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親鸞は法然の教えに叛旗を翻す意志がありましたか? 親鸞は法然の教えの宗教改革...

aim********さん

2017/12/310:00:43

親鸞は法然の教えに叛旗を翻す意志がありましたか?
親鸞は法然の教えの宗教改革をする意志がありましたか?
新しい宗派を創立しようという意志がありましたか?

師匠様の教えを自分という個性で受け取っていく場合、修正となりませんか?
弟子は師匠のコピーではありませんから。

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回答数:
2

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ベストアンサーに選ばれた回答

k1_********さん

2017/12/311:27:12

親鸞は「歎異抄(たんいしょう)」(親鸞に師事した唯円が、書き残したバイブル的なもの)のなかで、仏教、思想世界に触れて語っている。「念仏は他人のためにあるのではない。親鸞一人のためにある」。その親鸞一人の弟子も持ち候わずと言って、本願寺教団をも否定してしまっている。十五世紀、本願寺教団を大発展させた蓮如(れんにょ・本願寺第八世、1415~1499)は、親鸞を教祖にしたのだったが、親鸞自身、あまりにも個人にこだわり続けた思想家だった(大向こうを意識して思想展開する人じゃなかった。教祖的タイプじゃなかった。)このなかで(歎異抄)唯円が「南無阿彌陀仏を唱えまいらせると極楽に行けますか」と聞くと、「極楽に行けるかどうか、自分にはわからない。ただ自分はいい人だと思っていた法然という人からそう聞いた。法然という人がいい人だから、私は信じているんだ」と答えています。これは信仰とはなんぞやということの基本だと思います。(この解説部分、司馬遼太郎氏のエッセイ部分を要約)。司馬氏のレクチャー続き、親鸞は、法然(1133~1212)の前に誰誰など浄土教の系譜を語り、最後に釈迦を設けて(釈迦は浄土教ではありませんが)、それがもしそうじゃないとしたら、私は彼等は騙したことになる。彼等が騙すはずがないから、信ずるのだ。というレトリックを用いて、断定はしませんが、極楽に行けるんだろうと思う、と言っています。同じく「歎異抄」で、唯円が質問を続けますが、司馬さんのレクチャー長くなるので端折って・・以上の触りでも、質問者へのアンサーにでもなるのではと思われます。

  • 質問者

    aim********さん

    2017/12/315:57:39

    ありがとうございました。
    素晴らしいご回答です。
    お店を開けておけば更なる素晴らしいお教えに出会えるでしょうが、
    貴兄にお礼ができなくならないようにここでお礼して結びます。

返信を取り消しますが
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質問した人からのコメント

2017/12/3 16:00:56

所詮、信仰と精進って個人の問題となるんでしょうね。
オリジナリティーと忠節は大事にしたいが、具体的個人は祖師様とは違う存在ですので誠実になればなるほど個人化は免れませんね。
コピー人間にはなれませんしね。
ありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

dor********さん

2017/12/310:13:10

それは、

蓮如へ導かれるんよ。

返信を取り消しますが
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