ここから本文です

良寛様は、実際はどんな方だったのでしょうか?悟りは開けたんでしょうか?

アバター

ID非公開さん

2017/10/3006:16:36

良寛様は、実際はどんな方だったのでしょうか?悟りは開けたんでしょうか?

閲覧数:
113
回答数:
2

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

dri********さん

2017/10/3014:05:54

辞世の句をご存知ですか。

形見とて 何か残さん
春は花 山ほととぎす 秋はもみじ葉

これは道元禅師の歌からとったものと思います。

春は花 夏ほととぎす 秋は月
冬雪さえて涼しかりけり



形見と言って何か残せるだろうか。
しかし、自分がいなくても春は花が咲き、夏は山にほととぎすがなき、秋は紅葉するだろう。



これ、ファン・ラモン・ヒメネスの純粋詩の世界です。

そして私は発つだろう だが鳥は歌って残るだろう。

あるいは朝比奈宗源の線香八本の世界です。

俺がいなくても鐸は鳴る


彼は悟っていたと思います。
ただ、一つツッコミがいれられるとすれば、ある程度修行している人で、年を取ってこれは言えるとは思う。
あなたがもしそれを聞いて、「ああ、このことか」と思えるようであれば、もう悟りにこだわらなくてもいいと思います。仮にそこは数えられない世界だったとしても、まだ先はあると思います。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

饂飩餅さん

2017/10/3008:11:04

良寛さんは金持ちの家の長男だったのですが
父親の以南は俳句にふけって仕事をする気がなく酒に溺れ
ゴタゴタに巻き込まれて37歳で良寛に家業を継がせました
当時の江戸時代は政治が腐敗しており天災も続いて
良寛も嫌になって寺子屋の勉強で
縁のあった寺で出家してしまいました
このあと弟が家業を継ぎますがつとまらず
父の以南も自殺してしまいます
結局一家の家業はつぶれてしまいました
親子揃って愚鈍な性格で商売の才能がなかったようです
それで良寛は曹洞宗で数十年修行を積みました
実際は修行をサボって子どもと遊んだり居眠りしていたらしいです
それで師匠から大愚良寛と名付けられ杖をさずかり
どこへでも自由に行きなさいと言われました
良寛さんは立身出世に興味がなかったので
職業僧侶にならずに放浪の旅にでました
他宗の寺でも神社でもどこでも寝泊まりして宗派にはこだわりませんでした
実際僧侶でもなんでもなくただのホームレスだったのですが
良寛さんのすごいところは和歌や俳句の腕を磨いて
書の達人であったことです
ここに良寛さんの生命線があったわけです
名主の家に生まれて英才教育を受け
俳句好きの父親の影響も受けてその腕を磨き続け
かつて龐居士がざるを作って暮らし
桃水雲渓がわらじを編んで暮らしたように
ただの物乞いではなくて一日作さざれば一日食らわずという
禅の精神を体現していたわけです

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる