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死刑の是非について昔から議論になりますが、「人を殺してはいけない」が前提なら...

kit********さん

2018/7/1409:38:41

死刑の是非について昔から議論になりますが、「人を殺してはいけない」が前提なら、自動的に「死刑はダメ」が結論だと思います。

しかしながら死刑廃止論は昔から噴飯物であるし、死刑肯定論は「人を殺してはいけない」という前提と矛盾します。
ならば、「人を殺してはいけない」という前提を疑うべきなのではないでしょうか。
そもそも、ここでいう「人」とはどのような存在なのか。
多少の過ちはあっても、人の道から外れずに生きている方々のことだと思うのです。
宮崎 勤や宅間守のような外道は、人の道から外れているのだから、人とは呼べません。
ということで、「人を殺してはいけないが、人非人は殺してもよい」で解決ではないでしょうか?

【参考】もとより智徳の両者は人間欠くべからざるものにて、智恵あり道徳の心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人といふ。(福沢諭吉『文明教育論』)

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tam********さん

2018/7/1411:45:45

死刑存置派です。

自分は、俗に呼ばれる人権派の立場から、死刑存置を求めています。
ですから、「人を殺してはいけないが、人非人は殺してもよい」という考えは持ちません。
「故意に人を殺してはいけない」この価値観を社会を構成する個人が揺るぎなく強く持つことは、安心で安全な社会を構成するのであれば、非常に重要だと考えます。

大抵は「人の命を奪ってはならない」というとき、それは「生きている」人の命を奪ってはならない、ということですよね。当たり前ですけれども。

「死んでいる人にも命がある!殺すことができる」
「死んでいる人にも人権がある!死人の生命権を守れ」
と言うのは、確かにおかしな話ですw

ですが、死刑というのは、改めて指摘するまでもなく「命ある者の命を奪った罪に対して、死刑は適切なのか?」です。
確かに、裁判になる時点で、被害者は死んでいる。命も人権もない。
ですが、病死など自然死した人の命と、生きている者の命を比較してどうこう言う話でもない。

裁判時に、被害者が既に死んでおり、人権を失っているのは、その者が殺害したからであり、その者の罪を問う際に、「被害者はもう死んでいるので仕方ない、死んでいるのだから人権はない」という考えから、罪の重さを割り引くのであれば、それは、その者が殺さなければ生きていた被害者の命と人権を軽視しているような違和感を市井の人々には与えます。法学的な解釈が、どうあろうともです。

死刑存廃とは、被害者の命を奪う罪とは、どれほど重いか?被害者の人権を奪った罪とは、どれほど重いか?が起点です。
それがなければ、死刑は発動しないのですから。

たとえば相模原障害者殺傷事件。17人の施設生活をしていた重度の障害者が殺害されました。
加害者側に共鳴するような発言をする者が後を絶たない。
仮に、この犯人の責任能力を認めながらも死刑判決を出さないようであれば、俺は日本という社会、国、司法のモラルを疑います。
重度障害者の命を軽視しすぎていると感じるからです。

殺害された障害者は確かに社会に貢献できないかもしれない。人の手をかりなければ生きられないかもしれない。ですが、死刑になるような犯罪を犯す者のように、自らの意思で選択しそうなったわけではない。
何より、命とは、誰にとっても、その当人には、唯一無二の代えの効かないものです。そこから「命は尊い」と我々は考え、それを守ることを良しとしているのだと、俺は思います。

俺自身は、死刑についても、生きている価値がないから殺すのではなく、その罪の重さを踏まえれば、生きている価値があっても死刑にしなければならない、という視点です。

他方で、故意に人の命を奪う重大な過ちを犯した者にも、更生のチャンスを与える寛容の精神も社会には必要であると考えます。
でも、それは、死刑になっても当然なところ、できる限り、更生のチャンスを与えて生かしてやろうとしているだけ、という見方をしています。

そして、殺人犯罪の中には、いかに情状酌量しようとも、「死刑相当としなければならないような重大な犯罪行為は存在する」と考えます。ゆえに、死刑制度の維持を望みます。


死刑廃止は、一見「人命の尊さ」を歌っていながら、人を殺すことは何故悪いのか?の理由、そして、命の扱いを根本から変えてしまいます。

地下鉄サリン事件、前述の相模原障害者殺傷事件の動機を考えればわかると思いますが、彼らは「自分には人を殺す権利(正当性)がある」と考え犯行に至っています。

人を故意に殺害する者、したがる者に対して、
死刑廃止は「その者を殺害しても、我々はあなたを殺しません。あなたの命は尊いからです」という状況があるからです。

一方、死刑存置は「その者の命を奪えば、お前の命もなくなると考えなさい。お前が殺そうとしている者の命は、お前の命の価値と等しく尊いからだ。お前が殺そうとしている者の命は、お前より軽いわけではない」とつきつけているわけです。
俺は、そちらの考えにこそ、命の尊さ、平等を保全しようとする社会正義を感じるのです。

死刑判決を受けるものが2%程度であっても、それは
「死刑になって当然のようなことをしていながら、社会の温情によって死を免れた」だけであり、「社会の温情によってチャンスを与えられたのだから、しっかり更生しろ!」という見方を失ってはいけないと思います。

死刑廃止をすれば、「生きている者を殺してはならない」ということを絶対視するあまり、社会的には「人を殺しても、殺されなくて当たり前」となるだけです。

  • 質問者

    kit********さん

    2018/7/1523:29:27

    TVに出てくる人権派は変な人ばかりなのに、市井の人権派には理性的な人がいるのだな、と思いました。
    私は宅間守の命は犬のウンコ以下だと思っているし、宅間守より尊い犬のウンコですら掃除の対象になってしまうのだから、宅間守はこの世から消え去って当然と思っています。
    回答者様と私の考えは異なるようですが、相手の態度が理性的で言説が論理的なら、「いい話が聞けた」と思えることがわかりました。

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質問した人からのコメント

2018/7/16 09:02:42

まさか回答が20件もつくとは思っていませんでした。
その中で、最も真摯さが伝わってきたので、ベストアンサーだと思います。
他の回答者様も、ありがとうございました。
また、自分の考えと同じ人が少ない事を確認できたのは良かったです。
私本人は「よし、これで解決だ!みんなも同意してくれるよ!」くらいの気持ちでしたから。
それにしても、返信がつくとドキドキしますね。「さらにやられるんじゃないか」みたいな。

ベストアンサー以外の回答

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ngp********さん

2018/7/1608:58:38

〉心あらざる者は禽獣にひとしく、これを人非人といふ。(福沢諭吉『文明教育論』)

↑こう言うものを、通常、『ヒトモドキ』と呼称します。

mop********さん

2018/7/1608:53:25

こういう詭弁を弄する奴ってのは、

たいていの場合、論理的にしゃべっているようで、どこか1箇所また複数箇所、明らかにおかしいところがある

>>宮崎 勤や宅間守のような外道は、人の道から外れているのだから、人とは呼べません。

ここ↑が間違っているのだ

諭吉の言うのは道徳上であって、法律上、詫間や宮崎にも当然人権はある

tra********さん

2018/7/1522:03:15

死刑肯定論を維持するのに、「人を殺した」人は人非人という人の枠から外して「人を殺してはいけない」前提を犯してはいないとする主旨は奇異に感じます。
その前提は全員に当てはめられなければおかしいので、「人を殺した」時点で前提を崩しているので、自動的に「死刑はダメ」の結論に行きません。不定問題の一つです。
「人を殺した」人の質が変わったのは理解できますが、依然として「人」でしょう。
決められた前提から外れた部分を、元の前提で処理しようとする事に矛盾が生じます。だから「人を殺してはいけない」という前提を広げる必要が死刑制度を維持する為に出て来ます。

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jry********さん

2018/7/1521:13:51

「人を殺してはいけないが、人非人は殺してもよい」
ではありません。

死刑存置する国では
「社会(共同体)の人々の生命権を守るため、
故意の殺人者は、義務として死刑を承諾している」
ことになるのです。

死刑は社会(共同体)が殺人者に与えたわけではなく
殺人者が死刑になる罪を選択・実行し、その時点で義務として
死刑になることを受け入れ(承諾し)ているのです。

※社会(共同体)が死刑を選択し、実行したわけではありません。

質問の冒頭の言葉に戻ると
「人を殺してはいけない、但し私の生命権が危険な時、
正当防衛は許される」ということになります。

これを社会(共同体)に置き換えてみると、
社会(共同体)に生きる人々の生命権を守るため
「故意で(凶悪な)殺人を行った者は、義務として死刑を承諾
することを(予め)刑法で決めて良い」となります。

これに対し、死刑廃止国では
「どんなに凶悪で多数の人を故意に殺した者でも、死刑にして
はいけない」とルールで決めています。

つまり、社会(共同体)の人々の生命権が危険であっても
殺人を犯した人を死刑にしてはいけない(生命権を守る)
とルールで決めています。

重要なのは(どちらが正しい、間違っているではなく)
・どちらが社会(共同体)に生きる人々の生命権を守っているか
・国民がどちらを選ぶか
だと、思います。

但し、社会(共同体)が全滅になる罪を犯しても、殺人犯の
生命権は守る(死刑にしてはいけない)」とのルールを為政者
が制定することは社会(共同体)の人々の生命権を守って
いるかとの疑問が残ります。

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tom********さん

2018/7/1512:14:53

「人非人」の基準問題ですね。
別の種族や別の宗教を信じる人間を人非人にカテゴライズしてるのが現実の世界。

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