ここから本文です

東條英機と陸軍指導者は、なぜあれほどまでに直線的に対米戦争を目指したのでしょ...

アバター

ID非公開さん

2017/12/1415:09:29

東條英機と陸軍指導者は、なぜあれほどまでに直線的に対米戦争を目指したのでしょうか?

閲覧数:
189
回答数:
6

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

cel********さん

2017/12/1812:18:07

「対米戦争を目指した」というのは、もともと米国と戦う事自体が目的だったのではなく、米国が「やめろ」と要求する日中戦争をやめたくなかった(勝って終わりたかった)為に、米国の要求を受け入れず、その結果として対米戦争になったものであるのは、ご存知かと思います。ですので、「対米戦争を目指した」というのは、「対米妥協か対米戦争か、という選択に於いて、対米妥協を選ばなかった」事を指し、それは何故か、というご質問と理解させて頂きます。

それから、東条英機は、昭和天皇のいわゆる“白紙還元の御諚”を受けて首相になった時に、近衛文麿が首相だった時の1941年9月6日の御前会議で『十月上旬頃までに外交交渉に目処が立たなければ開戦を決意する』と言う決定があったのを、その天皇の言葉通り一旦なかった事にはしました。勿論、昭和天皇は『米国に譲歩する様に検討せよ』と言った訳じゃないし、東条英機にはそんな気はさらさらありませんでしたから、実際には、殆ど同じ結論を出すのを1ヶ月半伸ばしただけですが…
ですから、少なくとも東條英機(&陸軍省でその部下に当たる武藤章)に限れば(本音はどもかく)強烈に「直線的に対米戦争を目指した」とはちと言い難いとは思います。

が、それは東条英機個人が昭和天皇から“白紙還元の御諚”を受けたからであって、陸軍全体がそうだった訳ではないです。(実際、東条は首相になってからは大本営陸軍部ではかなり評判が悪かったようです)

何故陸軍が「日中戦争をやめろ」(具体的には中国から撤兵せよ)という米国の要求を受け入れられなかったか、それは単純化すれば『メンツ』の問題です。

東条英機の、“白紙還元の御諚”を受けて首相になる前の主張を、10月12日に近衛首相の私邸で行われた、首相、外相、陸相、海相、企画院総裁の会談の記録から引用します。(国立公文書館アジア歴史資料センターレファレンスコードC12120253500「十月十二日五相会議(近衛、豊田、東條、及川、鈴木)陸軍大臣説明す」)

↓のページでレファレンスコードを入力しリンクを辿るとどなたでも見られます。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/reference

~~

東條

皆の話は結局次の様になる。
(イ)日米交渉問題は駐兵問題を中心とする主要政策を変更せず。
(ロ)支那事変の成果に動揺を与うることなし。

右の条件にて略々統帥部の所望する期日迄に外交を以て妥結する方針を以て進む、而して作戦準備は打ち切る。(中略)なお細部に付いて言えば、駐兵問題は陸軍としては一歩も譲れない。所要期間は二年三年は問題にならぬ。第一撤兵を主体とすることが間違いである。退却を基礎とすることは出来ぬ。陸軍はがたがたになる。支那事変の終末を駐兵に求める必要があるのだ。日支条約の通りやる必要があるのだ。所望期間とは永久の考えなり。作戦準備を打ち切っても出来ると言う確信がなければいかぬ。やって見て出来ぬから統帥部にやれと言うのでは支離滅裂となる。吾輩は今日まで軍人軍属を統督するのに苦労をして来た。世論も青年将校の指導もどうやればどうなるか位は知って居る。下のものをおさえて居るので軍の意図する処は主張する。御前でも主張する考えなり。

~~

皆の話をまとめれば、と東条陸相は言っていますが、お読み頂ければわかりますが、これは東条陸相が自分の考えを(勝手に)「皆の話」としてまとめたものですが、要するに中国からの撤兵は「陸軍がガタガタになるからダメだ」と言っていますね。「青年将校の暴発」まで匂わせています。駐兵問題を「細部」とか言っていますが、実際にはほぼそればかり言っています。

同じような話を東条陸相は10月14日の閣議でも言っています。(アジ歴レファレンスコードC12120253600)。

「次に撤兵問題は心臓だ。撤兵を何と考えるか。陸軍としては重大視して居るものだ。米国の主張に其儘屈服したら支那事変の成果を壊滅するものだ。満州国をも危うくする更に朝鮮統治も危うくなる。帝国は聖戦目的に鑑み非併合、無賠償としておる。支那事変は数十万の戦死者、之に数倍する遺家族、数十万の負傷兵、数百万の軍隊と一億国民の戦場及内地で辛苦をつまして居り尚数百億の国幣を費して居るものであり、普通世界列国なれば領土割譲の要求をやるのは寧ろ当然なのである。然るに帝国は寛容な態度を以て臨んで居るのである。駐兵により事変の成果を結果づけることは当然であって…」

当時の日本政府は既に汪兆銘に政府を作らせてそれを国家承認しており、ある意味では当然というか必然というか、領土も要求しないし、賠償も要求しない、って事になっていました。(悪いのは蒋介石政権だ、って言うのが建前ですから、汪兆銘政府から領土や賠償を取る訳には行きません。)
『領土も賠償も取らないのだから、せめて駐兵権だけは取らないと、それまで費やした莫大な国費と兵士の命が全くの無駄だった、って事になる、だから絶対にダメだ(この点で米国に妥協は出来ない)』というのが東条陸相の論理でした。
(「駐兵権を確保しないと満州や朝鮮も危うくなる」とも言っていますが…)

が、どこまで譲歩するつもりがあったかはともかくも、この”やたら強硬な意見”は、実はかなり”陸軍のメンツ”の問題でした。

同じ10月14日に東条陸相と杉山元陸軍参謀総長が交わした会話が、アジ歴レファレンスコードC12120254300で見られます。

~~~

東條
海軍大臣は自信がないとは言わぬが何か自信のない様な口のきき方をする
判然言わぬので物が定まらぬ
海軍が踏み切れないのならそれを基礎として別のやり方を考えねばならぬ

杉山
宮中大本営で永野が次の事を言って居った
「富田が海軍に、海軍から戦争は出来ぬと言ってくれんか、と言って来た。それに対し永野は、そんなことが言えるものか、と言った由」

~~~

要するに海軍が「米国に勝てない」と言うのならば、それを前提として考える(多少は妥協も考えよう)と東条陸相は言っていた、って事です。(杉山元が「富田が海軍に…」と言っているのは、近衛首相が「海軍が勝てないと言ってくれれば…」と思って腹心に海軍に頼ませたら、”そんな事を言えるか”と永野海軍軍令部総長と拒否された、という話です)

領土も賠償も取れない前提で「駐兵権」について譲れないから米国と戦争をする、というのは、結果を知っている現代人からすると、到底合理的な主張とは思えませんが、『メンツ』上は、陸軍にとって到底譲れないぐらい重大だった事は、それまでの経緯からすると、状況自体を理解する事はそれほど難しくはありません。

満州事変が関東軍が満蒙領有化を狙って謀略で起こしたもの、というのは、現代の日本人にとっては常識ですが、当時は一応は中国側のやった事、とされていました。しかし、“満州国の建国”が、対外的非難を恐れ張作霖のような事実上独立した地方政府の樹立にとどめようとする政府&陸軍中央と、満蒙領有を目指す関東軍(&陸軍の中堅将校)の妥協の産物、というか、勝手に関東軍が独立に向けて既成事実を積み上げて言ったのを政府や陸軍中央が止められなかっただけ、という経緯は、東条英機のような当時の中堅将校もよく知っていました。自分達が満蒙領有論を考え支持した側でしたからね。

“満州国の建国”の後、中国との“国境”付近で小競り合いのようなものが起き、華北を緩衝地帯&満州同様日本の勢力圏に入れる、という正式方針(第一次から第三次の“第一次北支処理要綱”)を採って行動していたところに、盧溝橋事件が起きました。それまでと同じく「中国軍が駐留しない地域を作る」といった内容の合意を現地でとりつけて徐々に華北を日本の勢力下に入れるというやり方を採ろうとしたところ、西安事件でどういう合意があったのかは不明ですが、蒋介石がそれを受け入れず、全面衝突になったものです。それでも、政府としては少なくとも主観的には全面戦争をする気がなかったので、第二次上海事変の時も、当時の首都南京は攻め込むな、と言っていたのを、松井石根指揮下の陸軍が「命令違反」を承知の上で南京に向かって進撃し、それを陸軍中央も事後承認して、南京攻略に成功したら、今度は政府が強気になって和平条件を吊り上げてしまい、挙句の果ては近衛文麿が「蒋介石は相手にせず」なんて言ってしまったものだから、和平交渉の相手自体がいなくなり、汪兆銘政権を作る羽目になりました。

簡単に言えば、「中国なんて弱っちいのだから、少しボコッとなぐれば、いう事を聞くだろ?」と思ってやっているうちに泥沼に入り込んでしまった訳ですね。そして、こういう経緯は政府や軍の首脳は良くわかっていました。

1941年9月6日の御前会議の前日に近衛文麿が同席の上杉山参謀総長と永野軍令部総長が対英米作戦を説明した時に、明らかに勝てるか不安だった昭和天皇が、杉山参謀総長の説明に納得せずついに『お前の大臣の頃に蒋介石は直ぐ参ると云うたが未だやれぬではないか』と言った事が、『昭和16年9月5日 「帝国国策遂行要領」に関する御前会議開催の前日たる9月5日陸海統帥部長を召され近衛総理立会の下に御下問あり』(アジ歴レファレンスコードC12120286700)という資料に載っています。「簡単に終わらせるといっていたのに、こんなに泥沼になってしまっているではないか!」(それなのに、対米戦がお前の言うようにうまく行くと信じられるか!)、って意味です。

つまり、「ちょこっと凹れば中国なんていう事を聞くさ」と思って「ケシカラン支那を懲らしめる正義の戦争なのだ」と公式には宣伝しながら陸軍が主体でやって来た日中戦争を、いまさら「全部無駄でした。すみません」なんて陸軍は言える訳がありませんでした。確かにそれを言ったら「陸軍はガタガタになっていた」でしょうね。

  • cel********さん

    2017/12/1816:57:18

    しつこくすみません。

    「海軍は開戦反対、陸軍は開戦に積極的」みたいな、単純な「海軍善玉論・陸軍悪玉論」は、もはや俗説の類で、まともな歴史学者は今時そんな事は言いません。わかりやすく言えば、海軍の中でも海軍省と軍令部(更には連合艦隊司令部)、あるいは上層部と一部中堅クラスなど、意見の違いが実際には存在していたのを、あたかも一枚岩だったかのように扱う事が大間違い、って事です。

    ただ、対英米戦の判断に関して言えば、海軍にとってはこれから始まる戦争だった(だから”今直ぐなら勝てる”とか”今ならまだマシ”とか言った意見にはなりうる)のに対して、陸軍にとっては「対米戦を回避するには日中戦争を”勝てずに”終わらせるしかなかった(=受入不可能」という根本的な立場の違いは、紛れも無い客観的な事実で、だからこそ東条英機は10月14日の閣議でも熱弁をふるった訳ですね。

    対米戦か対米妥協かの判断は、陸軍にとっては死活問題でした。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/5件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

mez********さん

2017/12/1700:50:43

別に対米戦争を目指したわけじゃない。
中国との戦争で資源が
足りなくなったから、
対米戦に踏み切っただけ。

yuu********さん

2017/12/1614:52:38

>なぜあれほどまでに直線的に対米戦争を目指したのでしょうか?
全く異なります。
元々日本の国防政策は、陸軍は対ソ主敵で、海軍が対米でした。これは地勢からいって当然ですね。
ですから、陸軍は米国のことなんてとんと理解してません。
日米戦に決定的な要因となり得る戦艦や空母の数ですら、陸軍はまともに把握も個々の性能の理解もしていません。
この手の議論は「海軍がそう言った」、「海軍の領分である」でおしまいです。
では、陸軍より知的で国際的視野があったとされている海軍はどうかといえばこちらも同じで、対ソを意識した戦車への理解や満州国境へ至る鉄道線など関心外でした。もっと言えば、現代の「通説」だとしてもてはやされる学者センセの少なからずが「動員」というものの意味合いをよく理解していないのと同じくらい、海軍は自国の陸軍の動員についてすら理解していませんでした。
史実の戦中においても、陸軍は人員や資源の配分で海軍と意見争いはしても、日米の主戦場である”海上の戦闘”そのものについては口出ししていませんし、権限・情報・知識が皆無なためできませんでした。

そして、端的な事実を言えば、日米関係が決定的に緊張状態になったのは石油禁輸処置です。
引き金となったのは南部仏印進駐でした。
これはマレー半島と英領攻撃の意図があるのは誰の目にも明らかです。ところが、陸軍は南進政策(大戦への参戦)について一貫して「米国は中立」観測です。これより前の4月に日米了解案が出てきます。これは近衛が歓喜するもので、東条も納得しているのです。しかも、了解案に熱心に動いた一人は陸軍軍人でした。また陸軍強硬派と何かと批判される軍務局長武藤も、独ソ戦勃発後すら米国との関係改善のための政治工作に走っています。
陸軍は石油禁輸まで全く対米戦を考えてないのです。
東条や陸軍が開戦論に強硬になるのは、昭和16年秋以降の段階です。
戦後の生き残りと無知で無能な歴史家のせいで、その期間ばかり注目されていますが、忘れてはいけないのは9月6日の御前会議が実施されている点です。
ここで「日米交渉が上手くいかなければ戦争をする」という大筋は固まったのです。
本来なら秋口にそうなるはずだったのが12月までずれ込んだのは、昭和天皇が孤立しながら巻き返した結果です。
ですから、9月6日までの段階で陸海軍統帥部は対米戦を実施するということで一致したのですが、この間に「東条や陸軍が強硬論を唱えて、海軍を押し切った」などといったことはありません。この重要な期間に、この知恵袋でも信者が多い山本五十六ら対米避戦派は戦争を避けるために何もしていませんし、御前会議にそうした方策が上がるのにそうした観点から何ら信頼に足る言説を残していません。
昭和16年(正確には昭和15年秋だが)に入って、対米関係で不穏だったのは海軍でした。
2月の段階で真珠湾攻撃の具体的準備に入り、4月の日米了解案には、予備役の米内も歓喜したのに、海軍は冷淡で陸軍側が困惑するほどでした。独ソ戦勃発後の会議の場では海軍は「英”米”戦に自信がある」と好戦的な言説をしています。
更に南部仏印進駐直後に永野は対米戦の上奏をして昭和天皇を驚かせました。昭和天皇は”海軍は危険”と認識して永野の更迭を木戸に相談しています。また9月6日の御前会議直前でもそれを試みたとの説もあります。
対米戦に至る経緯に関して第一当事者たる昭和天皇は、戦後”通説”として定着してしまった、東条や陸軍強硬派が原因とは見ていないのです。実際に東条らにはそうした言動はないのだから当然です。

そして、9月6日の御前会議で「外交が主で、戦争が従」として、昭和天皇の本意が外交にあることが示されましたが、戦争をするという案は採用されました。陸軍が強硬になるのはこれ以降です。ただ東条のロジックは「御前会議で決まったこと」が第一でした。
それ以降に近衛がふらふらとします。
よく有名な近衛、東条、及川の三相の会談は有名で、この際のことで近衛と及川(海軍)は対米戦を避けようとした、との免罪符を手にして、強硬論を唱えた東条は(開戦の)戦犯の烙印をもっともらしく押されますが、大分異なります。
近衛に関しては和平を志すなら御前会議の場かそれ以前に動くべきでした。「近衛は責任を引き受けてくれるか」といった言葉をこの時期に昭和天皇は残されていますが、開戦責任において無視できない部分が、御前会議で戦争をする方針を容認した近衛にあると認識されているのと端的に示されています。メモ魔で小役人根性の東条も、特に近衛に対してそうなるのは当然でした。
そして、及川(海軍)ですが、この時期に対米戦回避に動いたのは、海軍省の一部の独断であって、海軍としての組織ではないのです。
及川は軍令部とは調整しないで、対米戦回避に動こうとしたのです。勿論連合艦隊司令部(長官山本は言うまでもなく)にも無断でした。
それなのに、海軍は対米回避のつもりだった、陸軍は対米強硬論を唱えて押し切った、と組織全体の統一された意思にすりかえての解説が愚かしくも広まっているのです。

立派な肩書のある人の名前と著作を引用するしか能のない人には一向に理解されませんが、海軍と陸軍には戦争準備において決定的な差があります。
海軍は水師の準備はただちの出動態勢をとればいいのですが、陸軍の場合は、予算規模は海軍より劣るより人員は圧倒的に上回ります。その上で、召集・動員・展開の手続きが必要です。これを円滑化するための総動員システムが、大陸国ではない帝国陸軍にはなく、しかも、戦場のほとんどは海の向こうでそのための輸送船の手配も必要です。
「戦争はするつもりだ。ただし、いつ開戦するかは未定、なのでそのまま待機」なんてことができないのです。
大陸国であれば国境線に大軍を張り付けることはできますが、敵の領海間際まで大量に乗船させた輸送船を待機させるなんてできません。
だから、陸軍としては「(たとえ従でも)戦争をするという方針が決まった」なら「めどもなくだらだら交渉が続く」のは困るわけです。もっとも、これは米国の軍備増強を気にしていた海軍も同じでしたが。
それが昭和16年秋以降の東条や陸軍の言動であり思考です。動員の意味すら理解できない人が「陸軍の機密誌にはー」と頭の悪いことを言う例が多々見られますが、彼らは”対米戦がしたかった”わけではありません。
地勢と戦争準備のシステムから「行って(帰って)来い」ができない以上は、官僚的気質として(開戦に至る)作戦計画に固執したのです。
対米戦は、彼らにしてみればついででした。何故なら、本来は「米国は中立。英米は可分できる」が彼らの認識のところを、海軍が「英米は不可分。そして、英米戦には自信がある」と主張していたから、なら任せるよ、だったからです。

2017/12/1608:20:52

陸軍は対米戦争を目指したわけではありません。国際情勢を無視
した自己中な行動が米、英、蘭、シナ等の反発を受けて最悪の状
態を招いてしまったんです。

中国や仏印等を侵略して、石油を輸出して呉れた米の怒りをかっ
て経済封鎖、日本資産の凍結、石油の禁輸により亡国の戦争に追
い込まれました。

国力を無視して、ドイツの勝利をあてにした無謀な戦争を選択せ
ざるを得なかった、つけは、昭和20年の敗戦に繋がり負けた日本
は今でも米の従属国家に成り下がりました・・・( ノД`)シクシク…


悲惨だわね・・・(=^・^=)

陸軍は対米戦争を目指したわけではありません。国際情勢を無視...

coo********さん

2017/12/1500:50:25

日本だってロシア革命以来主敵はソ連共産党だったんだよな。

イギリスに大陸に引き摺り込まれてからおかしくなってる。

どういう訳だかいつの間にか鬼畜米英とかの話になって対米戦已む無しって、、、

陸軍部内で統制派と皇道派の権力闘争が激化したのもロシア革命以降だし、アメリカ民主党、ルーズベルトがアカのスパイに囲まれてたのは周知の事実だし、226で統制派が軍の実権を握ってからアメリカとの関係が救い様も無くなってるって事はまあ、推して知るべし、日本もアメリカも上手くアカに乗せられたって事でいいんじゃないですかねえ、、、。

mai********さん

2017/12/1423:27:16

かわいそうなくらい和平工作
してるじゃないですか
東條英機は対戦を煽らないと
陸軍をまとめられないからね
ポジショントークってやつ

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる