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アマゾンズ映画について質問です

dra********さん

2018/11/2517:24:13

アマゾンズ映画について質問です

悠が大ケガをして、それを回復するためにリスアマゾンのムクを食べましたよね?その後の仁さんとの決戦の時に仁さんが「喰ったのか…」的な事を言っていたと思うのですが、悠が食べたのは人間ではないですよね?それともアマゾンである悠が共喰いをした事についての発言だったのでしょうか?
ここら辺が鑑賞後にモヤモヤしている点なので、どなたか教えてくれると嬉しいです

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2018/11/2612:51:33

ん~と、一応、
「以下、本編の内容に触れますので、閲覧者ご注意」
としたうえで・・・。
(ああ、あと、「以下、あくまで一素人の私見に過ぎない」ということを
お断りしたうえでw)
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「ムク(を食ったこと)が、人間(を食ったこと)なのか、
それともアマゾン(を食ったこと)なのか」
というのは、
ぶっちゃけ、どちらでもよいのだと思います。
肝心なのは、

悠が、「自分が守る」としたものを食った
(自らのタブーを犯した)

という点にあるのだと考えます。
アマゾンも人も守る(そのためにジャマになるものを傷つけることは
あるかも知れないけど)と誓って(?)いたはずの悠が、
止むにやまれぬ事情とは言え、
「アマゾン(でもヒトでもいいんですが)を食った」。
一方、鷹山は鷹山で、

(いい奴だろうが悪い奴だろうが関係ない)
「アマゾンは」殺す。
「ヒトは」殺さない。

としていたはずなのに、
ついに、御堂英之助という「ヒト」を手にかけた。
(御堂はアマゾンくさい・・・という考えもありますが、
少なくとも私は、その説を採りません。理由後述。)
つまり、悠・鷹山共に、
お互い、「自らのタブー」を破ってしまったがために、
己の心の軸と言いますか、あるいは「己の正義」と言っても良いでしょう、
そういうものを失ってしまった身であるわけで、
であるからこそ(?)ついに「決着」を・・・って流れだと思うんですね。
なので、「本来、自分が守るべきものを食ってしまった」という意味に
おいて、ムクがアマゾンだとかそういうことは(悠にとって)どうでもいい
ことであり、
一方、蛇足かもですが、鷹山は鷹山で「タブーを犯した」(ヒトを殺した)
ということにならないと、
物語(映画)としての構図(悠との対比)が成り立たないわけです。
(「観堂はヒト」と(私が)考えるのは、それが理由。
御堂がアマゾンだったとしたら、鷹山が殺しても、なんの問題も無いもんな
と。)

はじめにお断りした通り、あくまで一素人の私見に過ぎませんけど、
とりあえずご参考?まで(*^_^*)

質問した人からのコメント

2018/11/29 22:12:58

ありがとうございます、スッキリしました!

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