ここから本文です

足利義満のwikiを見ると 1367年に 義詮が死去し、義満が第3代将軍として足利将軍...

アバター

ID非公開さん

2018/6/321:43:02

足利義満のwikiを見ると
1367年に 義詮が死去し、義満が第3代将軍として足利将軍家を継いだとあるのですが
1369年に征夷大将軍に任じられています

将軍と征夷大将軍って違うものなんでしょうか?

閲覧数:
57
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

zun********さん

2018/6/413:23:59

任免に関する部分だけは「征夷大将軍」という正式名称をもちい、それ以外では略称の「将軍」としているのでしょう。

当時の義満は幼少のために無官であり、いきなり高位である将軍職とはいかない事情がありました。そのためのタイムラグだと思われます。
義詮は死の直前には義満を左馬頭に任官させていますが、これは義詮自身が将軍職への階梯として登ってきたコースであり、事実上の将軍後継指名にあたります。

先の回答も指摘するとおり文章の校正の問題ともいえますが、それだけではないと考え得る事情も実はあります。


というのも、義満は将軍職を義持にゆずっても依然として足利氏の家督を保持していたとされ、義持も義量が亡くなると再度当主におさまりますが将軍職は空白だったなど、足利宗家の家督と同時に将軍職を同一人が務めると決まっていなかったのです。

極端な話ですが、義満はひとまず家督だけを継ぎ、将軍職は中継ぎの誰かが継承する、最悪の場合は一門の誰かにのっとられるという道も、まったく無かったわけではないでしょう。
とりわけ室町幕府には、鎌倉公方が宗家の家督や将軍職を狙っているという慢性疾患がありました。

ですので、wikiの記述は一見すればくどい文章ですが、表面に現れない事情も考慮している可能性が、なきにしもあらずです。

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

nic********さん

2018/6/507:33:00

鎌倉時代以降は「将軍=征夷大将軍」です。平安時代には一般的に「将軍=鎮守府将軍」ですが。

この文章で言う「将軍家」はあくまでも「足利将軍家」であり、家督を継いだこということです。
将軍家は頼朝の正当な後継者で征夷大将軍になる事ができる家ということで、必ずしも家督掌握者が将軍であるとは限りません。

syh********さん

2018/6/400:32:26

将軍を出す足利家の家督を継いだもので将軍ではありません。

2018/6/322:05:33

おそらく、実際の職務を継いだ時期と、正式の称号を受けた時期が、ズレていたということでしょう。

1367年に足利家の当主になって、内々に将軍としての職務を引き継いだ2年後になって、正式に朝廷から征夷大将軍に任命された、という意味だと思います。

確かにわかりにくい書き方ですが、そうとでも取らないとおかしいですよね。

この質問につけられたタグ

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる