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インドのヨガ行者が著した「あるヨギの自叙伝」を読み、何気にふと疑問に思った質...

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ID非公開さん

2018/3/2914:25:37

インドのヨガ行者が著した「あるヨギの自叙伝」を読み、何気にふと疑問に思った質問です。

自叙伝は一般的にどれくらい正確に書かれているのが実情でしょうか?

それは本による、一概には言えない、、、といえばそれまでですが、一般的にはどうなのでしょうか。上に挙げた書は、長年にわたる著者の経験、体験をもとに、詳細かつ正確に、驚くほどの再現性をもって書かれています。何十年もの長き歳月の中で交わされたであろう無数の会話を、なぜあのように緻密かつ詳細に書くことができるのか不思議でなりません。いつごろ何について語ったなど大まかな部分は記憶に残りもするでしょう。ただ、誰が何をどういう言葉で語ったなど、一言一句まで正確に、まるでテープ録音を文字に起こしたかのような会話は覚えているものでしょうか。そこに創作はありませんか?


一般的に、多くの自叙伝はどれほど正確に書かれているのか、はたまたかなりの部分(特に人々と交わされる会話の文言など)は創作なのか、知りたく思います。ここでいう創作の定義は、ありもない会話をでっちあげたということではなく(もちろんそれも創作に含めます)、会話の部分が多少なりとも脚色されているかどうかという意味であり、テープに録音された言葉を書き起こしたように一言一句正確な会話‘ではない‘ということです。

先に書いたように一般論でしか回答できないことなので それでかまいません。

ちなみに上の「あるヨギの、、、、」(翻訳版)は、500ページからなる長編です。 しかも1ページ1ページが上下2段に分けられ小さな文字で書かれているので、実質は千ページ以上の単行本に匹敵すると思います。

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ベストアンサーに選ばれた回答

tet********さん

2018/3/2916:49:11

同じような類の自叙伝に、物理学者ハイゼンベルクの「部分と全体」があります。半世紀近くにもわたる会話が克明に再現されています。

物理学者である湯川秀樹が、この本に寄せる序文で、「この対話の行なわれた場面の情景描写の鮮明さに驚かされる」と述べています。

「序」のエピグラフには、ツキジデスの次のような言葉が引用されています。

「ところで、語り合った言葉の一言一句を、耳証人として正確に記憶にとどめておくことは私には不可能でした。そのため、私は推測によって、それぞれの情況の下で最も適当であろうと思われるように、個々の話し手に語らせることにしました。そのさい私が努めたのは、実際に述べられた思想の展開に、できる限り密着するよことでありました。」

どこまで実際の会話と一致しているかは、ハイゼルベルクの場合は、上記エピグラフのとおりでしょうし、「あるヨギの自叙伝」の著者はまた別かもしれません。本人にしかわからないことを、一般論で片づけること自体無理がありますが、図抜けた記憶力の持ち主である事だけは確かでしょう。

  • tet********さん

    2018/3/2917:20:41

    一部訂正

    誤:できる限り密着するよことでありました

    正:できる限り密着することでありました

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質問した人からのコメント

2018/4/2 22:17:36

なるほど。よくわかりました。 ところで、ハイゼンベルグの自叙伝は知りませんでした。そちらのほうも並みの書ではなさそうですね。 機会があればぜひとも手に取ってみたく思います。時間をかけじっくりと味読してみたいものです。 ありがとうございました。

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