ここから本文です

ネトウヨ 「日韓併合は韓国側が望んだことだ。 だって向こうが条約に合意して結...

nih********さん

2018/12/507:59:38

ネトウヨ
「日韓併合は韓国側が望んだことだ。
だって向こうが条約に合意して結ばれたものなんだから。」





ならば江戸幕府が幕末に結んだ
欧米との不平等条約も
日本が自ら望んだ

ことって認識でええな?

補足不平等条約を結んだ幕府をあんなに「破約攘夷だ!倒幕だ!!」って叩いて
当時のやつら血眼になったったくせに
今更「不平等条約なんてなんでもないもん、全然平気だもんね〜。」なんて誤魔化そうとしても始まらへんで?

明治政府なんて維新早々欧米列強にみんなして押しかけて、
不平等条約改正を持ち出すけどあっさりと断られて
大久保利通なんかイギリスの先進国ぶりに驚きすぎて十円ハゲまでこさえとったというのに。

不平等条約に非難轟々だったことは今更誤魔化せへんで。

閲覧数:
495
回答数:
22

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

cel********さん

2018/12/512:05:24

そう言う認識で良い、と言う人がいるなら、そりゃあ、

歴史について全くの無知で“捏造話”に引っ掛かっているカワイソウな人、

あるいは、

その人の日本語能力に問題がある、って事なんでしょうね…

実際は、韓国併合は、それ以前にたぁ~くさんあった「植民地化」の一つの例に過ぎません。
だからこそ、日本政府自身が、公的文書でも、朝鮮を台湾などと同様(外地とも呼んだが)「植民地」と呼んでいました。《ホンの一例》を挙げれば『植民地要覧』(拓殖事務局編・大正12年・アジ歴レファレンスコードB03041709500)は、朝鮮、台湾、関東州、樺太、南洋諸島委任統治領の概要を記載したものです。

言う迄もなく、その当時は植民地獲得&保有は「国際法違反」じゃないです。列強は似たような事をバンバンやっていてそれに対してお互いに非難していなかったのだから、日本が同じ事をやった「植民地化」そのものを非難する訳が無い。従って、慣習的な国際ルールに違反していた、つまり「国際法違反」だったはずがない、それだけの話です。それは、奴隷貿易がバンバン公然と派手に行われていた時にそれが「不法」だった、なんて事がないのと同様です。

が、「奴隷貿易が盛んに行われていた時代では合法だったから現在も非難されない」なんて事は勿論ないように、植民地支配も同じです。

2001年に南アフリカ共和国のダーバンで国連加盟国の大多数が参加した「the World Conference against Racism, Racial Discrimination, Xenophobia and Related Intolerance」(「人種主義、人種差別、外国人排斥及び関連する不寛容に反対する世界会議」)という長ったらしい名前の会議で全会一致で採択された通称ダーバン宣言(全文は↓。英文)の第14項に、
http://www.un.org/WCAR/durban.pdf

~~

We acknowledge the suffering caused by colonialism and affirm that, wherever and whenever it occurred, it must be condemned and its reoccurrence prevented.

~~

とあるように、今時「植民地化は当時合法だったのだから、非難される筋合はない」なんて、素っ頓狂な事を言う人も、日本のネットの一部の“ガラパゴス的進化”を遂げた皆さんを除けば、そうたくさんはいないでしょう

「wherever and whenever it occurred, it must be condemned」とはm(宣言の満場一致の採択に参加した日本を含む)世界の殆どの国々が「起きたのがどこであれ、いつであれ=良い植民地とか悪い植民地とかはなく全て(植民地主義によってもたらされた苦難は)非難されなければならない」って意味です。

さて…

ポツダム宣言は、日本に対して「降伏しろ、でなきゃ完全な破壊あるのみ」と言っていて、日本政府はそれを受諾、つまり降伏しました。受諾とは、「はい、と受け入れる」事ですから、降伏と完全な破壊の二つのうち、降伏を選んだのは日本政府の意志であって、連合国と意見が一致した=“合意”した、と言う事は出来るでしょう。が、降伏も完全な破壊もどっちも“望んで”はいませんでした。だから、ソ連の参戦と原爆を二発落とされてようやく受諾したんですよね。

初代朝鮮総督になった寺内正毅が桂太郎首相に併合を韓国政府に申し入れた際の経緯を報告した『韓国併合始末ノ件』が国立公文書館アジア歴史資料センター(以下アジ歴)のWebで見られます。(レファレンスコードA04010229300)

明治43年(1910年)8月16日に寺内が韓国首相李用に併合を申し入れた際、寺内は…

『併合の事たる古今の歴史に徴し其の例少なからず、或いは威圧を以て之を断行し、或いは宣言書を公布して協約を用いざるものあり。然れども日韓従来の関係に顧み、且今後両国民の輯睦を図る上に於て、斯の如き手段に訴うるは甚だ好ましからざる所なるが故に這般の時局解決は和衷協同を以て之を実行し其の間秋毫の隔意を挟むべからざるを要す』

と言っています。(同史料の全40画像中7番目)

要するに、一方的に併合する方法もあるが、それじゃお互いの今後の為には良くないに決まっているだろ?、って李完用に申し入れた、って事です。

『韓国政府に於ても我が和衷協同の誠心を諒とし合意的条約の締結には殆ど異論なきの状あるを認めたるに依り条約に依る能わざる場合に発すべき宣言書は無用に帰すべきのみならず…』(以下略)

とも言っています。(全40画像中19番目)

これは、寺内が申し入れた後暫くして、李完用が「閣僚全員の合意は得られていないが、日本側が国号と王号について考慮してくれれば自分の責任で閣内をまとめる」と言ったので、韓国側がほぼ“合意”する事が見えて来たから、一方的な宣言で併合する必要は無くなったと判断した、と、寺内正毅自身が桂首相に報告したものです。

つまり、韓国側にあった選択肢は、一方的併合or合意形式の併合か、であって、併合or保護国のままではなく、併合される事自体を韓国が選んでいません。
韓国側が併合を“望んで”いたなら、寺内正毅は李完用にこんな事を言うか?ですよね。

何故寺内正毅が、韓国側の同意or不同意に拘らず併合するつもりだったかというと、上記の申し入れの約1年前に、併合方針が閣議決定されていたからです(アジ歴レファレンスコードA03023677700)

その決定は、併合理由として…

『一昨年日韓協約ノ締結ト共ニ同国ニ於ケル施設ハ大ニ其面目ヲ改メタリト雖同国ニ於ケル我勢力ハ尚未タ十分ニ充実スルニ至ラス同国官民ノ我ニ対スル関係モ亦未タ全ク満足スヘカラサルモノアルヲ以テ』

を挙げています。

この『同国官民ノ我ニ対スル関係モ亦未タ全ク満足スヘカラサルモノアル』については、やはりアジ歴で見られる『韓国警察報告資料巻の1』(レファレンスコードA05020350200)という資料の中に、明治42年12月に印刷された「韓国現時に於ける地方人心の状況」(同資料の201画像目~227画像目/全359画像)というものがあり、その中で

「要するに韓国官民にして衷心より日本政府に信頼せんとするものは極めて少数にして」

とか

「各道到る処の人民が日本政府又は統監政治を批難せる新聞記事を読むに当たり多数鳩首凝議して快とし其揆を一にするの風あるは争うべからざる事実なりとす」

とか(いずれも208画像目)、書いてあります。(同様の主旨の記述は同資料には他にもあり)
これは、高宗退位と韓国軍の(殆ど全ての)解散をきっかけとして全国に広まった抗日暴動は、まだ完全には鎮圧が完了していなかったか、既に相当下火にはなっていた。そう言う状況下での報告です。

尚、この資料は、第三次日韓協約で日本が警察も含む内政も把握した後の資料で、それは同資料の中にある伊藤博文暗殺後に安重根を調べた調査書を読んでも明らかな様に、日本の立場から記録されたものです。念の為。

つまり、併合方針を閣議決定した1909年7月時点の政府にとっての状況は、

抗日暴動はどうにか抑え込みに成功しつつある、

しかし

反日感情は引き続き強い

というものでした。

…という訳で、『同国官民ノ我ニ対スル関係モ亦未タ全ク満足』=『韓国官民とも日本になびかない』から、(保護国から踏み込んで)併合して確実に支配しよう、と明治政府は決めた、って事です。

因みに、「韓国が併合を望んだ」という捏造話の根拠として、かつてよく挙がっていたのは(今も良く挙がる?)のは一進会の声明ですが、その声明は、Wikisourceで『日韓合邦問題ニ關スル件』として、日本の情報機関が報告しているものが見られますが、その声明では『我韓ノ保護劣等ニ在ルノ羞恥ヲ解脫シ同等政治ノ権利ヲ獲得スヘキ法律上ノ政合邦ト謂フヘキ一問題是レナリ』と言っている様に、併合じゃなく対等な政治的権利を持つ「合邦」の要求でした。それも、上記の閣議決定の『後』の12月の声明です。

おまけに、一進会について、アジ歴レファレンスコードB03050610500の42/59で見られる、これも日本の情報機関が調べた「菊地忠三郎ノ行動」に、内田良平や菊池忠三郎が一進会を「操縦」していた事、合邦論が韓国内で余りに不評で今や一進会は崩壊の危機に瀕している、と書かれているぐらいです。

「韓国が条約に合意して結ばれたものだから、韓国併合は韓国側が望んだことだ」というのは、ポツダム宣言の例で明らかなように、そもそも論理的に成り立っていない主張ですが、それ以前に「韓国併合は韓国側が望んだこと」だったとしたら、併合を閣議決定した当時の政府や、併合を申し入れた当事者である寺内正毅は、「自分達は嫌われている」と云う被害妄想に囚われていたのでしょうか?それとも、「韓国併合は韓国側が望んだこと」という主張が妄想なのでしょうか?言うまでもないですね

『併合していなかったら、ロシアが植民地にしていただろう』というのも、高校の日本史では教わると思います。日本とロシアは日露戦争の講和以降は、満州での権益を協力して守る関係に入った、って事を…

政府自身が「ロシアの南下のリスク」は既に無い、と認識していた事は、↓からリンクのある1908年9月25日の『対外政策方針 閣議決定』に、

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/indices/pw/index.html

(ロシアは)『東方ニ向テ冒険的活動ヲ試ムルコト能ハサルニ至レリ』

(日露関係は)『仮令同国政府ニ幾多ノ交迭アリトスルモ大体ニ於テ現在ノ軌道ヲ逸出スルコトナキモ亦明瞭ナリト信ス』

とある事に、明瞭に出ています。

それでも、万が一の事も考え、

『日露協商ノ正文ト精神トヲ恪守シ益々両国間ノ親交ヲ進捗セシムルコトヲ努メ』

つまり、『ロシアとは現在の様な良好な関係を確実に守って行こう』というのが当時の政府の対ロシア方針です。

「ロシアの南下リスク」があったのに、日本政府は脳天気にも「ロシアは危険じゃない&仲良くしようと思い込んでいた」って言いたい人がいるようで…(苦笑)

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

質問した人からのコメント

2018/12/11 20:53:55

どいつもこいつも論点のはぐらかしばっかりで困る

ベストアンサー以外の回答

1〜5件/21件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

egu********さん

2018/12/814:04:41

アジアで日本だけだ欧米と渡り合えるの日本だけだ

とか言ってるネトウヨがわいてますね
今の時代もはや日本など取るに足らない小国

欧米に対抗できるのは中国だけだし自衛隊など人民解放軍が本気をだしゃひとひねり

ohx********さん

2018/12/718:06:30

その通り。自ら望んだ事です。攘夷派が非難した事は、国交を結んだ事事態であり、教科書にも、そう書かれており、どこのどなた様が誤魔化そうとしたのでしょうか?
又、韓国とは違い、前政権の井伊直弼が結んだ不平等条約を明治政府は守り、改正がなったのは、明治末年。約40年ほど掛けて改正しました。
質問者さんは、まだ中学生でしょうか?
それならば、その辺りは授業でまだやらないので先生にご質問されるのが、よろしいかと思います。

ike********さん

2018/12/623:06:38

イギリスと結んだ
日英同盟に中で日韓併合が承認されてる

アメリカとの協定での
桂タフト協定でも日韓併合が承認されてる

朝鮮の利権を狙ってたロシアと日本の戦争である日露戦争後にロシアと日本で結んだポーツマス条約でも日韓併合が認められてる

日清戦争後に清王朝が朝鮮から手を引くようにと日本が提示した下関条約で清王朝も朝鮮から手を引いてる

つまり当時の列強大国である

イギリス アメリカ ロシア 全てに国が朝鮮の日本の保護を承認してる

さらに当時の朝鮮の皇帝である高宗も日本の保護国になる事を承認してる。

また桂タフト協定では極東アジアの安全保障は日本 イギリス アメリカの3カ国でやって行く条約も交わしてる。

逆に日本は桂タフト協定でアメリカのフィリピンの支配を承認してる。

当時の世界情勢は帝国主義で列強同士が同盟や協定なりを結んで支配してた。

不平等条約から手を引いたのはアメリカからです。
理由は日本が清王朝を倒した事で列強と認めたてたからです。
同時に朝鮮も欧米各国から不平等条約を結ばさされてたが日本が日韓併合したおかげで欧米各国は朝鮮から手を引いた。

その後日本とアメリカの間で新しく平等な日米通商航海条約を結ぶ。

よって不平等条約は既に無効であり手を引いたのはアメリカ

比べるのがおかしい

日韓併合は合法です。
当時の国際法に照らし合わせても合法です。

2001年に韓国主導により日韓併合の合法の再検討会議が行われた。
イギリス アメリカ 日本 韓国 の第三者も交えた三度の議論でもイギリス アメリカの見解は合法との見解です。

そもそも第一次世界大戦後の当時は世界中が植民地や併合をしてた時代であり

日韓併合が違法であるとイギリスやアメリカが認めてしまうと自分達の植民地支配や併合も違法である事になってしまう。

つまり当時の列強には違法であると言えないんですよ。

テキサスもハワイもアメリカによる併合だしね。

時にアメリカがハワイの併合の過程に違法があった事を認めた事を持ち出して日韓併合も違法であるとする言い分もおかしい

アメリカは過程に違法があったとしてるだけで、過程は武力行使を指す

しかし日韓併合は武力行使などしておらず

それどころか清王朝から李氏朝鮮を独立させて大韓帝国にした後、朝鮮の利権を狙って南下してきたロシアを日露戦争で倒し朝鮮を守ったぐらいですのでね

そもそも併合に文句あるなら高麗の時代の後から500年続いた李氏朝鮮時代ずっと中国の属国であった事に対して何故中国に文句言わないのか?

日本との併合には怒るくせに

高麗の臣下だった李が主君を裏切り当時の中国であった明の力を借りて王座につく。
その後力を借りたせいで明の属国になり明の後の清王朝の時代もずっと属国だったではないか、、

下関条約を見ればわかるが清王朝に朝鮮から手を引けって条文がある事からも朝鮮が中国の属国なのは明白

それを独立させたのは日本が清王朝を倒したからである。
またこれによって日本が列強に認められ不平等条約が無くなったにであり同時に朝鮮の不平等条約も無くなったではないか

アジアに日本が無ければアジアは西洋の奴隷だぞ

アジアで唯一欧米と渡り合えたのは日本だけだ

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

has********さん

2018/12/517:20:01

そうだよ。
当時の価値観や力関係に則して
結ばれたんだよ。

だからあんたもいつまでも
植民地化されたと被害者ヅラしてる
お仲間に言ってあげてくださいね。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

suz********さん

2018/12/515:33:01

●「欧米との不平等条約は、"欧米"が望んだことだ。
だって向こうが条約に合意して結ばれたものなんだから。」
が正しいです。

その後、
日本は「欧米との条約が日本にとって著しく不利な不平等条約である」と気が付いたので、
「交渉」をして「条約改正」に至りました。

●なお、
「一度結んだ条約は、たとえ不平等でも有効」な為、

日本は「条約を無視」したり「条約を一方的に破棄」することなく、
粘り強く交渉を重ね「条約改正」をしてもらいました。

もちろん、「国際法に反すること」も致してません。

「国同士の約束事」は、ちゃんと守らないと、
「世界各国」から信頼されなくなれますからね。

返信を取り消しますが
よろしいですか?

  • 取り消す
  • キャンセル

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる