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仏教では輪廻してしまうのは良くないということなんですか?

not********さん

2018/2/1603:14:36

仏教では輪廻してしまうのは良くないということなんですか?

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mit********さん

2018/2/1603:58:38

インドのヒンズー教信者では 本当に前世の記憶を完全に言える生まれ代わりという人が時々出ます。良くないのはインド以東にお釈迦様の言いつけを守らない インド人も嫌がるインド人座像を崇め縋る阿弥陀信者がこの現代にも平然と居座っていることでしょう。

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yos********さん

2018/2/1914:48:42

輪廻には六道輪廻と輪廻転生があります。
仏教は生まれ変わるというのが基本の考え方です。生まれ変わるのですから、天国や地獄が現実とかけ離れた所に在ったのでは辻褄が合いません。天国も地獄も現実の世界で見ることができます。例えば、金持ちの幸せな家庭に生まれる子供と、貧乏で親から虐待されるような家に生まれる子供、この違いが天国と地獄です。他には平和な国に生まれる子供と戦争が絶えないような国に生まれる子供、この違いも天国と地獄です。
仏教は天国や地獄は環境だけに在るのではなく、自分の心の中に有ると説いています。例えば、地獄のような環境に住んで居る人にとっては毎日が地獄かもしれませんが、そこに住んで居る人たちを救うために活動している人の心は地獄ではないはずです。また、そこから抜け出すために希望を持って努力している人の心も地獄ではないはずです。地獄の「地」とは、地面より低いものは無いという意味で、最低のことです。「獄」とは逃げることができない状態のことです。最低の苦しい状態から、どうあがいても抜け出すことができずに、絶望している心の中が地獄なのです。
仏教は人間の心の状態を「地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天」の六つに分類しています。これを六道と言います。「地獄」は絶望している状態ですが、誰かの助けを借りて希望を持てれば抜け出すことができます。このとき助けてくれた人を良縁と言い、芥川龍之介の童話「蜘蛛の糸」に通じます。「餓鬼」とは尽きることのない欲望に苦しめられていることです。「畜生」とは理性よりも本能が勝っていることで苦しむことです。これらの煩悩を克服するために、人は祈ったり、座禅を組んだり、滝に打たれたりと、様々な努力をしてきました。「修羅」とは常に他人との戦いを強いられることで苦しむことです。受験と言う戦いが終わっても、社会に出れば常に競争を強いられます。これも競争を楽しめるようになれば苦しむことは無くなります。「人」とは平穏な心の状態のことです。「天」とは有頂天になると言うように、夢がかなって天にも昇るような喜びの状態のことです。人間の心は六道のどれかに固定されているわけではなく、日々移り変わっています。この移り変わることを「六道輪廻」と言います。
仏教は現在の幸不幸の原因は「因果応報」にあると説いています。因果応報とは、現在または未来に起きる結果には、必ず過去又は現在にその原因となるものを自らが創っているという意味です。それは今世に天国に生まれていようが、地獄に生まれていようが、現在どういう生き方をするかによって、来世どちらに生まれるかが決まるということです。このように生まれ変わるときに、生れる環境が常に変わることを「輪廻転生」と言います。因果応報は来世だけでなく今世においても、天国と地獄を逆転させることもできるということを示しています。
成仏とは仏に成るという意味で、慈悲の心を完全に体現できた人のことです。慈悲を体現できるようになるには何度も生まれ変わって菩薩行を繰り返し、一生を地獄に在る人たちを救うために尽くし、そこに無上の喜びを感じるようになった人のことです。例えばマザーテレサみたいな人でしょうか。無上の喜びにまで至らず、若干の怒りや悲しみの心を残している人を菩薩と言い、そういう感情をも感じさせなくなると悟りを開いたと言い、仏として尊敬されるようになります。成仏すれば六道輪廻から解脱し、天国ではなく極楽浄土に行けるそうです。ちなみに、私にとっての極楽浄土はパラオのクラゲの湖ですが、人によって理想とする極楽浄土は違っているのではないでしょうか。
成仏の方法については経典によって多少の違いがあります。浄土宗は「南無阿弥陀仏」と唱えるだけで、死んだら成仏して極楽浄土に行けるそうです。真言宗は煩悩を消すために厳しい修行を課しています。何度も生まれ変わって菩薩行を繰り返すことで成仏できると説いているのは日蓮宗です。経典による違いの理由はインドが厳しいカースト制度(身分制度)によって身分が固定化され、決して身分の変更が認められていなかった為に釈迦は奴隷階級や一般階級、支配者階級など、相手の身分に合わせて法を説いたので成仏の方法にも違いが出たのです。これが、どの経典を用いるかによって宗派が別れることになった理由です。

har********さん

2018/2/1913:45:56

いえ、別にいいんですよ。

輪廻が好きな人はそれはそれでいいんです。

輪廻が嫌な人は解脱を目指しましょう、って話だと思いますよ。

you********さん

2018/2/1913:11:41

お釈迦さまの『阿含経』に、
「因果応報なるが故に来世なきに非ず。
無我なるが故に常有に非ず」
意訳
蒔いたタネは必ず結果を生ずるから、「死後は無になる」という
ことはない。固定不変の我というものは存在しないから、「死後、
霊魂なるものが存在する」ということはない。

これは仏教という教えは、
後生を否定する「断見外道」でも無いし、
後生変わらぬ魂が存在するという「常見外道」でも無いことを
説かれた経文とその根拠です。


「断見」「常見」の「見」とは、見解・考え方・思想の意。
「外道」とは、仏教以外のすべての宗教を言います。
その外道と内道について以下をお読み下さい。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q121820350...

エセ仏教、ウソ仏教も外道に入ります。

断見外道…「死後は無になる」という考え。無の見とも言われます。
常見外道…「死後、肉体滅びても常一主宰(固定不変)の霊魂が存在する」
という考え。

お釈迦さまのおられた当時のインドには九十五種の外道があったが、
「断見外道」と「常見外道」に大別されます。
仏教はどちらでも無いと釈迦は明言されたお言葉です。

因果の道理に従ってやった行為が「業力」となって次の生を生み出すの
です。因果応報ですから、蒔いたタネは必ず後生に現われるのです。


龍樹菩薩は、この釈迦の教えの通り、「常見(有の見)」「断見(無の見)」
いずれの外道をも徹底的に打ち破られ、真実の仏法を鮮明にされたので、
親鸞聖人は、『正信偈』に
龍樹大士出於世…龍樹大士、世に出でて、
悉能摧破有無見…悉く能く有無の見を摧破し、
宣説大乗無上法…大乗無上の法を宣説す。(弥陀の本願を説かれた)

と龍樹菩薩を褒めたたえておられます。

仏教は三世を貫いている永遠の生命を説く。それは「暴流(滝)の如し」と
いわれるように、阿頼耶識(本心)に身口意の三業(行為)が業力となって、
業種子が常に変化し続いていくから、固定不変のものでは無いのです。

釈尊は阿頼耶識は「暴流の如し」と教えておられます。
滝は一見、布を垂らしたように見えるが細かい水滴が連なって流れている
それと同じように我々の阿頼耶識は身口意の三業の業種子が次から次と
連なって絶えず変化を繰り返し、三世を流転しているのだと仰っています。

他の回答者
>人は死後どうなるのか?といった疑問を提示する人も居ましたが、
ブッダはそれには答えませんでした。これを「無記」と言います。
「無記」自体が答えなのです。無記も重要な教えなのです。


上記に対するお釈迦さまの別のお言葉がいくつもあります。
『賢愚経』に
「諸々の比丘よ、如何なる喩えと雖も、如何に地獄の苦なりやを説くこと
能わず」
意訳
本当の地獄の苦しみは、どんな喩えでも説けない」ということであります。

また『賢愚経』に
「強いて、地獄の苦を説いて頂きたいと釈尊にお願いすると、
お釈迦さまは
朝百本の槍で突かれるのだ。昼もまた百本の槍で突かれ、夜に百本の槍
で突かれる苦しみを何と思うかと尋ねられると、お弟子はわずか一本の
槍で突かれてさえ大変な苦しみなのに一日、三百本の苦しみは想像も及
びません、というと、石ころを一つ取られたお釈迦さまは、地獄の苦し
みはあのヒマラヤ山の如しである」とおっしゃったとあります。

心も言葉も絶えてしまいます。
これだからお釈迦さまは地獄の苦は説けない」と仰っているのです。

地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上界と際限なく輪廻を繰り返すのです。

この迷いの輪廻を断つには人間界に生を受け、仏法を聞いて弥陀に救わ
れる以外に出離する機会はありません。

『華厳経』に
「人身受け難し、今 已に受く
仏法聞き難し、今已に聞く
この身今生に向かって度せずんば
更にいずれの生に向かってかこの身を度せん」
意訳
生まれ難い人間に生まれ、聞き難い仏法を聞くことができた。何がなん
でも今生で救われねば、いずれの生で救われようか。永遠のチャンスは
今しかないのだ」と仰っています。


また別の回答者は、
>ブッダは、その存在論を、輪廻を否定する無常、としました。
輪廻することが良いか悪いか、ではなく、輪廻など存在せず、「人間死ん
だら終わり」、なのです。

とありますが、「輪廻を否定する無常」と、何を仰っているのか
分かりません。

善導大師は弥陀に救われた「証し」を「二種深信」が立ったかどうかで
決まるのだと仰っています。

【機の深信】
「自身は、現にこれ罪悪生死の凡夫、昿劫よりこのかた、つねに没し、
つねに流転して出離の縁あること無しと深信す」(機の深信)
意訳
「今までも(過去世)、今も(現在世)、今からも(未来世)、救われること
の絶対に無い極悪最下の自分であった、とハッキリした」のを
「機の深信」と言われています。
たとい十方衆生が助かっても絶対助からぬ自己がハッキリしたこと。


【法の深信】
「彼の阿弥陀仏、四十八願をもって衆生を摂受したまうこと、疑いなく、
慮無く、かの願力に乗ずれば、定んで往生を得、と深信す」
意訳
「この世も未来も、絶対の幸福に救い摂るという、弥陀の誓い真実だっ
た、とハッキリした」のを法の深信といわれています。
いつ死んでも弥陀の浄土間違いなしとハッキリする。

簡単に言えば
〇過去も今も未来も金輪際助からぬ自分がハッキリしたこと。
〇弥陀の浄土間違いなしと現在も未来もハッキリしたこと。
の二つにツユチリの疑いが晴れたことを機法二種一具の深信と言う。

分る人には分るし、分らぬ人にいくら述べてもわからぬ心の世界です。


参照:『親鸞聖人の花びら』より抜粋。

誤字あればお許し下さい。

wal********さん

2018/2/1615:32:01

ご質問は「輪廻」であって「転生」ではないですね?

輪廻というのは「プロセス」ということです。
食べ物をすっぽらかしにしておけばカビだらけになり
乾涸びます。
これも小さい意味で輪廻です。

人間の細胞を形作っている原子や超微細なものは
一瞬に誕生し一瞬で滅しています。
あなたも私も生まれた瞬間から死に向かって変化し続けています。
この「変化する」ということが輪廻です。

あなたは川を見ています。
あなたが生まれた時から見て来た、見慣れた川です。
けれども、あなたの目の前を通過した一滴の水は再びあなたの目の前を
通ることはありません。
見慣れていようとも、瞬間瞬間に新たな水ということです。
原因があり(因)、条件があり(縁)、結果に至る(果)、
これを「縁起」といいますが、目に見えるもの全てがこの縁起
によってなりたっています。
この縁起によって形成されたもの(人間、動物、植物、星、月、太陽等々)
は必ず変化し(諸行無常)、変化するから苦がわき(一切皆苦)ます。

>輪廻してしまうのは良くないということなんですか?

良いとか悪いとかではなく、それは自然の摂理だということです。
「苦」というのはとても深い意味が有ります。
人間の望むことは「得ること」で有り「続くこと」です。
良い学校に行きたい、良い友人が欲しい、かっこいい車に乗りたい、
彼女が欲しい、結婚したい、子供が欲しい、家が欲しい、そして
それらが叶うと、それが続くことを願います。
ところが友人関係は些細なことで壊れ、かっこよかった車は故障し、
あれほど愛し合った妻とは離婚し.........というように、よくても悪くても
変化し続けます。
それを釈尊は「苦である」と見抜いたのです。

aho********さん

2018/2/1612:56:06

ブッダは、その存在論を、輪廻を否定する無常、としました。

輪廻することが良いか悪いか、ではなく、輪廻など存在せず、「人間死んだら終わり」、なのです。

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