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東京の落語家で名人と呼ばれる人はなぜ人情噺で売れている人なんでしょうか? ...

hes********さん

2018/5/3100:21:49

東京の落語家で名人と呼ばれる人はなぜ人情噺で売れている人なんでしょうか?

上方みたいに落とし噺、などで名人と呼ばれる人は東京にはいないのでしょうか?

先代の三平は爆笑王などと言われていましたけど、落語での売れっ子では無いと思います。

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tok********さん

2018/6/109:14:31

五街道雲助師匠が「雲助、悪名一代」の中で書かれていますが、雲助師匠の最初に覚えた『道灌』を五代目小さんが主任(トリ)でやっていたと感心しておられます。

昔の東京の寄席は、一ヶ月の興行で客を呼ぶために長講の噺で続き物を主任を務める”名人”がやっていました。長講になるとどうしても”人情噺”が多くなり、いつのまにか落語通振る人々の間で”人情噺”のできる噺家が名人だという本末転倒の状況が生まれました。

これが、今も連綿と”落語通”と称する方々に受け継がれている「人情噺が上等、滑稽噺は下等」という風潮の元だと思います。

5代目小さん師匠や小三治師匠は、狸であろうと杭であろうとその者の”了見”になれるかが問題であって、滑稽噺か人情噺かの問題ではないと仰っています。

雲助師匠は、『最近では”人情噺”という語感から演者もお客様も誤解をしている所があるようで、人情噺を演じるとすぐに”泣かせ”にかかる噺家が増えてきた。以前のお客様は噺家が人情噺で泣かせにかかると眉をひそめる方が多かったものです。中には席を立ってしまう聞き巧者の方もありました。所が近頃は、お客様の方で”さぁ、泣かせて下さい”と云う方が増えてきました。それに合わせて噺家も露骨に泣かせにかかります。中には落し噺で泣かせにかかったりもします。』と仰っておられます。

長くなりましたが、”人情噺”をする噺家と”名人”というものは別物だと思います。

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yan********さん

2018/6/122:09:34

必ずしも人情噺で売れてるからといって”名人”といわれるっていうものではありません。

時代によって”名人”といわれた人たちの中には滑稽噺や新作落語の上手な落語家がいわれた時代もありました。


落語界も昔から新しい協会を作ったり、はたまた分裂したりの繰り返しです。

昭和5年に東京落語協会(落語協会の前身)から日本芸術協会(落語芸術協会の前身)が独立したんですが、その日本芸術協会の会長の春風亭柳橋、副会長の柳家金語楼が新作落語で人気がありました。

その後も芸術協会は新作落語での人気落語家、古今亭今輔が会長になり次も新作落語での人気がある桂米丸が会長になりました。

その伝統的な流れで落語芸術協会は新作落語を演る落語家が多いんですが、1960年代のテレビ演芸ブームに対する反動としての評論家による「本格古典落語」称揚の動きは、いつしか「新作派が強くタレント落語家が多い」芸協を、落語協会よりも一段低く見るような風潮を生んだんですね。

古典落語を演じている落語家だけを”評論家や落語通”と言われる人が(自分で言うだけなんですが)、『名人』とよぶようになっています。

落語芸術協会は落語協会に比べて人数が少ないのと、新作落語を演る落語家が多く、落語協会は落語家が多く、なおかつ古典落語を演る落語家が多いからでしょう。

落語の『名人』は誰がどんな基準で決めるんでしょうね。

ましてや『人間国宝』と認定された落語家は、なれない落語家となにが違うのでしょう。

昭和の爆笑王といわれる落語家は『名人』とは言われませんでしたね。

落語の『名人』には将棋の名人のような決まった基準があるわけではありません。

誰かが名人といっても、それを認める人もいれば、そうは思わない人もいます。

他人の評価など気にせず、お好きな落語家でおたのしみを。

blu********さん

2018/5/3119:35:39

噺家の名人と言われたのは、惚れ惚れする語りで聴く者を唸らせるタイプの噺家が多いので、確かに人情噺を売りにする噺家が名人と言われたケースはあります。ただ遡れば、先代の金馬や先代の小さんは、滑稽噺が絶品でしたし、先代の文楽も人情噺を得意としていた訳ではないです。さっと小粋な滑稽噺で、噺の世界に誘って酔いしれるような高座を楽しませてくれる、そんな噺家が名人と言われていたケースの方が多いように思います。

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inc********さん

2018/5/3116:57:23

志ん生さんも、爆笑王だったかな?

nak********さん

2018/5/3105:41:36

落語は1680年頃、発生したようです。
まず京に露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ)、大坂に米沢彦八(よねざわ ひこはち)、やや遅れて江戸に鹿野武左衛門(しかの ぶざえもん)という噺家があらわれました。ちなみに三人とも上方の出身です。
川原や神社の近くといった屋外に天井のないかんたんな小屋を立て、道ゆく人たちに謎掛けや小噺をしてみせ『辻噺(つじばなし)』を聴かせて人気を博しました。

が、鹿野が江戸へくだり、場所を座敷に移して『座敷噺(ざしきばなし)』を始めました。
客層は、お金持ちの商人というような風流人・趣味人が多かったようです。ですから自然と、粋で洒落ていて、人情を語ってホロッとさせるような話芸が喜ばれ、これが『江戸落語』の性格に、こんにちまで影響を与えていると思います。

上方の方では道ゆく不特定多数の人々の足を止めさせて聴かせようというのですから、笑わせ、喜ばせ、とにかくウケることを前提にしていました。小拍子や張り扇を鳴らし、三味線や笛、太鼓といった楽器も入る等、とにかく賑やかに噺をしました。これが『上方落語』の性格に深く根ざしているように思います。

ひと言でいうと、粋をたっとぶ『江戸落語』と、笑いに特化した『上方落語』ということが出来ましょうか。
もちろん『江戸落語』にも笑いはありますし、『上方落語』にも人情を描いたものはたくさんありますが、傾向として、そういう性格の差はあります。

ですから『江戸落語』では人情噺の名手が名人上手とされ、噺家も人情噺の出来ることを、ある種のステイタスのように扱われています。

しかし例外もいます。昭和の名人、五代目柳家小さん(やなぎや こさん)師は、滑稽噺を専ら得意としており、押しも押されもせぬ第一人者となって、のちに落語界で初めて人間国宝に選ばれています。

落語は1680年頃、発生したようです。
まず京に露の五郎兵衛(つゆの ごろべえ)、大坂に米沢彦八(よねざわ...

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