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陸軍士官学校・海軍兵学校に入学するのは東大並みに難関とネットでたまに見かけま...

inu********さん

2018/1/320:57:18

陸軍士官学校・海軍兵学校に入学するのは東大並みに難関とネットでたまに見かけますが、それは軍人を持ち上げすぎかと思います。

試験が難しいのは旧制中学時代に青春を過ごしたじいさま方から聞いているので知っています。

軍人を含め、公務員になるのは戦前の日本では時代にはよりますが(大正デモクラシー)、かなりのステータスでうらやましがられたと推測いたしますが、いかがでしょうか?

また、公務員以外で民間企業では財閥系の会社に勤めないと裕福になれなかったのでしょうか?

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aji********さん

2018/1/612:43:47

「東大並みに難関」というのは無いですね。
士官学校・兵学校卒の軍人というのは、命令通りに仕事をこなすテクノクラートであって、官位と給料は帝大卒の高等文官と揃えていますが、実態はほとんどの士官は少佐あたりでお払い箱(退役)になる存在です。

the_peepmanさんのご解説に加えますと、現実に軍人は大卒の民間エリートに対して知的なコンプレックスを抱いていました。
教養というのが、いまより遙かに高いレベルを求められた時代ですので、いくら地頭が良かろうと軍人が劣るのは仕方ないのですが、昭和になり軍が深く一般社会へも関与するようになり、軍人が民間人や官僚と交わって活動するようになると、知識教養の差を肌で味わうはめになります。

だから、旧制高校や帝大の学生は軍人を馬鹿にしていました。鼻持ちならないエリート主義ですが、学生が軍人を見下していたことは、当時の社会を反映していたからです(後に学生の軍蔑視が問題になり、締め付けられていきます)

一方、庶民から見ると、当時は皆兵ですので一般人でも軍人としての階級を持ち、予備役として軍役に服していますから、軍へのシンパシーは高いわけです。
対して、大卒は自分たちを支配している層ですので、嫉み恨みの感情を覚えることもあります。

こういう庶民感情と判官贔屓もあって、士官学校・兵学校への過大な評価が戦後に定着したんではないでしょうか。


>かなりのステータスでうらやましがられたと推測いたします

大正時代すでに「大学は出たけれど」と大学生の就職難が何回も起きています。帝大を出て肉体労働をやっているなどと、当時も就職難民が報じられています。
だから、安定して高収入を得られる幹部軍人を目指す人もいたってことですね。だから「東大並み」の頭脳が軍人になったってことはありますし、旧幕側についた賊軍に落とされた士族の家柄では高級軍人になることに励みます(東條英機も山本五十六も賊軍側の家系です)

なお、大佐にまで出世すれば、世間では家族も含めて名流として扱っていましたので、このクラスまで来れば東大法科卒の高級官僚とタメになれ、政治家など貴顕階級への転身の道も開けました。

質問した人からのコメント

2018/1/7 14:38:40

大変勉強になりました。
the_peepmanaさんもありがとうございました。

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mil********さん

2018/1/622:55:21

官は強し民は弱し、の時代でした。

the********さん

2018/1/612:13:06

士官学校・兵学校には中学校から進学しました。

帝国大学に入学するには、中学校を卒業してから、高等学校で勉学に励まねばなりません。(戦前、帝国大学以外の大学で、大学令で学士の称号を出せるところは早慶など数校でした)

帝国大学に入るには、高等学校を卒業すればほぼ全入でした。(官立高校の生徒定員≒帝大学生定員)
但し、高等文官試験などに挑戦するためには、東大法科などの一定の学校・学部に在学することが殆ど既定路線でしたので、そこでの競争は凄まじきものでした。



軍学校でも、入学もさることながら、卒業成績で配属から将来がほぼ決定すると言われましたので、巷でいわれよりも厳しい学生生活は、高文を目指す旧制高校と同じだったようです。


世間では、陸士・海兵と言っていましたが、陸軍経理学校(合格定員がずっと50人)の方が陸軍士官学校よりも『入学試験合格は難しかった』と聞いています。


戦争・世間の緊張状態で、軍下級将校・士官の需要は変動します。

志望者も当然変化しますので、難度は変わらないと言われていますが、

卒業した後の、栄達では帝大⇒高文合格⇒高等官の方が常に上に見られていました。

(軍人は勝手に威張ってはいましたし、軍を背景にして、総理大臣も出していますが国民から十分な支持喝采を受けていたわけではないですね)

cae********さん

2018/1/408:36:19

戦前は今以上に貧しい家庭が多く、また陸軍士官学校、海軍兵学校等の軍事学校の社会的地位が今の防衛大学以上高いものでした。之は今の欧米でも同じで、アメリカでウエストポイント陸軍士官学校の学生と言えば、家の名誉とされています。かつ学費はゼロで、わずかながら手当が出ました。卒業後は短期間の見習い期間(陸軍は見習い士官、海軍は少尉候補生)を得て高等官たる少尉に任官です。また軍人以外も公務員の地位は民間より上でした。

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ts1********さん

2018/1/406:52:01

戦前の頃は、安定職&身分、階級&地位、役職関係等で
軍人(特に、海軍)が人気でした。

海軍兵学校の入学試験に合格するだけでも、大変!
更に・・・成績優秀で天皇の名での、短剣を授与(褒章関係での
中の1つ)されたら、将来は・・・艦長さん または 司令官
司令長官(日本海海戦時での際の、GF、連合艦隊司令長官
東郷元帥みたくに成れる可能性は高まる)等でしたのでね。

当時の男の子の夢&目標での多くは、連合艦隊司令長官に
成りたい!または、艦長さん 司令官に成りたい!等で
したのでね。

その分は、競争倍率の高さ&安全権、合格圏内での
偏差値の高さ!でしたのでね。

しかも・・・軍人と同じ、他の別公務員での場合

大衆食堂等で食事をしていて、他の客とか店での店員から
職業を聞かれて、役場勤務等と答えると~大抵の場合には

(何だ・・・)役人か とされていた頃なのでね。

東京大学(旧帝国大学)進学率、NO1での継続履行中での
開成中学校 その開成中学校で当時・・・開成中学校において
開校以来の秀才とされていて、海軍兵学校40期生として
当時、16歳での最年少で合格したのが、ミッドウェー海戦で
戦死された、山口多聞少将(戦死後、中将に特別昇任)なのでね。

海兵 陸士 卒者 となれば・・・なると、地元での故郷では
鼻が高い!等とされていた程なのでね。

iko********さん

2018/1/321:20:01

あー、昔の日本を知らないようなので
現実をお教えしましょう

日本にはかつて「家の格」というものがありまして
実際1970年代でも家格の差のために結婚できない、
ということが地方では根強くあったのです

試験が難しかったわけではなく
家の格が低いと通らなかったのです

テストの点が取れれば
だれでも入れる、と思ってるでしょ
そうじゃないんですね

戦前は家の格が低いのに大学に入って
すさまじい嫌がらせを受けた
という話を聞いています

企業に入れるのも
軍の士官になるのも
官僚になるのも
全部、家の格が高くないと無理だったのです

家の格が低い者がなれるのは
下士官までです

なぜ、爆弾三勇士、なんかが生まれたと思います?

手柄を立てると、その人の家の格が上がり
残された家族の就職先や結婚先が良くなり
生活のレベルが上がったからです

これは江戸時代も同じだったのです

まぁ、つまり日本人はランク付けが大好きな民族で
今も学歴なんて意味の無いものが幅を効かせている
個人の能力が評価されない劣等国家な理由です

家の格が高いとか
偏差値が高いとか

そういう連中が日本の権力を支配しているわけです

そして、こういう連中の世界の評価が

「無能」

ですからね

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