ここから本文です

楊貴妃は、小野小町に比べて、現代でも通ずる美人像の様に描かれることが多い様に...

att********さん

2017/11/2606:55:16

楊貴妃は、小野小町に比べて、現代でも通ずる美人像の様に描かれることが多い様に思いますが、歴史的背景を考えれば、実際はどのような容姿だったと考えられますか?

楊貴妃,美人像,小野小町,カテゴリーマスター,容姿,楊太真外伝,玄宗皇帝

閲覧数:
2,080
回答数:
3

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

goo********さん

2017/11/2608:09:52

楊貴妃はぽっちゃり型、はっきり言っておデブだったようです。現代のモデル風美人さんと比べたら「何!?」でしょうね。
玄宗皇帝も楊貴妃のデブをからかう発言をしています。

楊貴妃が寵愛されたのは話のうまさやしぐさの可愛さなども加味されていたと思われます。動物に例えれば猫でしょう。
唐の頃はぽっちゃり型の方がモテていた時代でデブはダメという風潮ではなかったのです。

逆に漢の時代はやせ型が持てる時代で、趙飛燕という女性がその美人の代表のように言われていました。
中国では「燕痩環肥」というの美人を表す言葉があります。(環は楊貴妃の名の玉環から)

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜2件/2件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

min********さん

2017/11/2819:19:09

楊貴妃は、キツネ型の美女で、切れ長の眼に、細い腰の女性だったと思われます。
詳しいことは、「楊貴妃は、どんな容姿の女性であったか?」http://www.minomusi.net/youkihi/youkihiyoushi.html
に示しますが、まず、カテゴリーマスターさんのいうところの「玄宗皇帝も楊貴妃のデブをからかう発言をしています。」は、「楊太真外伝」に書かれたお話で、これ は 楊貴妃の没後200年以上たった900年代の終わり頃、宋代になって書かれた小説です。しかも、玄宗皇帝が「デブをからかう発言をした」ということは、この時代でも、「デブはブスだ」とされていたわけで、当時、最高の美女と言われた楊貴妃がデブだったというのは、お話として矛盾しています。
楊貴妃の同時代の李白は、楊貴妃の前で詩を詠み、楊貴妃をカテゴリーマスターさんのいうところの痩せている美女として有名な「趙飛燕」に例えています。(「清平調詞」)さらに、牛僧孺(779年―848年)は、「周秦行記」という小説の中で、楊貴妃の容貌を、「纖腰修眸,儀容甚麗」(腰は細く眸はすらりと細長く、容貌は整って甚だ麗しい)としています。牛僧孺は、楊貴妃が亡くなったとされてから、比較的時代のたっていない時期の人物ですので、「楊太真外伝」より、この方が信じられるでしょう(楊貴妃の没年は756年とされる)
おそらく、楊貴妃が太った女性だとされるようになったのは、日本に渡ってきたキツネの美女伝説を楊貴妃ではないと否定するためだと思われます。
また、楊貴妃が、ワキガだったとされる話もありますが、これは、ワキガの別名を「狐臭」と書くためで、楊貴妃がキツネの美女だということから変化したものだ・・・そう考えられます。

mok********さん

2017/11/2609:32:38

まあ、前の人も言ってるけどデブというかぽっちゃり系だったみたいですね

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる