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関空ができる前の阪和線、南海本線のダイヤについてご存知の方、教えていただけな...

web********さん

2018/2/422:00:03

関空ができる前の阪和線、南海本線のダイヤについてご存知の方、教えていただけないでしょうか。

関西国際空港、インバウンドのおかげで随分好調なようですね。
一時期は利用者低迷でラピードは停車駅が激増、はるかは減便していましたが、ラピードの乗客も随分増えましたし、はるかの本数も復活、空港急行や関空快速の本数も15分に1本と充実しています。
その一方、和歌山方面は酷いことになってます。
利用者が少ないからなんでしょうけど、関空ができる前はもっと和歌山が重要視されていたんですよね。
難波⇔和歌山の需要が多かった頃の、阪和線南海本線のダイヤを教えていただけないでしょうか。

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hir********さん

2018/2/501:14:19

阪和電気鉄道

阪和電気鉄道(はんわでんきてつどう)は、昭和初期の関西の鉄道会社。現在のJR西日本阪和線を建設した。

1926年に設立され(路線免許交付は1923年)、1940年に南海鉄道に合併された。

営業不振や政府の交通政策などの事情故に会社法人としては短命であったが、戦前の「日本一速い電車」である「大阪 - 和歌山45分」ノンストップの「超特急」を運行したことで、日本鉄道史上、一種の伝説的存在として記憶される。





ノンストップ超特急

和歌山までの開業当初は、阪和天王寺 - 阪和東和歌山間の61.2kmを「急行」が65分(各駅停車は80分)で結んだ。その後も路盤の安定に伴ってスピードアップをくり返し、1931年7月に天王寺 - 東和歌山間をノンストップ48分で走破する「特急」を運転開始した。

この特急は、1933年12月20日に阪和天王寺 - 阪和東和歌山間45分運転へスピードアップされ、種別を「超特急」に改める。この時の表定速度81.6km/hは、営業運転される定期列車としては1950年代以前の日本国内最高記録で、戦後に国鉄特急「こだま」号が東京 - 大阪間6時間40分運転(表定速度83.46km/h)を開始した1959年まで、実に26年間も破られない超絶的レコードとなった。

同時期、日本資本で経営されていた南満州鉄道の著名な特急列車「あじあ」号(1934年運転開始)は蒸気機関車牽引の客車列車ではあるものの、標準軌路線での運転で表定速度82.5km/hであったが、阪和超特急は狭軌線ながらそれにも匹敵する水準に達していた。

阪和間に限れば、超特急の消滅後はるか後年の1972年3月ダイヤ改正で設定された新快速が45分のタイ記録を達成するまで並ぶものはなかった[その間、1958年に気動車準急「きのくに」が、1965年には気動車特急「くろしお」が登場したものの、いずれも最高速度は95km/hにとどまり、阪和間での所要時分は50分を要していた。新快速は途中鳳に停車しながら阪和間45分運転を達成しており、実際の運転速度ではこちらが上回っていた。もっとも、新快速運用開始時点での阪和線ダイヤは天王寺 - 鳳間を中心に運行密度が非常に高く、また72系をはじめとする吊り掛け駆動の旧性能車が多数残存していたことから実際には45分運転の維持が困難であったことが指摘されている。この新快速は1977年3月のダイヤ改正で停車駅が追加(従来の鳳に加え、熊取・和泉砂川の2駅に停車)されており、この時点で一旦阪和間45分運転を行う列車は消滅している。なお、運用に投入された113系電車の公式な最高速度は100km/h(当時)、設計最高速度は115km/h(歯車比が同一である117系の実績から)である。]。そしてこの45分の壁は紀勢本線和歌山駅 - 新宮駅間の電化後も破られず、特急「くろしお」が電車化した時点でも未だ45分(阪和間無停車)のタイ記録に留まる状態が長く続く。そして国鉄の分割民営化を目前に控えた1986年11月1日のダイヤ改正で阪和線ダイヤの緩急結合を重視した私鉄形ダイヤへの移行と共に、特急列車に限り最高速度120km/hでの運転が許容されるようになり、特急「くろしお」が最速列車で阪和間41分運転を開始したことで、超特急運行開始から53年目にしてようやく完全な記録更新が果たされた。その後は関西国際空港開港に伴い、快速系統用として223系の大量投入が行われた1994年9月4日のダイヤ改正で「くろしお」の最速38分運転(表定速度96.8km/h)が実現した[その後、余裕時分の見直しにより最速列車は再び41分となっている。]。

阪和電鉄の線路条件はおおむね直線で良好であったが、県境の山中渓駅付近には急勾配区間急曲線があり、振り子式車両(車体傾斜式車両)のない当時としては、平坦区間で極限の高速運転がなされたことが容易に推察される。阪和間45分運転を行うことは電車にも大きな負担をかけ、駆動歯車は鋸歯状になるほど消耗したという。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E5%92%8C%E9%9B%BB%E6%B0%97%...





企画部 地域振興局 総合交通政策課

http://www.pref.wakayama.lg.jp/prefg/020500/tetudou/tetudoutop.html


大阪府南部における JR 阪和線沿線と南海本線沿線の発展比較

http://www.osaka-ue.ac.jp/zemi/kusanagi/2015nagizemi/pdf/K126283_Ho...

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tan********さん

2018/2/516:16:02

南海は急行は20分毎

多奈川行きの急行あわじ号や

和歌山港行きの特急四国号(一部座席指定)もあった

みさき公園は終日急行は停車
特急は祭事により一部停車

二色浜にも海水浴シーズンは特急が臨時停車していました

初詣は住吉大社にも急行が臨時停車しています

岸和田競馬や競輪開催時にも急行が臨時停車しています

uki********さん

2018/2/515:53:08

ダイヤ…そのものはもう捨てちゃって手元にありませんが、関空ができる前は…普通に和歌山からも20分か30分に1本しかなかったと記憶しています(苦笑)。
あと、南海はみさき公園も急行や特急は停まらなかったと思います。
今より20分は早く難波に着いていたと思います…というか、今は泉佐野以南が時間かかりすぎだと思います。

阪和線も、いまより停車駅が少なかったので(和泉砂川以南は全部停まってますが、六十谷くらいしか停まってなかったですし、うちの母の世代だと六十谷も停まってなかったです。私の小さい頃は紀伊も停まってなかったです)、JR和歌山〜天王寺間は1時間弱で到着していました。

ただ、関空ができる前は「泉州地区の人口が少なかった」というだけで、特に和歌山が重要視されていた訳では無いと思います。
重要視されていたのは、オイルショックとかあの辺では?第二次ベビーブームとか、住友金属とかがバリバリやっていた頃の話でしょう。私が幼少期にはほとんど陸の孤島状態でしたから…。

で、その頃はその頃で、電車そのものがもっと性能がよくなかったらしく、どうあがいても1時間はかかっていたと母が言っていました。一時期50分くらいに短縮されて、そのあとどんどん停車駅が増えたおかげで1時間20分コースで落ち着いたのではと。

hay********さん

2018/2/422:23:13

ご自身で、当時の紙資料(時刻表)をあたるのが最善策でしょう。

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