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武田信玄が三河に侵攻した際、家康のいる浜松城を無視したのは、経済力不足(弾薬...

huj********さん

2018/5/1600:11:50

武田信玄が三河に侵攻した際、家康のいる浜松城を無視したのは、経済力不足(弾薬不足など)で浜松城を落とせるだけの準備が出来ていなかったから、だったんでしょうか?

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bou********さん

2018/5/1612:48:26

信玄が上洛作戦を実施した時点で、
彼は結核ともガンとも言われる病魔に冒され
しかも出陣は秋でした。

彼は織田家との決戦だけではなく、
自身の寿命とも戦わねばならない状態でしたから、
厳冬期になるまでにとにかくひたすら
京へ接近する事を最優先にしたため
浜松城をスルーしたのでしょう。

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loo********さん

2018/5/1617:11:04

Q『武田信玄が三河に侵攻した際、家康のいる浜松城を無視したのは、経済力不足(弾薬不足など)で浜松城を落とせるだけの準備が出来ていなかったから、
だったんでしょうか?』

それは違います。

「三方ヶ原の戦い」の後にその地で年を越し
300程の兵で篭る小城の「野田城」を3万の兵で1カ月かけて
「地下道」を掘るなど悠々と攻めているようで
更に、その間に野田城救援のため「後詰」に出た
「家康」も撤退しており
「武田軍」の優位は見て取れます。

「浜松城」より野田城を先に攻めたのは
以前も野田城を攻め落としており勝手知ったる攻城戦であり
浜松城へ迫る前にその後詰となりうる城や「国人衆」を
従属させたかったためと思われます。

信玄の侵攻は「道を作り、敵陣に長期滞在し国人衆を調略し
最後に主城を攻め落とす」といった戦術に見えるので
そんな感じだと思います。

「敵陣に長期滞在し国主と国人の仲を断ち切り、
それら敵国人を自軍に引き込み領土拡大・・・」これが
当時の武田軍の侵略方法であったように見えます。

kn3********さん

2018/5/1612:37:15

信玄の攻略目標が信長だったからでしょう。

信玄の目論見では、窮地に陥った徳川家康の救援要請に応じて出てきた織田軍との決戦が今回の戦の主目的です。
織田軍主力を壊滅させれば、もともと包囲網で窮地に陥っていた織田は、離反が相次ぎ瓦解することでしょう。
当然、後ろ盾を失い、かつすでに三方ヶ原で大敗した徳川は、織田が負ければ持ちません。
つまり、織田軍さえ破れば、あえて時間と損害を出して浜松城を落とす必要はありません。


さらに、先に書いた通り、武田軍の目的は、織田軍との決戦に勝つことです。
ということは、少なくとも数万で駆けつけるであろう織田軍との決戦前に、兵数で対して優位ではない武田は、攻城戦で戦力を消耗するなど愚の骨頂です。


もう一つ、武田軍は、このまま前進すれば、敵領地を100kmも前進し、堅城岐阜に数万でこもる織田軍と戦うことになります。
つまり、依然浜松には家康が健在で、その状況で前進するには補給線を放棄することになり、短期での岐阜城攻略は、兵数的に不可能です。

また、浜松を攻略していたのでは決戦前に兵を消耗し、かつ遠征期間が長期間となり兵站上、武田軍には無理があります。

ということで、武田軍のもっともよい状況は、家康に援軍要請させて、浜松付近まで出てきた信長を討つことです。


で、史実はというと、信長はそれを百も承知で、岐阜から動きません。
そして、手詰まりとなった武田軍は、たった500の兵のこもる野田城をちまちま攻略し、徳川に援軍要請を出させようとしていたと。

shi********さん

2018/5/1611:34:46

だいたい、皆さんのご回答の通りですね。
家康の籠城策の勝利と言えます。

上田城にしろ、大阪城にしろ、城を落とす、というのは大変なことなのです。
なので、「城」は戦国時代で戦略上重要な武器だった分けですね。
秀吉が大阪城を作ったのもこのためです。

江戸時代、江戸幕府が城の建築に神経質だったのもこのためです。

なので、秀吉は、鳥取城、高松城、小田原城で、
「戦わずに落とす」戦略を立てるのです。

puk********さん

2018/5/1611:17:55

他の回答にあるように、攻城・籠城戦では、籠城側が有利。よく言われるのは、攻城・籠城とでは、3:1の兵力差でイーブンだと言われている。三方ヶ原の戦い後、信玄軍は東三河の野田城を攻めており、これを落としている。

攻城・籠城戦では、我慢比べの部分があるが、もう一つ後詰ー援軍による救援が問題になる。

というのは、攻城側が背後から後詰に囲まれれば、やはり数に勝るといえども、かなり不利になる。野田城を攻め落とそうとしているところに、浜松から徳川本隊が後詰に来られたら、撤退せざるを得なくなっただろう。となると、信玄が野田城を攻め落とすためには、浜松の徳川本隊と織田の援軍の兵力をできる限り削ぎ落とし、できれば戦闘不能にした方がいい。

ちょっと待て!浜松城は岡崎城と並ぶ本城なのだから、落とさないでどうする?となるかもしれない。

しかし、このときの信玄の侵攻は西上作戦の一環で、本命は信長。もちろん、今川領の侵攻で生まれた家康への遺恨もあった。しかし、このとき信長の強力な同盟相手である家康を叩く以上に、三河を制圧することが信玄にはかなり重要な意味を持っていた。

というのは、三河と尾張の国境には、尾張東部になだらかな丘陵地帯があるのみで、天然の要害となる山や大きな河川がない。
そのため、岡崎まで落とされると、信長の命運も尽きることになってしまう。畿内を放棄して、尾張・美濃に帰らざるを得なくなる。

野田城を攻め落とすことで、浜松と岡崎を結ぶ街道が封鎖されるため、信玄は野田城を攻め落とす必要があった。だから、浜松よりも野田城を攻め落とすことに第1の戦略目標を置いたと考えられる。

では、問題はいかに浜松の徳川本隊と織田の援軍の戦力をそぎ落とし、戦闘不能にさせるか?攻城ではあまりにも無駄が多い。となると、徳川・織田軍を城からおびき出し、野戦に持ち込む必要がある。そのため、浜松城を素通りし、徳川・織田軍をおびき出したわけである。

浜松城は三方ヶ原台地の東端にある。三方ヶ原台地というように高低差があるのだが、三河に向かう途上で、台地から降りる必要があり、街道を細長い隊列を作りながら行軍するところを背後から襲えば、兵力差があっても十分勝機があると家康は踏んだのだろう。そのため、家康は野戦にうって出た。

しかし、信玄の方が一枚上手で、台地の西側で軍勢を取って返し、布陣して待ち構えていた。

このとき、徳川・織田軍は鶴翼に布陣し、武田軍は魚鱗の陣をとっていた。そのため、兵が少ない上に、兵が分散されていては、徳川・織田軍は不利になる。なんでこんな布陣を家康がしたのか?と考えると、行軍中一番厄介なのは、後ろから攻められることである。そのため、最後尾の部隊は常に先行する部隊を安全に行軍できるまで、その場に残り追撃を待ち構える必要がある。家康はこの最後尾の部隊を殲滅するために、鶴翼に陣を敷いて、包囲するためだったと考えられる。

この三方ヶ原の戦いで徳川・織田軍は戦闘不能となり、野田城は攻め落とされ、三河と遠江は分断された。さらに、東三河の拠点の吉田城、そして本城の一つの岡崎城まであともう少しというところまでとなり、家康はもちろん、信長もかなり危機的な状況となった。つまり、信玄の算段通りとなったわけである。遠江や三河は、尾張まで侵攻すれば、そのあと思い存分、切り取り放題とできる。今川領の侵攻で遺恨を残した家康の所領も首も時間の問題となっただろう。ところが、信玄にはその時間が残されていなかった。

おそらくであろうが、信玄は出陣のときから、自分の寿命を感じていただろう。あと、1年、時間が残されていたのなら、家康どころか信長も屈服させることができると踏んでいただろう。だから、最短で三河と尾張に到達できる作戦が必要だったと考える。

しかし、信玄の寿命を大きく短くした要因に、朝倉義景の近江からの撤退が考えられる。この知らせは、信玄を大きく落胆させることになったと想像ができる。

三方ヶ原の戦いの半月ほど前に、朝倉義景は近江から撤退し、信玄は朝倉義景に三方ヶ原の戦い後に非難の書状を送っている。おそらくであろうが、三方ヶ原の戦いの直後に、朝倉軍撤退を知ったのであろう。

実際にこの辺りから、武田軍の侵攻が緩やかになるとともに、信玄の体調不良が目に見えてわかるようになったと言われている。朝倉義景の撤退は信玄にとって最大の誤算であったと考えられる。

t34********さん

2018/5/1610:57:48

騎馬隊が実力を発揮できるのは、野戦。
攻城戦では、機動力を生かせない。

野戦に持ち込むため、浜松城を無視する振りをして、家康の目の前を通過して見せた。

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