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山県は、当時、藩閥官僚勢力の頂点に立つものとして… という記述を本で読んでち...

huj********さん

2017/10/3001:59:49

山県は、当時、藩閥官僚勢力の頂点に立つものとして…

という記述を本で読んでちょっとビックリしました。この前まで勘違いしてました。政党に藩閥の要素が強くて、それを嫌って山県が官僚制

を作ったのかと思ってました。本当は、藩閥と関係ない政党を嫌って、(藩閥勢力を集められる)官僚制を擁護したんですね?普通政党の方が好きな仲間を集められるんだから、藩閥集団になりそうじゃないですか?官僚集団を自分の好きな藩閥グループで固めるって、どうやって出来たんでしょうか?一応試験はありますよね?

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sp7********さん

2017/10/3008:13:53

順番から言うと、薩長土肥で明治政府を形成した。
その中で薩長が権力を握り、土肥を圧倒した。
薩長の顕官が子分たちを高級官僚に採用した。
彼らは出身ごとに藩閥を形成した。
これに対抗するために土佐の板垣らが議会開設を主張した。
民権派の主張が通って衆議院ができ、制限選挙ながら地方代表が国政に登場した。
これをけん制するために旧来の権力者層が貴族院を牛耳った。
衆議院は次第に二大政党が対抗する形となった。
国会が指名する総理大臣が権限を掌握するようになると、官僚等藩閥集団はこれに対抗すべく、政党の骨抜きを図るようになった。
この過程で、山県らが実質的権力を握り、枢密院その他複雑な政治組織を駆使して、首相の任命権や、大臣の権限行使に影響力を及ぼして、藩閥の利益の極大化を図った。
昭和初期まではこんな流れで説明できるかと思われます。

  • 質問者

    huj********さん

    2017/10/3012:42:06

    ということはその頃の議会、政党は土佐藩とかそっちの勢力が強かったんですかね?

    どっちが藩閥、とかではなく、官僚の中で強い藩と、政党の中で強い藩が違ったということ?

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質問した人からのコメント

2017/11/5 10:50:11

なるほど!詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

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sen********さん

2017/10/3007:39:17

最初にできたのは政府なので、そこの官僚には薩長を採用しました。
入れなかった土佐藩士などが、議会開設を要求しましたね。
そこでて来たのが国会なので、官僚の利権から、選挙区におこぼれを与えるのが今でも続いています。
議員が作ったのが政党です。

時系列を見るとよくわかりますよ

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nan********さん

2017/10/3007:25:28

近代日本の官僚 という本にだいたい書いてありますね。。むしろ試験のための準備期間というものがあるわけですが、その勉強中のコミュニティの中で排他的集団ができるわけで。

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