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明治時代の高等学校について質問です。

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ID非公開さん

2018/7/2003:46:36

明治時代の高等学校について質問です。

明治35年くらいの高等学校入学、また卒業年齢は何歳だったんですか。
また書生という居候的な若者がいたそうですが、そういう人は何歳くらいの人が多かったんでしょうか。

お詳しい方教えて下さい。宜しくお願いします。

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ベストアンサーに選ばれた回答

2018/7/2211:52:36

明治35年くらいの高等学校への進学者の年齢は広い。

後に名を遺す人の多くは、小学校を卒業してすぐに、尋常中学校にすすみ、17・8歳ぐらいで、高等学校の課程に進んでいる。

明治30年代中ごろまでは、高等教育の制度化があまり進んでいないかったので、世間的に言うと、このコースは超エリートのコース。

多くは、尋常中学校、或いは師範学校や実業学校を終えたのち、一旦職に就き、準備学校などに通い高等学校に入る者も少なからずあったとされている。


明治30年代後半以降は、公務員採用試験:文官試験なども制度が整備され、
高等学校⇒帝国大学⇒官僚・教員・財閥系職員などのルートが確立され、
同時に、旧制専門学校の制度が確立されたので、私立の中等教育期間も正式な制度となり、準備校の存在感が希薄になった。


書生は、都会地に多かった専門学校などに通う地方の生徒を地方出身の篤志家が住居の一角に学生を住まわせことを多く指す。

学年が上がり、将来を嘱望される学生に住居を提供する有力者もいた。
当時は所得格差が大きく、官僚などでも、中堅以上のサラリーマンであれば、女中・下男を置くことも多く、書生(或いは食客)を置き面倒を見ることはステータスの証でもあった。


官立の高等学校の多くは、第1学年を寮に入れることも多かった。
(第一高等学校の第一学年は全寮制、東京出身者も強制入寮)
これは、当時学生・生徒用の賃貸居住施設が一般的でなかったも理由の一つ。
(学問に専念できる環境提供としていたし、一学年の入学者が140・50人程度で寮で受け入れ可能だった)

学年が上がり、下宿をするようになった学生も、書生と呼ばれた。
こちらは下宿代を自費で払える環境にあった学生。

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    質問者

    ID非公開さん

    2018/7/2223:08:34

    なるほど、非常に分かりやすかったです。自分でもネットで検索してはいたのですが、良く分からなかったので、大いに参考になりました。有難う御座います。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

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ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

gor********さん

2018/7/2005:35:49

当時の高等学校の入学年齢は順調に進めば小学校6年、中学5年を卒業してからなので17歳か18歳と言うことになります

中学4年修了から合格した人は1歳若く入学できました

書生とは政治家や実業家の屋敷に住み込みで働いていた学生、受験生、故郷から呼び寄せた若者などの事です

屋敷の内外の力仕事、ボデーガードなどをしていました

後に偉くなった人がいっぱい出ました

返信を取り消しますが
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