず、将軍の権力を再興しようとした兄義輝は、三好三人衆らに暗殺されてしまいます。義昭もこの時三好三人衆らに捕らえられ、その監視下に置かれてしまいました。

義昭は細川藤孝などの助けでこの監視から脱出する事には成功し、その後各地の大名に助力を要請します。ところが、この要請に応えてくれる大名は中々現れませんでした。それどころか、当初味方だった六角氏は三好側に寝返るなど情勢は不利で、義昭は各地を流浪する羽目になりました。
織田信長の力によって京へ復帰するのは、兄が殺されてから3年後の1568年9月の事でした。
その後も情勢が安定したわけではありません。1569年1月には三好勢らが義昭の御所を襲い、義昭は危うく殺されてしまうところだったと言えます。

このように義昭は兄が実際に殺され、自身も命の危険にさらされるなど、将軍となっても殺される事があるという現実を身をもって知っていたと言えます。
そして、自分が如何に要請しても、諸国の大名らは中々応えてくれないという厳しい事実を突き付けられてもいました。

これらの経験を経ていた義昭の事を、少なくとも世間知らずと評価する事は出来ないでしょう。
僧侶として寺にいたころはともかく、兄が殺された後は、むしろ世間の荒波に揉まれていたと評価すべきです。

足利将軍家という高貴な出自であったのは事実ですから「お坊ちゃま」ではあったかもしれませんが、世間知らずではありません。

ちなみに、義昭は実権を握ろうとした兄が殺され、自分も殺されかけたにもかかわらず、それでも自らが実権を握ろうとすることを中々諦めませんでした。そして、信長とも対立を深めてゆきます。
これを見る限り、義昭は相当強い権力欲を持っていた人物だったと思われます。
この点でも「世間知らずのお坊っちゃま」とは相当異なる性向の人物だったと言えるでしょう。

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gen********さん

2017/10/2519:22:43

源氏の流れをくむ足利家は名門です。既に有名無実の足利将軍家の再興を夢見るあたりが世間知らずのボンボンでした。実兄13代足利義輝さんが
家臣の謀叛で殺害されたことなど、忘れたのかな?笑

yuk********さん

2017/10/2508:09:38

現代なら
バレーかバスケ

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qqm********さん

2017/10/2507:56:43

そういう風に、お寺で育てられてきたのですよ。
理想は、足利義満と教えられてきたのです。

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