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江戸時代の札差ってどうやって儲けてたんですか?

hpa********さん

2018/9/1319:37:07

江戸時代の札差ってどうやって儲けてたんですか?

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edo********さん

2018/9/1319:54:15

旗本・御家人の給与である蔵米を本人に代わって受け取るときに手数を
取ります。またその米の売却も任されていたので、売却の手数料も入ります。しかし旗本・御家人に蔵米(次年度以降の分)を担保にして融資して、その利息などが最も大きな儲けです。いつの時代も金融は儲かります。

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lab********さん

2018/9/1805:52:45

大名家相手の高利貸し。

pla********さん

2018/9/1322:59:49

幕府公認の札差業は俵取りや扶持米取りの下級幕臣の給与米を代理で受け取ると共に、食扶持以外の余分の米も、幕府勘定所の御張紙値段で売却の請け負いもしていました。受け取り代行手数料は100俵に付き金1分、売却代行手数料は100俵に付き金2分でした。この札差業は享保九年(1724)に株仲間として公認され109人もいましたが、後に96人となりました。江戸時代中期頃からは、物価の変動が大きく、俵取りや扶持米取りの下級旗本や御家人などに生活に困窮する者が多く、札差に前借したり借金するも者が続出し、そのために下級旗本や御家人などはいよいよ生活苦に迫られました。札差を幕府公認した時に貸金の金利を年15%としましたが、それでも下級旗本や御家人などは苦しむので、寛政六年(1794)には年10%に規定し、天保十三年(1842)には10%以内としました。札差たちはこれに対して、自分たちが他から資金の融通を受けて、貸金を行っているような形式にし、御蔵米(給与米)を受け取った時に返済すると言う証文の奥印をして謝礼金を取りました。そして証文を書き替える毎に礼金を取ったので、幕府の決めた利息は15%や10%以内でも、礼金を加えると大きくなり、そして三月期の証文の書き替えに20%ぐらいの手数料を取ったので、1年で利息と礼金または証文書き替え手数料で、借りた金額ぐらいになりました。こうした暴利を貪るので、札差の中には見る見るうちに大金持ちになる者がいたそうです。

札差の利益と言うものは下級旗本や御家人たちの御蔵米(給与米)の受け取りまたは売却を取り扱う代行手数料がありますが、これはたいしたものではなく、その重用な部分は御蔵米を抵当に貸し付ける金利・礼金・証文書き替え手数料などにありますが、その額は非常なものでした。それで蔵前の旦那衆(札差たち)と言えば、いずれも奢侈を極めたもので、富裕な資産家のみでした。なので札差たちも下級旗本や御家人たちへの貸し付け金を歓迎しましたが、そうかと言って、無暗で危険な融資はしていませんでした。たいていの札差たちは対象者の下級旗本や御家人給与米の倍ぐらいまでを見当として融資を行っていました。

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