ここから本文です

旅順、203高地はどのような戦いだったのですか?大砲撃ちながら万歳突撃しながら特...

yur********さん

2018/7/120:41:00

旅順、203高地はどのような戦いだったのですか?大砲撃ちながら万歳突撃しながら特攻隊のごとく突っ込んでいった戦いのように思いますが、日露戦争はあそこを落とさないとどうしても勝てなかったのですか?海軍の頭

脳戦のおかげでやっと勝てた印象があります。具体的に教えて下さい

閲覧数:
391
回答数:
4

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

2018/7/310:49:54

某有名書籍などで「乃木大将はアホ」「白襷隊とかで目立って馬鹿な突撃を繰り返して無為に殺させた」という趣旨で書いてあるせいで、多くの人が「馬鹿みたいな突撃を繰り返していた」と勘違いしていますが、当時としては優秀な戦略であり、乃木も手が無い中で勝利に貢献した知将でした。

日清戦争では世界初の近代艦隊同士の戦いとなり、日露戦争は近代艦の本格的な戦いで世界で3例目、勢力が拮抗している大艦隊同士の戦いでは世界初でした。また陸上では機関銃とコンクリート要塞を世界で初めて攻略したのはまさに日本軍の旅順攻略だったのです。

日露が第0次世界大戦と言われているのも、関係国が多数に及んだことと共に、世界初の列強同士の近代戦争であったことも関係しています。つまり、乃木や児玉たち将たちにとっても、世界で例もない戦いを短期間でどうにかしろという無理難題だったのです。

今で例えるなら、「3年前に発明・完成した兵器で固められたアメリカの月面要塞を1カ月で占領しろ」と言われるくらいの話です。ロシア側も守備は当然初めて、日本側も初めての戦いです。誰も、方法もルールも知らない中で全ての機器や兵器、兵員の士気などを把握して戦わねばなりませんでした。

ロシアも初めてであるということから、ロシアの守備側もかなりおそまつでした。ちゃんと守っていればまず突破されなかった戦争ですが、ロシア側も何をしていいか分からず、結局203高地と旅順攻略で日本軍並みの大量の戦死者と捕虜を出して大敗北します。



海軍は日本海海戦で快勝していますが、それ以前はなかなかにおそまつで接雷で2隻も主力戦艦を自滅させてしまっています。6しかない主力艦のうち2を事故同然に失い、閉塞作戦は失敗。対するロシア軍は3個艦隊(日本総戦力の3倍)で、手傷を負った日本海軍4に対してロシア帝国軍艦隊は20隻近い主力艦隊を持っていると思われていました。

陸軍は実働可能なロシア軍100万人以上に対して日本軍は20万人、本国防衛は捨てて予備役も全部投入して30万人の兵員を大陸に送り込んでいます。

これで勝てたのですから太平洋戦争も勝てそうな気がしてしまいますね。太平洋戦争は無謀とか言われていますが、差で考えたら日露戦争のほうが圧倒的無謀でした。

実際には先に戦われた黄海海戦でロシア太平洋艦隊は壊滅しており、戦力を喪失していて無力だったのですが、日本海軍から見ると旅順港湾要塞に逃げ帰って守備を固めているだけに見えました。



旅順攻略を任されたからにはどうにかしないとならない。しかも港湾閉塞(船を港入口に沈めてロシア艦隊が動けなくなって戦わず無力化する方法)は失敗したので、さっさと砲撃してロシア艦隊を潰さないと、今度は日本海軍がそこから動けず(実際は無力化されていましたが動いたらロシア艦隊が出撃して日本本土は終わると思われていた)、ロシア太平洋艦隊ウラジオ別働艦隊が日本近海で日本軍輸送艦を次々沈めたり、東京湾沖に出現してちょっかいを出している始末。これを対処しに動けば戦力は半減し、日本艦隊は全滅します。

海軍は身動きが取れず日本海はロシア艦隊に制圧されているも同然で、輸送はできません。兵員も輸送途中に何度も襲われて沈みました。

旅順にいる将兵には「短期間で援軍なしで装備なしで要塞攻略をしないと日本は亡国」と伝えられていました。しかし海軍が蔚山沖海戦でロシア別働艦隊を全滅させると、ようやく兵員輸送と補給、そしてお台場の対艦砲台を移動させることもできるようになりました。



旅順要塞は鉄壁で、何度も斬進攻撃と突撃、発破を繰り返していましたが、なかなか短期間では攻略が難しい状態に見えました。

日本軍は徹底した砲撃の後に正攻法のほか塹進攻撃や爆薬投擲などでいくつかのトーチカや陣地を破壊・占領し、逆襲してきたロシア軍を返り討ちにするなど健闘しましたが、旅順のコンクリート城壁や司令部は無傷でした。

この時代、最先進国のイギリスをはじめ列強は第一次世界大戦の攻撃でも分かる通り「機関銃に対して正面射撃の正攻法が最も優れた要塞攻略法」とされていたので、日本軍は工兵土木攻撃を世界より先んじて重視していたので世界より先進的と言えました。

守備が手薄な高地を攻略し、28センチ榴弾も使って砲撃を開始しましたが一部しか観測できず、港湾要塞全容を見渡せる地点を確保することが必要になりました。


地形観測の結果、203高地に陣地を取ると旅順港湾要塞が見渡せるため、そこで距離観測をして艦隊に向けて砲撃すると敵艦隊を追い出し、入口で待ち受けている日本艦隊の集中砲火で倒せるという目論みがありました。

旅順要塞の目的は港湾要塞を守るためであり、日本軍も旅順港湾要塞にいる敵艦隊の撃破が真っ先にやるべき目標なので、要塞は放置しても203高地を奪えば目的は達成するはずでした。

日本帝国陸軍第三軍は203高地へ攻撃目標を移し、ロシア軍もこれに呼応してこの地を守るために大部隊を差し向けて守備しました。日本軍は砲撃を徹底的に行った後、突撃を慣行しました。砲撃した穴に隠れながら弾幕を避け、爆弾投擲で敵陣地を破壊していきます。無作為に突撃したわけではありませんでした。ルート構築を行い、後続の部隊が通れる道を作りながら進撃したのです。

ロシア軍もこれらの穴や影を潰すために交戦し、多大な戦死者を出していました。鉄条網は簡単に敷設できるのに砲撃などではびくともせず、困難を極めましたが、一つ一つ攻略していきました。

203高地は日本軍が頂上を奪還してもすぐにロシア軍の反撃に遭うなど激戦が繰り広げられました。ロシア側もここが奪われると砲撃が可能になってしまうので、必死です。ここが落ちればロシアからすれば要塞の意味そのものが無くなってしまい降伏も検討せねばなりません。

ロシア軍は守備側から攻撃側に転じ、不利な足場から突貫攻撃を仕掛けていきましたが守備側圧倒有利につき次第に兵力を失い、日本は203高地を完全に奪取。観測攻撃が可能になりました。通信ロープを敷設し、通信を確保して観測結果を後方に打診。28センチ榴弾を港湾要塞に撃ちこみました。

ロシア艦隊はこの攻撃でほぼ壊滅(元から無力化されていましたが)。脱出した艦も港湾の外で包囲攻撃されて滅亡しました。これにより、日本海軍は派遣されてくるバルチック艦隊と1対1で戦えるようになりました。(※兵力はすでに失っている日本海軍に対して無傷なバルチック艦隊は、それだけでも不利が予測されました)

旅順要塞の意味は無くなり、ロシア陸軍の本隊はここを見捨てました。死ねと言われたも同然な日本軍第三軍に対し、死ねと言われたも同然な旅順守備隊が応戦しました。

日本軍は28センチ榴弾を要塞攻撃にも使用し、コンクリート胸壁も粉砕しつつ全てを見渡せる高地を利用して大小の榴弾砲による曲射をもって要塞は火の海になっていきます。

日本軍は要塞攻略を胸壁およびトーチカ、要塞施設を砲撃と爆破により完全に破壊した後に突撃を行うと方針転換しました。というのも艦隊は壊滅させ日本海軍は自由に動けるようになり、目標は達成できたので急かされる理由が無くなったからです。対するロシアは援軍が望めない中、無謀な防衛を強いられます。

日本軍は陣地攻略も慣れてきており、旅順の前衛要塞(望台:展望トーチカ等)を奪うと要塞内に突入しました。ロシア軍は数百人全滅など、ロシア側は玉砕攻撃に転じていきます。

ロシア側は既に203高地奪還作戦でほぼ兵力を喪失しており、更に日本軍の28センチ榴弾砲のやまない砲撃(これによりロシア側上級司令官も死亡)や斬進攻撃と爆弾敷設による地下からの陣地崩落などで戦闘前に半数以上が爆砕されるか生き埋めになっていきます。

耐えても耐えても死を待つばかりのロシア軍は決死攻撃隊を組んで日本軍に対抗し、玉砕全滅していきました。この健闘は後に日本軍司令官の歓心を買って、名誉ある降伏(帯剣して退去)を許されるほどでした。

日本軍はほどなくして要塞本隊の防壁を突破・占領し、それでも抵抗するロシア兵を全滅させていき、ついにロシア司令官のステッセリは降伏をし、旅順要塞は攻略されました。

優秀な要塞も砲撃や爆破と人員不足で陥落することが分かり、後にドイツ軍なども参考にしました。

質問した人からのコメント

2018/7/8 15:23:56

この回答は多くの日本人が読むべき
解説だと思いました 
当時に関する見方が一変しました
圧倒的不利ななか
精一杯戦ったわけですね

ベストアンサー以外の回答

1〜3件/3件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

2018/7/311:07:47

児玉源太郎が参謀を派遣して指揮を引き継ぐまでの前期と後期に分かれます。

前期は乃木軍の参謀が着弾計算ができないバカばかりだったため、砲撃の援護が受けられず、大砲なしでの徒死突撃です。

乃木軍の司令部はバカ揃いでも現場の指揮官には工夫を凝らす者もおり、塹壕を掘って近付いて一時的に203高地を占拠したことも何度かありましたが、無能な司令部が援軍を送らなかったため壊滅しています。

後期はひたすらに大砲の雨あられです。
乃木軍の司令部がそれまで戦死者数を過小に報告していたため、つじつま合わせに後期でも死傷者が出たことに改竄されていますが、実際には後期にはほとんど出ていません。

旅順要塞は封鎖だけすればよく、当初は本軍から封鎖の命令が出ていましたが、乃木軍の無能な司令部が戦端を開いて無駄な戦いを始めたものです。

旅順に逃げ込んだ旅順艦隊はバルチック艦隊以上のポンコツ艦隊であり、合流されても全く脅威になるものではありませんでした。
海軍はバルチック艦隊到着まで暇を持て余しており、暇潰しに旅順艦隊を叩きたかったため追い出すように要請しただけであり、203高地の帰趨は日露戦争自体の帰趨に影響を与えるものではありませんでした。

ロシア海軍は旧式のポンコツ揃いであり、日本も海軍の活躍で勝ったわけではありません。
むしろ、最も勝利に貢献したのは秋山兄弟の兄の方の秋山好古です。

zez********さん

2018/7/121:05:30

旅順は本来日本からすれば「絶対に落とさなければならない」かというと「落とせるなら落としたいけど、別にそこまでは…」という拠点だったのですが、海軍が黄海海戦でヘマをやって旅順艦隊を全滅させられなかったために「バルチック艦隊と旅順艦隊の生き残りが同時に出てきたら日本海軍では勝てない、だからバルチック艦隊が来るまでに旅順自体を占領して旅順艦隊を全滅させろ」という無理難題が陸軍に与えられてしまったんですね。それ故に、要塞攻略の基本である「塹壕を掘って接近し、城壁の下に爆薬を仕掛けて崩して突破口を開き守備兵を削って陥落させる」という戦法が使えず(時間がかかるので…)、多大な犠牲が出るのを覚悟の上で正面攻撃を繰り返すしかないという状況に陥ってしまいました。

203高地は旅順港内を観測できる拠点で、旅順近辺から大砲を撃って「旅順港内のどこに落ちるか」を観測できればそれをもとに修正射撃をして「旅順港そのものを占領しなくとも旅順艦隊を全滅させられる」んです。なので、203高地を確保してそこからの観測で旅順艦隊をつぶそうと意図したんですね。

……なお、203高地をめぐる争いでロシア軍旅順守備隊は手持ちの兵力を大きくすり減らすことになり、203高地からの観測射撃で旅順艦隊の壊滅を日本側が確認した後には正攻法で攻める日本側に抵抗できず降伏しています。
で、旅順艦隊ですが、実は黄海海戦で受けたダメージが日本側の予想以上に深刻で、旅順を陥落させずとも再度の出撃ははじめっから不可能だったりします。ここらへんの情報を日本側が正確に把握していれば旅順戦はやらずに済ませた可能性もあったかもしれませんが、「自分たちがどれくらいダメージを受けたか」はどこの軍隊でも何が何でも隠すものですし日本側はあてずっぽうで最悪の展開を招いてしまうことだけは避けなければいけませんでした。そういうわけで、旅順では多くの血がながれることになります。

iko********さん

2018/7/120:51:04

大砲撃たないでバンザイ突撃です

大砲は旅順港にいるロシア艦隊攻撃用です

旅順を狙える位置があそこからしか無かったんで

隣の丘から撃ってみたら
島の影になって当たりませんでした

旅順は要塞化されてて日本軍の能力では奪取不可能
艦隊が突撃しようにも
守りが強すぎて艦隊の全滅は必至

そんでドイツのクルップから買ってきた長距離砲で
旅順を狙える位置があそこだけだった、というわけで

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる