ここから本文です

元国鉄の渋谷誠司投手を知ってますか?

アバター

ID非公開さん

2018/1/219:45:56

元国鉄の渋谷誠司投手を知ってますか?

1965年

連日、キャンプなみの猛練習をつづけているアトムズ・ナインの中に渋谷の姿が見えない。それもそのはず、渋谷は痔疾に悩まされて、自宅静養中。「最後の巨人戦の前日からおしりが痛み出して、歩くにも激痛をこらえなければならなかった」渋谷は、東京。代々木の石山病院で診察を受けたところ、「傷口からバイキンがはいった。すぐにも手術しなければ大変なことになる」と宣告されて二度ビックリ。「痔の手術が痛いとは前から聞いていたけど、こんなだとは知らなかったヨ」左腕からの快速球でONを悩ませた渋谷も、痔の痛さには勝てず、連日ウンウンうなっていたらしい。一か月後に退院したものの、いまだに通院加療を必要とするので、練習には出られず、かといって映画を観る気にもならず自宅で退屈病と戦っている。

閲覧数:
19
回答数:
1
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

ray********さん

2018/1/520:28:35

以前学習しましたね。
知ってます。

弘前商業高校卒業後、日本通運の弘前支社に入社。

同支社の軟式野球チームに所属。

全国大会で活躍したことにより日通の野球関係者に注目され、社長命令で浦和支社へ異動。

当時の日本通運浦和硬式野球部に移る。

1961年の都市対抗では、2回戦(初戦)で電電九州と対戦。妻島芳郎をリリーフして好投するが惜敗。

投手育成に実績のあった当時の稲葉誠治監督に「金田正一のような投手になる」と言われ、当時日通が出資していたプロ野球チーム・国鉄スワローズも育ちあがった上での入団を見据えていたが、噂を聞いた東映フライヤーズのスカウトが駆け付けたことにより、日通社長の特別許可をもらう形で1962年に国鉄へ入団。

入団当時「久々の大型左腕」と言われた。また、全くの無名の軟式投手が巨人と対等に渡り合う投手になったことから、「シンデレラボーイ」とも言われた。

ギクシャクしたややサイド気味の投球フォームから威力のあるストレート、カーブ、シュートを武器にしたが、気が弱く、また制球力が悪かった。

2年目に14勝をマーク。

1965年にはオールスターゲームに初出場するが、シーズンではリーグ最多敗戦の22敗を記録。その後徐々に登板数も減り、1970年に一軍で投げる事が出来ず引退した。

2005年、王貞治が「週刊ベースボール」の最も速い投手は誰かというアンケートに渋谷と答えている。

一方で、王には初のシーズン30号本塁打(1962年)・シーズン40号本塁打(1963年)をそれぞれ献上している。

高校の野球部の2学年先輩に、第49代横綱栃ノ海の花田茂廣がいるが、花田は3年次より相撲部に転部してしまったため、渋谷と同時期にはほぼ在籍していない。

通算291試合登板
40勝85敗
防御率3.71

オールスターゲーム出場:1回 (1965年)

背番号
24 (1962年 - 1967年)
16 (1968年 - 1970年)

気はやさしくて力持ち、大きなからだに似ずキモッ玉が小さいそう。

だから好調のときはびっくりするような速球を投げながらも、四球で自滅するそう。

アバター

質問した人からのコメント

2018/1/5 20:50:54

うひょおおお

あわせて知りたい

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる