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忍者。本当は、いなかった?

してえ。さん

2018/2/212:22:48

忍者。本当は、いなかった?

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回答数:
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bir********さん

2018/2/308:43:35

偵察活動や情報収集活動、諜報活動を、する人材を
完全否定するのは個人の自由だが
武将が実際そういうことを、やっていたら合戦に
勝てるわけが、ない。
忍者や間者や隠密を否定する人は、ようするに
軍事能力が欠如しています。

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ベストアンサー以外の回答

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2018/2/305:11:27

「忍術を使う黒装束の忍者はいません。忍者とは情報工作員です。」
なんて回答がよくあるのですが・・・・。

身内の家人しか信用しない中世の乱世で、「情報工作」とやらを、伊賀や甲賀からやってきたよそ者に託す無能な主人は生き残れないでしょう。
戦国時代に「忍者」と書かれたまともな史料はありません。

例えば、天正伊賀の乱を戦った人々は当時「伊賀惣国一揆」と書かれています。「忍者」とは書かれていません。「惣」「一揆」ですから農民兵です。

しかし、江戸時代以降に「萬川集海」などの忍術書が創作されました。これらが忍者について書かれた元ネタなんです。

歴史学者の藤木久志先生は、
「忍者はいない。忍びや乱破は、略奪を目的とした下級農民兵。」
網野善彦先生は
「関東でヤクザと称された者が、関西ではニンジャとされた。」
としています。

私見では、「風魔の盗賊」伝説が実態を語っていると思います。これは風魔という盗賊が江戸時代初期に処刑されたという伝説です。
略奪を目的とした下級農民兵で、江戸時代初期に下級武士に採用されなかった者は、故郷の東国の貧しい農村にも余裕が無ければ、犯罪に手を染めるしかない者も少なくなかったでしょう。

しかし、関西では農村の自立心と経済的余裕が違う。行ってみれば分かりますが、伊賀や甲賀は豊かな盆地です。伊賀は特に、農民の自立心が高すぎて、大名が治めるのは困難でした。
織田信長や豊臣秀吉でさえ手を焼いた彼らを、徳川家康は服部半蔵正成に任せたのですが、後の代で結局は失敗しています。
この「最強の農民兵」の末裔が「忍者伝説」を作って、それが江戸時代に商業ベースで広がり、遂には「忍者」という新職業まで作った、というところなんでしょう。
江戸時代には「忍者」の記録はあります。あまり活躍できませんできませんでした。

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moo********さん

2018/2/301:13:00

いました
蜂須賀小六
徳川光國
松尾芭蕉
伊能忠敬
服部半蔵
藤林長門守
特に服部半蔵は現在の東京の
半蔵門線の由来だし屋敷あともある

cae********さん

2018/2/216:43:49

忍者はいたともいないともいえます。まずテレビ、映画にでてくる黒覆面の忍者はいないと思います。第一に目立ってしまいます。彼らの任務は情報集めで、徳川幕府のCIAのような存在で目立たないどこにでもいるような姿をしていました。

feawerさん

2018/2/216:22:27

忍者存在しています。
忍術に限りましては、胡蝶してありますけど。

tom********さん

2018/2/215:45:03

忍者はいましたよ。
忍者は伊賀流、甲賀流、風魔流、戸隠流という四つの流派があります。
以前の時代で、少しだけ大名に仕えるが、普段に領主や武士に仕えず、戦の時雇われる傭兵のような存在なんです。
大名に仕えた例は徳川家の服部半蔵と北条家の風魔小太郎などです。
戦の時には足軽として戦に参加し、夜で夜討ちなどの活動をしていた。
ちなみに、現代では、また忍者の忍術が残されていますよ。
例えば川上仁一さんは昭和24年に生まれ甲賀流伴党21代目宗家です。

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