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法華経は釈迦が説いたと言われていますが、原始仏教からすると100%違うようです。

mzo********さん

2018/11/507:57:20

法華経は釈迦が説いたと言われていますが、原始仏教からすると100%違うようです。

日蓮も、その法華経を自分の都合の良いようにアレンジしており、創価を始め日蓮関係の信者たちが、信用している法華経は更に釈迦の真意とは懸け離れた内容となっているのは間違いないようです。

私も数十年に渡り法華経を根幹とした信者の方々の経緯や末路を見て来ましたが、多くの不幸に見舞われ、お布施などに大切なお金を奪われ悲惨な生活をされていました。

釈迦は「自らを灯明とし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、
法を灯明とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」

と言われています。

間違った経典や御経を読むと本来、幸せな生活を送れるはずなのに、敢えて不幸を呼び込むような作用があると思えてなりません。

皆様はどのように思われますか?貴重な御意見を聞かせて下さい。よろしくお願いします。

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zys********さん

2018/11/521:55:54

>原始仏教からすると100%違うようです。

「原始仏教からすると」ではなく、考古学、文献学、経典、などの
研究により、現代ではほぼ間違いなく釈尊の直説ではありません。
釈尊滅後およそ500〜600年くらい、つまり西暦1世紀から2世紀
ごろの成立とされています。

>法華経は更に釈迦の真意とは懸け離れた内容となっているのは
間違いないようです。

これは法華経にかかわらず、大乗経典はほとんど釈尊の思想と
かけ離れています。
その根底には仏教衰退期にヒンズー教を混入させたことに
よります。
それが一番濃いのは密教ですが、大乗仏教には多かれ少なかれ
密教色があります。

釈尊の教えというのは本来宗教でも信仰でもありません。
「私はこうして苦を滅した。その方法を教えるからトレーニング
して「みんなも苦を滅尽しなさい」というものでした。
それが神を拝むように信仰になってしまったのです。
日蓮さんも密教の影響を強く受けていますので「祈りによって願いを
叶える」という本来仏教にはなかった色合いがあります。

さてこう書くと一見否定的に思われるかもしれませんが、そうでは
ありません。
多くの人が悩み苦しみから安寧を得られるなら大乗仏教の
存在意義は十分あると思います。
ただ成仏となると?????です。

  • 質問者

    mzo********さん

    2018/11/615:15:11

    素晴らしいご回答をありがとうございます。
    とても参考になります。

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質問した人からのコメント

2018/11/10 21:27:25

ありがとうございました。

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lio********さん

2018/11/700:17:42

法華経では妙法の流布と妙法への帰依が説かれているのですから、釈尊の悟った法そのものですよ。

世の中、何にでも高下浅深ありますが、法華経は釈尊の最高の教えを説く経典です。

釈尊滅後、後の五百歳という年代の世界に生まれた末法の衆生を広く救うための究極の教え、それが法華経であり南無妙法蓮華経です。

日蓮大聖人は経王殿御返事にて、「但し御信心によるべし」と仰せです。

それを一々疑って、楽しい時だけ信じるけど、苦しい時には信じないとしたら、それは信仰ではないでしょう。楽しい時も苦しい時も信じるのが宿命転換への早道です。

日蓮大聖人は四条金吾殿御返事にて、「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」と仰せです。

日蓮大聖人は顕仏未来記にて、御自身のことを「日蓮は名字の凡夫なり」と仰せです。

「名字」とは「名字即」という菩薩の位のことで、初めて正法を聞いて、仏法の究極を名字によって理解して、正法を信じるという修行の段階のことをいいます。

法華経如来寿量品には、「即成就仏身」と説かれています。

日蓮大聖人は上野殿後家尼御返事にて、「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり」と仰せです。

目紛しく変化する今日の世界において、求められているのは即座の変化です。即悟れるのが法華経です。

即座に南無妙法蓮華経という仏界の生命に縁して、即座に自身の心を変革していく。即座に仏界の境涯を開いていく、それが信心即生活、仏法即社会、という大きな社会の変革へとつながっていくのです。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

chi********さん

2018/11/620:44:21

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sgi********さん

2018/11/511:53:06

久しぶりに日本に帰ってきました。
はじめまして。

法華経と釈尊の関係ですか?

大乗仏教は空の理論を宇宙台にまで拡大してその宇宙に広がる世界観を見せてくれて仏教の可能性を飛躍的に拡大した大功労者です。大乗仏教のもう一つの可能性はその宇宙大の可能性のすべてが自身の内の世界観としたところにあります。

大乗仏教では宇宙にも仏と仏の国と仏の法のあることを示しました。それと自身を統一するものこそ仏と示してもいます。

そしてそれらの多くはバラバラに説かれて統一した思想として成り立たせるものではありません。

この宇宙と個的世界の関係は釈尊の時代にもあって、釈尊はその統一した世界として提示し、決してバラバラなものではないと、その当時あった多くの思想を退けつつも統一して見せました。

そのためにインドのその時代のバラモン教の神仏を援用しながら自身の思想を統一的に人々に教えていかれました。その思想の広がりは仏に関する世界だけでなく、因果を超えて存在する神的な存在や魑魅魍魎的な世界観までもその範疇におくものでした。それゆえ、古今東西の思想は釈尊によって余るところなくその範疇に置かれるを統一的思想世界となっています。

それを知るには奈良東大寺に行けば理解できます。大仏の座るその周囲を見れそれだけで事足ります。

真理を極めつくすとは排除の論理ではなく断ち切られた世界の結合。これこそが釈尊の思想の骨格です。その中心軸に人と世界を貫いて存在する仏を置いて、ここから爆発的な個世界の多様性に満ちた関係性(縁起の思想)を説く。ゆえに平等。ゆえに慈愛。そしてそこには限りない自由があります。

この思想をよく体現したものこそ法華経です。

日蓮はこの法華経のもつパラダイムを用いて鎌倉時代の法華経世界を提示しました。例せば諸天の神としてそれまで仏典に登場していなかった天照大御神を登場させているなどがそこにみられます。釈尊在世のインドの諸天に対応するように、日蓮は日本の守護神である天照大御神を召喚することで釈尊の思想を体現しています。

こうして鎌倉時代に釈尊の思想は日蓮に引き継がれ、そして20世紀21世紀になって創価が昭和平成の法華経を展開して見せています。

法華経は善悪通じる普遍性がある思想ですから、悪く使うと皆が不幸になります。それは決して法華経の問題ではありません。使う人によるのです。

men********さん

2018/11/511:41:01

仏教史によれば、法華経は、仏滅後数百年して大乗仏教が起こった頃に成立したとされています。

法華経は、みな平等に成仏する、久遠等の思想を含むところは原始仏教とはかけ離れています。

さらに、天台の本覚思想が日本に持ち込まれたことにより、法華経は貪瞋痴を肯定し、現世利益を説く密教的なものになりました。

原始仏教では、貪瞋痴を否定する方向に向かって来世の幸福や涅槃を目指すものであり、逆の貪瞋痴を肯定する方向は悪趣、悪い生まれに向かうものとされています。

つまり、現在の法華経信仰は、原始仏教がよいとする方向とは反対の方向に向かっているといってよいのです。

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tyranさん

2018/11/511:04:11

こんにちは。「tyran」です。


「法華経」は、晩年80歳の年にお釈迦様が最後の「遺言」のようにお弟子さん達におっしゃられた言葉ですね。

在家信者チュンダから出された料理の毒に苦しめられ、「クシナガラ」の地にて最後の教えを説かれた。ただひたすら、仏陀の教えを守る修行をしてきたお弟子さん達が不安になり、これから残された自分達はどうしたら良いのですかと尋ねる。

「今までわたしが教えてきたものは方便であるから、一度忘れなさい。」と言われたそうで…

「悟りの世界」は、祈りや願うことで得られるわけでなく、あくまでも「実践行」で「菩薩行」を実践され、他人の幸福に貢献してこそ「徳」となり、その結果として”悟りのヒント”を得られる。

たとえそれが「師の教え」であろうと”他人の教え”であり、それにとらわれれば「真我」への道に弊害となる。”己の悟りを得よ”わたしの言葉に縛られるな!という思いが御有りだったと思います。

ご自身が「涅槃」に旅立とうとしているのに真理7合目の法で終わってしまう。”死んでも死にきれない”思い。「自灯明、法灯明」の教えも、人の教えにすがり「自身の悟り」を得ることを忘れるなとの思いだった。

教えてきた真理をもとにそれを踏み台に自分の悟りを得なさい。
自分で気付かなければ修行の意味がなくなる。

一乗妙法、久遠釈迦、菩薩行道の三つの柱。

「誰でも仏になれると説く:一乗妙法」も、南無妙法蓮華経を唱えるだけで仏に成れるわけではない。あくまでも「菩薩行道」、他人の幸福に貢献してこそ悟りへの道が開けるわけです。

自分だけでなくて相手の体(心・命)の心配をしてこそ菩薩行です。
確かに、しつこい勧誘:チラシ配り・電話・訪問、日蓮宗系の新興宗教は、意味をはき違えてると思います。


長文でした。

ありがとうございました。

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