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60年安保闘争から平成景気(90年)までの代表的な市民運動と変遷について教えて下さ...

cul********さん

2018/7/1318:57:30

60年安保闘争から平成景気(90年)までの代表的な市民運動と変遷について教えて下さい。
よろしくお願いします。

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ID非公開さん

2018/7/1408:38:17

市民運動を、政党や労組、宗教団体、地域的な集団といった、特定の組織を持たない人々が集まって、政治や社会にたいしてもの申す、異議申し立てを行うことである、とします。
運動の持続期間が短い特徴があります。

60年安保闘争の時、民主主義を破壊して日米安保体制を構築しようとする岸自民党政府に対し、全学連や労組・政党が激しい抗議運動を全国規模で展開していました。

その運動(デモ行進)の高揚を見ながら、居ても立ってもいられなくなった東京の住民数名が銀座をゆくデモの隊列の最後に「どこにも入れないひとは、私達と一緒に歩こう」と書いた横断幕を広げて歩いたら、解散地点に到着したら100人を超える集団になっていた・・・ これを「声なき声の市民の会」と自ら名付けて、どこにも属さない人々が、規則などでお互いを拘束しない運動が発足します。

ついで66年に、南ベトナムでの反政府・独立運動に米国が軍事介入することに反対する「ベトナムに平和を市民・文化団体連合」が、作家の小田実と哲学者の鶴見俊輔のよびかけで発足します。

二人は米国留学経験者で、拘束性のない柔軟性が学生や一般市民には魅力的でした。
マスコミの報道と広範な反戦感情の支援を受けて運動体として成長、NYタイムスに反戦広告を載せるなど、世界的規模で反戦運動を展開できる位置にまでなります。
いっぽうで原子力空母の寄港など佐藤政権の一方的な米国への協力があり、国内で反米反政府感情が高揚し、運動の他分野への拡張を抑えるのに苦労したようです。(米脱走兵の支援活動など関連運動ではやむなく別組織を結成する)

このべ平連運動の特徴は、規約も明確な指導者もない参加者の自発性に頼った運動で、デモやビラなど手作り感が満載であったことです。

この自由さ、組織の柔軟性が、それ以降、各地の反公害運動、高速道路高架鉄道への反対運動から 弱者支援といった多様な運動を生むことになります。

一時期に平和利用として歓迎された原発は70・80年代の(TMS、チェルノブリ)大事故を受けて、建設反対の市民運動が立地自治体でおき、ついに住民投票の実施にまで拡大しました。

80年代の市民運動で効果的だったのは、薬害エイズ患者支援運動で、ついに厚生省が過去の政策の過ちを謝罪する破目になります。

ざっくりしたまとめですみません。

質問した人からのコメント

2018/7/15 10:24:00

助かります!ありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

iko********さん

2018/7/1321:58:20

1円玉を使わないようにしよう運動


ホントにあったんだよ

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