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【 インド歴史】 アレキサンダー大王の軍隊が現在のパキスタンに逗留した時代の王...

モリリンさん

2018/4/1407:33:33

【 インド歴史】
アレキサンダー大王の軍隊が現在のパキスタンに逗留した時代の王国名を教えて下さい。

またその頃はアレキサンダー自身もそこへ行ったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

fig********さん

編集あり2018/4/1802:10:03

アレクサンドロス大王が中央アジアからインドへ遠征したとき、インドでは十六大国があったと言われています

北西インド、パキスタンにあたる位置には十六大国の内、カンボージャ国とガンターラ国があったとされていますが

アレクサンドロス大王が来たときにはその王国も小さな王国に分裂していました

大王がインドへ入って大きな都市タキシラの王タキシレスは直ぐに大王に臣従、領地は安堵されます
タキシレスは中の悪かった隣国のポロス王を大王の力で滅ぼそうとします

そこでアレクサンドロス大王とポロス王との間でヒュダスペス川の戦いが勃発
大王はポロス王を破りますが、滅ぼさず領地を安堵

タキシレスはそれでもポロス王を亡き者にしようと大王が帰路について大王が任命したマケドニア人のインド太守エウダモスと結託してBC317年にポロス王を暗殺します

しかしタキシレスの支配も長くは続かず
ガンジス川河口流域で栄えていたナンダ朝を滅ぼしたチャンドラグプタがマウリヤ朝を成立させインダス川流域にも進出

BC315年頃この地帯はマウリア朝支配下に

アレクサンドロス大王が崩御後、ディアドコイ(後継者)戦争でバビロンを占拠し、東方のマケドニア人とマケドニアに臣従する現地人の支配地域の平定を目的に遠征してきたセレウコスとチャンドラグプタが交渉

西方にディアドコイ(後継者)で最大勢力を持つアンティゴノスとの戦いを控え僅かな兵力で遠征してきたセレウコスはチャンドラグプタと戦うよりは既にチャンドラグプタが支配している地域を認め友好関係を保つ方が得策と

戦象500頭と調教師を貰う代わりにチャンドラグプタのガンターラやカンボージャ地域の領域支配を認め、相互の王族が婚姻(エピガミア)と相互に大使を交換する友好条約(ピリア)を締結します

セレウコス側から初代大使としてアラコシア太守シュビルティウスの配下のメガステネスを任命され

メガステネスは後にインド誌を著作してインドの動植物や風俗、カースト制などの存在を西洋に伝えました

セレウコス朝とマウリア朝の友好関係は長く続き、アショーカ王の時代の碑文にもセレウコス朝と交易が行われていたことが記されています

質問した人からのコメント

2018/4/19 16:28:36

思ってたより複雑なんですね。 ありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

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kaz********さん

2018/4/1409:04:49

マガダ国のマウリヤ朝だったかな。

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