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長篠設楽原の戦いで織田の援軍が来る前に長篠城を落として兵を長篠から引いたらど...

n00********さん

2018/9/900:14:23

長篠設楽原の戦いで織田の援軍が来る前に長篠城を落として兵を長篠から引いたらどうなりますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

川崎さん

2018/9/908:41:11

前年の第一次高天神城の戦いと同じパターンですね。

高天神城を囲む武田軍に対し、徳川家康は織田信長に援軍を催促しました。
信長は援軍を率いて高天神城に向かいましたが、結局間に合いませんでした。

このためか『参州長篠合戦記』には、長篠合戦の際に家康は、信長に「援軍を早く出してくれないと、徳川は武田に降るしかありません。」と脅迫じみた援軍要請をかけています。

この他にも、大賀弥四郎事件や、「信康事件武田黒幕説」があるように、この頃の徳川家や徳川家臣団には、織田への不信感が根付いていたと推察されます。

もし、信長が援軍を出し渋ったり、間に合わなかったとしたら、徳川の織田離れが進みます。

また、地元の武士「国衆」たちへの影響も大きいかと思います。
この頃は、忠義よりも土地への執着が強い時代です。
国衆たちは、自分の領地を保護してくれる変わりに、大名に協力しています。
もし、仕えている大名家が頼りなく、自分の土地を守ってくれないとしたら、その時は容赦なく裏切ります。

そのため、長篠城の落城により、三河や遠江の国衆は「家康は頼りない」と思い、国境の国衆が徳川から武田に寝返り始め、徳川領の崩壊が進みます。
特に、奥三河や遠江の掛川周辺の国衆は、寝返る可能性が高かったと思います。

また、織田領も東美濃の岩村城周辺は武田優位に進んでおり、東美濃や飛騨の国衆も武田に寝返ったかもしれません。

場合によっては織田徳川の清洲同盟崩壊や、徳川家臣によるクーデターも考えられます。

このように、まずは徳川に従っていた国境の国衆が武田に寝返り、徳川家はさらなる窮地に陥ったでしょう。
さらに、進退極まった徳川家は、外交方針の転換や、家臣団によるクーデターの危険が高まりました。

質問した人からのコメント

2018/9/9 22:29:40

なるほど、詳しくご解説いただきありがとうございました!

ベストアンサー以外の回答

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武蔵さん

2018/9/907:35:15

落とせなかったから織田の援軍が来たのです。

織田の援軍が来る前に長篠城を落とせば落とした長篠城に武田が守備兵を入れて守らねばなりません。当然織田・徳川連合軍が長篠城を囲みますから武田は長篠城救援に向かい、やはり長篠の合戦が起こり、鉄砲保有率で勝る織田・徳川連合軍に負ける。

結果は同じです。

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