大名の石高の直轄領と家臣団の割合はどのくらいでしょうか?

大名の石高の直轄領と家臣団の割合はどのくらいでしょうか? 例えば、徳川家800万石の半分が直轄領、残り半分が家臣団だったんですよね。ということは大体5分5分でしょうか?

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大名も旗本も徳川に従う家臣ですので、幕府直轄領は幕末の時点で400万石余です。その意味では幕末の石高3000万石の内、皇室領を除くすべての大名領・旗本領・寺社領・公家領は幕府より領知安堵されているわけで、幕府の直轄領は3000万石の内の400万石、すなわち12.5%に過ぎないという計算も成立します。 一方主だった大名の所領を内高をベースとして直轄領(蔵入地)の割合を計算してみると 明治元年(1868年)の加賀金沢藩(富山藩・大聖寺藩を除く) 総石高 135万3352石余 直轄領 49万2600石余(36%) 給人地 85万6000石余(63%) 寺社領等 4751石余(1%) 宝暦12年(1762年)の尾張名古屋藩(御附家老領を含む) 総石高 90万1249石余 直轄領 41万3475石余(46%) 給人地 48万2185石余(53%) 寺社領等 5587石余(1%) 嘉永2年(1849年)の薩摩鹿児島藩(琉球を含む) 総石高 88万8990石余 直轄領 32万2391石余(36%) 給人地 45万5653石余(51%)(役料等を含む) 寺社領 1万6623石余(2%) 琉球国司高 9万4322石余(11%) 貞享年間(1684年頃)の仙台伊達藩(一関藩を除く) 総石高 93万5383石余 直轄領 27万8809石余(30%) 給人地 65万5131石余(70%) その他 1442石余 寛永2年(1662年)の長州萩藩(諸支藩を含む) 総石高 65万8299石余 直轄領 19万4564石余(30%) 大体のところ、所領を持つ上級武士の家臣団には60%~70%近くの石高を割き、大名の直轄領は30~40%程度に過ぎません。さらに直轄領の収入から下級武士の扶持を払うわけで、意外と大名が自由にできる収入は少なかったということになります。 なおここに挙げた5藩の中でも、尾張藩の直轄領の割合が例外的に多いですが、これは「高概し」というみなし石高の切り上げにより、強制的に家臣団の所領を召し上げるということを行ったためです。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

素晴らしい回答ありがとうございます また、分かりやすい回答よろしくお願いします

お礼日時:2018/3/17 9:54

その他の回答(1件)

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それは間違い 天下人や戦国大名(外様)の家臣には 大名もいるので 直轄領 と 家臣大名(譜代)の領地を 分けて表記する場合があるだけで 大名ではない者に 独自の領地はないです。 家臣団の領地? そんなもんは存在しない… 例えば、彦根藩を治めるのは 徳川四天王の井伊直政を祖とする 『井伊家』 徳川家臣の井伊家の彦根藩は =徳川家の領地でもあるという話 正確には、 半分が徳川家及び松平家(一族)の領地 半分が徳川家臣の大名(譜代)の領地