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江戸時代の江戸の街の飲料水は、遠く奥多摩から延々と引いてきて江戸の地下まで持...

qpz********さん

2018/9/3012:46:33

江戸時代の江戸の街の飲料水は、遠く奥多摩から延々と引いてきて江戸の地下まで持ってきたものを使ってたようですが、単純に江戸の人って何故病気にならなかったのですか?また、汚いとは感じな

かったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

aji********さん

2018/9/3015:33:34

「細菌」「感染」がまだ西洋医学においても発見されていないので、衛生の観念が現在とは違います。
それゆえコレラが猛威をふるい、江戸でも人口の四分の一が死亡するような事態になっています。

感染状況から飲用水による感染ルートがあったと推定されています。

澄んでいれば「清潔な水」というようなことはなく、登山をする人であれば判ると思いますが上流に人家や山小屋が無い沢の清純な水でも、動物の糞便から感染することがあります。

あと井戸水だから綺麗だ、ってことは無いですよ。
「○○の天然水」なんてのも、CMで作られたイメージです。水道水なみの近代的な浄化をして製造しています。

江戸時代の上水は鉛管などによる密閉ではないですから、どうしても下流になるほど汚染されます。
明治初期の写真を見ればわかりますが、上流では子どもが泳いでいますからね。金肥を田畑に撒いていたわけで、それが舞い上がって流入しないということはないでしょう。

>単純に江戸の人って何故病気にならなかったのですか?

これはそういうものだとしか。現在の東京でも空中には糞便、唾、痰などが乾燥して粉状になって舞っていますが、べつに病気にならないのと同じです。
つまり人間の適応と耐菌力です。

だいたい昭和になったって「生水は飲むな」が常識だったわけですけどねえ。
なんで日本は完全清潔の国だなんて妙な信仰が生まれたんでしょうか。

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sei********さん

2018/9/3019:13:04

私が泳ぎを覚えたのは、多摩川の中央線の鉄橋の下(現日野市)のあたりです。もちろん戦後のことです。清流でした。多摩川の水質汚濁は沿線の宅地化と、電気洗濯機(合成洗剤)の普及が主な原因で、高度成長の副産物でした。

han********さん

2018/9/3015:35:10

玉川上水っていうのの構造は、普通の小川ですよね。
自然にできたわけじゃなくて、人為的に掘ったにせよです。
水道管なんてない時代です。
一部石をくりぬいたり木管を使用したりした部分があるにせよ、
ほとんどが普通の小川でした。

つまり玉川上水だけが非衛生的で、
日本全国の他の小川は衛生的だったわけではないわけです。

ojy********さん

2018/9/3014:31:06

玉川上水は管理がしっかりしていたし
それが普通で生まれ育つなら汚いとは感じないでしょ

インド人がガンジスを汚いと思ってますか?

細菌感染で死んだとの回答がありますが
風邪などの空気感染
食中毒らしき死亡事例はありますが
西洋みたいに汚物汚染された水道での感染例は見たことがない
これは爆発的に広がりますからすぐに分かる
あと細菌という観念はなくとも衛生という観念はありましたよ

あとボウフラとの回答もあるが
井戸と言っても流水
流水にボウフラが湧く訳がない
これも適当な回答ですね

そもそも、 病的な潔癖症は今の日本人だけ
こちらの方がよほど異常

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mek********さん

2018/9/3014:19:39

日本列島は島が丸ごと無菌室なのでお腹を壊すことはあっても病気にはならない。また飲料に利用するのは湧き水・井戸がメイン。開国するまではペストもコレラもありません。災いは全部白人が海外から持ち込んできたのです。そんな訳で日本人は赤ん坊と同じで警戒心を持たない。

kor********さん

2018/9/3014:12:07

江戸時代は何度も何度も細菌感染による流行病で多くの人が死んでいます
でも、汚染された水を飲んで病気になり、それが原因で死亡しようとも、そんなことを気にしない社会であり時代だったまでですよ
昔は本当に簡単に人が死んでいた
死んでもその原因が分からないし(細菌という概念がないですからね)、分からないから「運が悪かった」で済まされていた
だから科学的な原因究明もなされない

現代でもしも上水が汚染されていたのなら、保健所が調査する、マスコミが注意喚起する、行政が対策を取るとなりますが、その時代はそんな水を生活用水にすること自体が普通であり、またそんな水でも生き延びることができる、耐性のある人だけが生き残ってきたまでです
(言ってしまえば乳幼児で自然淘汰され、体力のない人や老人は簡単に死んでいった時代です)
しかも細菌という概念がないから、長屋など井戸のすぐそばに共同便所やゴミ捨て場が設置されていたりもします
参勤のために江戸に向かう地方武士も江戸の水質の悪さには閉口したようで、簡易濾過器を持参したり、湯冷ましを飲むなどして対策しています

天保8年の『江戸愚俗徒然草』という書物にも、江戸の水道が上流の汚水が流れ込んでいたり、雨の日は濁り水で不潔な代物であると書かれているなど、等の江戸住民すら悪い水であることは自覚はしていたようですが、そうはいってもその水を使わなければ生活ができないのですから、妥協するしかなかったまでです
ちなみに明治11年に東京帝国大学のアトキンソン教授らによって、神田・玉川の上水を調査したところ混入した汚水によって飲用不可という結果です

ようするに簡単に人が死ぬ時代だから、いちいち気にもしていなかったし、耐性のある人が生き延びてこれたんですよ

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