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天皇陛下が和服を着れないのは何故ですか?

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ID非公開さん

2017/10/2815:59:40

天皇陛下が和服を着れないのは何故ですか?

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ID非公開さん

2017/10/2820:18:05

現在の和服、特に男性のそれは「武家」の装束の系譜だからです。
天皇家、宮家等は広く言えば「公家」文化の伝統を持ちます。基本、公家文化の中で、武家の装いは軽々しい、或いは、荒々しいものという認識でした。

和服で、とりわけ格式ある場に出る為の礼装では、紋が重要になる訳ですが、衣服に家紋を施す文化は公家社会にありませんでした。家紋は(人ではなく)物につけるものです。
公家の礼装はそれ自体で位階が判ったり、色、文様や帯の細部の形状、紐の撚り方や結び方で家等も示します。
従って、着物の形状より、紋を付けることが違和感のある行為です。
紋不要の普段着なら兎も角、儀礼の場にお召しになれる天皇陛下の和服というものは存在しないのです。必要とあらば、直衣をお召しになるしかないでしょう。

そのようなわけで、天皇家本来の系譜にない和服は公ではお召しになりません。比較的、私的に近くても人前に出る場面では避けられます。
只、あくまでも天皇陛下、皇太子殿下としてのお立場を考えてのことですから、実際には今の和装をなさることはあり、実際、今上陛下のお若い頃の和服写真はあります。

明治の服制を整えるに当たり、早い話が公家と武家が折り合うことは難しいことでした。
たかが服制ではなく、非常に政治的な実の部分も絡んでいます。

慶応3年12月9日に新政府が発足しますが、新年朝拝に服制制定が間に合わず、取り敢えず公家の慣習に基づき、衣冠束帯での参内が命じられます。
しかし、武家から参与に抜擢された諸藩士は衣冠や位階を持っていません。昇殿どころか公式儀礼の場に参加することも難しく、14日に仁和寺宮が参与の藩士に位階を授与するよう提案し、公家は「上ノ参与」なのに対し、彼等は「下ノ参与」に分けられました。
そこから、御所内で議事を行う場所は小御所でしたが、ここに「下ノ参与」が出席する場合は公家から呼び出された時に限られる、という状況になります。
参与であった大久保利通は、天皇が閉鎖的な宮中の奥にあり、諸藩士と隔絶していたのでは親政の実事が挙がらないと判断し、宮中改革を図ります。

要するに、緊急に新年の参内の服装を定めようとしただけでも、公家と武家の間に上下が生じ、結果として維新の立役者達が政治を行うのに不都合もあったという訳です。
たかが服制されど服制…といった感じでしょうか。

混乱した時期ですから、武士は戦闘態勢の装いをしていたり、非常に乱れた状態でもありました。
その彼等が着ているのは「戎服」と呼ばれるようなものであったりするのですが、これは公家にとっては野蛮な外国人の着るものだったそうです。ですから、御所周辺をそのような服装で乱されている、という感覚もあったとか。
錯雑とした服装の為、堂上・地下・諸侯・藩士・農工商民の秩序が外見からつかなくなり、上下区別を判断出来る服制が必要になります。
しかし、それをしようとすると非常に揉めるくらい立場により意識の相違は大きかったのです。武家には衣冠や狩衣の文化はなく、公家には裃や羽織袴の文化はありませんので。

同じ日本人という言葉が通用しない状況から明治の服制は始まっていて、様々な事情があり、洋服という妥結点に至ります。
ですが、当初は洋服は想定されておらず、その間、公家は羽織袴姿の参内に憤慨したり、武家は武家で帯刀に拘り散髪に抵抗します。

ですから、天皇陛下たるもの安易な服装をすることは出来なかった背景があるのです。
因みに、これは皇后や妃といった女性達も同様です。女性にも遅れてですが服制が定められましたので、それを尊重して来られました。
ですから、戦後、当時の和子内親王の婚礼の際、昭和天皇はモーニングで出席されたのですが、香淳皇后は宮中服をお召しです。

時代が下るにつれて簡略化され、また社会における認識も薄れたり、変化しますので、それに応じて違和感のない装いに移って行っては行くでしょう。
即位式における黄櫨染の束帯も明治天皇即位の折に復活させたものです。それまでは聖武天皇在位中より着用された唐制礼服でした。
自然に変遷することもあれば、意図的に変えることもあります。不変ではありません。

皇后陛下については既に明治の服制が崩れた戦後に皇太子妃となられたこともあり、宮中服の文化が御所においても一般的ではなくなっていたのだと存じます。そのような中で、通常の和服をお召しになることは考えられます。
ドレスをお召しになると服制的には判り易いですが、より日本的なものを、というご意思があれば、和服をお召しになるのは自然なことです。
女性の装いは維新前からかなり公武の違いが薄れていました(実態はほぼ同じで言葉が違うようなものも多かったです)ので、違和感がよりないという背景もそれを後押ししているのではないでしょうか。

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nuk********さん

2017/10/2823:18:23

皇太子のうちは羽織はかまを御召しになってもいいようで・・・。
珍しい写真を見つけました。

出典:ブログ「きものレッスン お着楽とんぼ」
http://blog.goo.ne.jp/okiraku-tombo/e/54c867936f716e8b62c479b6be3d2...

また、文中
天皇になられて、なぜ男子の皇族は和服を着ないのかに関して
>「朝廷(皇族)の男子の正装は束帯で、羽織・袴は、家来である武家の着用するものだったので、多分、お召しにならないのではないかしら?」と答えました。

・・・とあります。
確かに、女性皇族がきものを着るシーンでも、束帯姿では・・・いかにも大そうすぎる気もします。

徳蘭さん

編集あり2017/10/2817:48:44

天皇陛下の和服は普段着は唐衣、宮中祭祀では神道神職最高位のお召し物になります。神社の神職のお姿です。天皇は神職でもあります。
重要な儀式の時には黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)で、この色は絶対禁色になっています。9世紀嵯峨天皇により定められました。
いわゆる長着や羽織袴は民間の装束で帝より位が低くなるためお召になっていません。

洋服を奨励したのは明治天皇ですが、ほぼ軍服に勲章を帯びた大礼服のお写真が残されています。明治維新から国が開かれ、海外諸国との交流が活発になると、洋服が相応しいとされました。これが中礼服になり、現在では民間でもよく見る礼装以外は洋服です。
御所の様式(京都御所から現在の吹上御殿)も関係しますが、お支度にかなりな時間を要する唐衣や束帯は、ご公務にも現代にも相応しいとは言えません。明治以前は、帝は御所から出ることがなかったためです。

では、なぜ皇后陛下以下女性皇族方がきものをお召になるか。
天皇は今上陛下唯一、皇族は皇統譜に記載された方々、皇室は今上陛下のご家族となります。皇后陛下は皇室の構成員のお一人に過ぎない、ということになります。これに勲位が関わりますから少々複雑ですが、皇后陛下は天皇陛下を「陛下」とお呼びになり、天皇陛下は「皇后」と呼ばれることでもわかります。東宮(皇太子)も唯一です。
また、男系男子に継承される現在の皇室典範ですから、明治天皇の洋服に関する取り決めを、男性皇族は守られているとも言えます。

女性皇族のご公務では現代の日本のきものが広く認識されていることで、眞子内親王も海外ご訪問で振袖をお召になっています。

私どもにわかるのはこの位ですが、外れの可能性もありますから、宮内庁の公式サイトから質問なさってはいかがでしょうか。

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ID非公開さん

編集あり2017/10/2906:54:23

和服を着る方法をご存じないのか、
公の場で和服をお召しになられているお姿を見せていらっしゃらないのかどちらですか?

どちらにしろ、一般の市民は分かりませんし知る由もありませんね。
ご本人や側近の方のみぞ知ることなのではないでしょうか。この狭い知恵袋で分かる人もいないと思いますよ。

tokuran43さま、
さすがですね。神職の最高位とされる地位に陛下がいらっしゃるのは聞いた事があります。
位の事から民間人とは違うお召し物など、私も勉強になりました。

bla********さん

2017/10/2816:02:12

おつきの人が着せてくれるから自分じゃ着れなくてもOKなんです。

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