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サトウキビは江戸時代の「商品作物」ですか? 水田に比べ、畑の年貢は安かった...

pog********さん

2018/5/3018:50:26

サトウキビは江戸時代の「商品作物」ですか?

水田に比べ、畑の年貢は安かったので金になる商品作物が作られました。木綿、紅花、藍・・・です。サトウキビは「商品作物」にならなかったのですか?

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edo********さん

2018/5/3019:00:48

サトウキビは江戸時代中期以降に琉球より伝わり遠州・駿河・紀州・和泉、のちに四国に渡り讃岐・阿波などが主要産地となりました。

畑の産物なので小物成と同じ扱いです。商品作物と言えます。

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tos********さん

2018/5/3021:45:55

サトウキビではなく、サトウキビから作った和三盆(糖)です。

※参考に、和三盆(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E4%B8%89%E7%9B%86

※静岡県でも作られていました。(白下糖)
http://www.tokusanshubyo.or.jp/jouhoushi12/j12-42.pdf

pla********さん

2018/5/3020:28:36

江戸時代、サトウキビは商品作物でした。

鹿児島藩最大の特産品砂糖は天保期改革の目玉商品で、大坂商人たちとの大きな取引材料が道之島(奄美の呼称)砂糖でしたし、良質の砂糖をいかに高く販売して収益の増加をはかるかが、当面の改革成功の最大ポイントでした。こうして採用されたのが奄美大島・喜界島・徳之島の3島産砂糖の惣買入制すなわ専売制でした。奄美大島における製糖法の伝来は慶長年間と言うのが通説ですが、現在は元禄三年(1690)~同四年説も有力です。砂糖生産の開始と同時に鹿児島藩庁はその買入れに着手したと考えられますが、開始時期は明確でなく、史料的に確認できるのは正徳三年(1713)です。

鹿児島藩以外の和製砂糖は8代将軍吉宗が享保年間に初めて甘蔗苗(サトウキビ苗)を駿河国に配布して試作させたのが起こりと言われ、その後、明和期に遠江国でも甘蔗栽培が始まりますが、産業としても砂糖製造が軌道に乗ったのは文化・文政期以降と言います。鹿児島藩庁は和製砂糖の広がりを抑制するため内々に幕府に手を回し、農政学者大蔵永常の著した製糖書「甘蔗大成」の出版停止を計ったと言います。天保五年(1834)と天保十一年に幕府は本田畑における甘蔗苗植え付けの禁止令を通達しています。

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mek********さん

2018/5/3019:02:32

サトウキビは亜熱帯地方でしか栽培できない。つまり沖縄だけの特産品。薩摩藩は琉球王国のサトウキビから黒糖を製造して薩摩藩特産品として売りさばいた。

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