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仏教的な意味で、悟りを開くと苦しみが無くなるって言う人がいるんですが、意味が...

man********さん

2018/12/2201:48:50

仏教的な意味で、悟りを開くと苦しみが無くなるって言う人がいるんですが、意味がわかりません。詳しいかた教えてください…。

仏教って諸行無常とか色即是空とかのやつですよね。
諸行無常

って言うなら、今感じている苦しみも永遠ではないし、幸せになったとしても永遠ではないってことですよね。だったら苦しみから逃れることや幸福な人生を送ることに拘泥しなくても良くないです??
悟りを開く悟りを開くって言うけど、なんのためなんですか?

失礼な質問かもしれませんが、仏教ぜんぜん詳しくないので宜しくお願いします!

仏門に入っている方や特定の宗派を勉強、研究している方は宗派も教えてくださると嬉しいです。

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hou********さん

2018/12/2210:52:33

曹洞宗です。悟りを開いても苦しみから逃れることはできません。なぜなら、生きるということは、楽しいこともありますが、つらく苦しい目にあうこともあるからです。
理不尽な目にあったとき、智慧を出して乗り越えることができるのが悟りを開いた人です。思い通りにいかない現実を受け止めて、愚癡をはきながらでも前に進む力をつけ、未来を切り開いていくために悟りを開くのです。

  • 質問者

    man********さん

    2018/12/2217:04:43

    本来こうあるべきと怒るのではなく、今あること以外には成り得なかったと考えるので、いつまでも拘らずに済むということでしょうか…??

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質問した人からのコメント

2018/12/27 09:07:35

どなたさまの回答も大変ありがたく読ませて頂きました。皆さまに提示して頂いた資料や書籍なども大変参考になり、質問を出してよかったと思います。
多くの回答から一つだけベストアンサーを選ぶというのも心苦しかったのですが、簡潔かつ腑に落ちる回答を下さった方にベストアンサーを。
本当にありがとうございました。

ベストアンサー以外の回答

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zen********さん

2018/12/2514:16:00

悟りを開くと苦しみが無くなるのは、悟りが開けると苦しんでいた私が消えるからです。苦しんでいた主体が無くなるので苦しみが成立しなくなるのです。私が消えるというのは仏教では「諸法無我」と言って私が存在するという感覚は実は錯覚なのだということです。普通の人達は自分の肉体が私だと思い込んでいるけれど、本当は違うんだよということです。般若心経ではこのことを「色即是空」と言っています。意味は肉体は実体ではないという意味です。実は実体ではないのは何も肉体だけではなく、物質的な存在は全て実体ではないのです。どうして実体ではないのかと言うと、全ては意識の中で起きていることだからです。意識の中で起きているというのは、夜寝ている間に見る夢と同じだということです。

詳しくはこちらをご参照下さい。
https://ncode.syosetu.com/n3313cy/

kaz********さん

2018/12/2419:20:14

あなたのレベル、私のレベルは一緒です、回答者は皆素晴らしいレベルの方です、
ただ一つ言える事は悟らなくても淡々と生きて行く、お茶の出がらし人生、味もそっけもない、無、それを淡味と言います、与えられた人生を淡々と何も考えずこなしていくそれで良いのではと思います。

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jyu********さん

2018/12/2319:29:29

真実を見極める力が大切だと考えています。情報を鵜呑みにすることが無く捕らわれず偏らずむきにならず間違った考えに引きずられることもなくあるがままでいられることです。たとえお釈迦様の教えに対しても同じです。わたしは正しい生き方が悟りだと考えております。

*苦しみとともに生きることが大事で苦を無くす必要はありません。
*諸行無常とか色即是空は真理で誰にでも理解が出来ることです。

zk2********さん

2018/12/2317:58:02

こんにちは。「tyran」です。


私は無宗教ですが、信仰心はあります。

さて、この世:現世界に生まれれば、当然「四苦八苦」にさいなまれます。

「生・老・病・死」「愛別離苦・求不得苦・怨憎会苦・五陰盛苦(五取蘊苦:ごしゅうんく)」の八苦は、人生生きていれば必ず出会います。特に「五陰盛苦」(五取蘊苦)は、色・受・想・行・識の苦しみであり、執着する精神からの苦しみです。

「人生は苦しむために生まれて来てるようなもの」と、よく言われますが…

生きている限り「欲」が消せないのと同じように、生きている限り「苦しみ」は付いて回ります。では、どうしたら良いのか?

「苦」を「楽」に変える「知恵」(仏の知恵)を得ることです‼
それがすなわち「悟り」を開いて仏陀:目覚めたる者になるということなのです。

世の生業、世界の実相は「悟り」を得られれば、「苦」を「楽」に変える知恵が身に付きます。四苦八苦が消せないものなら、「楽」に変えて喜びの人生に変えれば良いのです。
「仏教」とは、”仏陀に成るための教え”ですが、その信徒は「仏の知恵」にすがりたい、もしくは「仏の悟りを得たい」と思われているわけです。

ところが、日本の仏教、特に「浄土宗・浄土真宗」の教えでは「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えるだけで死後「西方浄土に暮らし続けられる」と説かれますので、他力本願(絶対他力)になっており、ゆえに”悟りそのものの成道”が存在せず、「悟りの世界」は説明されません。

「悟れない」と諦めてしまわれる方々もおられますが…
しかし「悟りの世界」は実際にあるわけで、「真理の世界」もあるので悟りへの成道は自由に進んで良いのです‼

ただ「宗教組織」の中で「悟り」を開くことは大変困難です。

なぜなら、悟りの世界は”自分の真我(魂)”への道であり、自身が悟るべき境地です。ゆえに、どんなに立派な宗教でも”真理のピラミッド”の7合目までしか登れません。(サークル活動の信仰生活もありますが、7合目どまり。それも生き方です)

「悟り」を開かれるためには、その宗教組織を出て”自身の境地”に到達しなければいけないのです。

他人の教えにすがってるうちは、そこから出られません‼
かつて、2500年前に「仏陀:目覚めたる者」に成られたお釈迦様も、29歳の時に妻子を宮殿に遺されて、ご出家され、6年間も「苦行」されて死にかけるところまで行ったあげく、35歳で「苦行では悟れない」とお気づきになられて「瞑想」一本の修行に変えられて、その一年後36歳の時に「大悟」を得られました。

当時は「苦行でしか悟れない」といういい加減な噂(定説)が広がっており…最初に「苦行」を止めた時に、お釈迦様は支持してくれていた五人の苦行仲間からののしられました。

それでもお釈迦様は「苦行」を止めて、最終的に大いなる悟りを開かれました。

「苦行でしか悟れない」という、いい加減な定説がまかり通っていたということは…実は「悟り」を開いた人物は皆無で…お釈迦様の前に「悟り」を開かれた人物はいなかった。その可能性まで推測できます。
だから「大悟を得た」というニュースは、当時としては大変衝撃的な事象だったわけです。

現代でも「念仏を唱えるだけで成仏できる」と言われ、「悟る努力」をする方々が居なくなってしまい、巷には”悟りを開いていない凡夫教祖”で溢れております‼中には「テロ」まで行う教祖までおります。

まあ、お釈迦様の時代から2500年経ちましたが…
「思い」は、変わらないと思います。

一人でも多く「悟りの世界」に目覚めた人が増えて、明るい真理の時代を築いてもらいたいとの願いです。「自灯明 法灯明」は晩年のお言葉です。(自ら悟りを開いて、その法を広めよ)

お釈迦様は、亡くなられる前に「わたしの教えにとらわれるな、一端捨てなさい。忘れなさい。」とまで言われたとされます。”何事にもとらわれるな”は、お釈迦様の教え(口癖)でした。

「悟り」は執着ではなく、気付くことです。



長文でした。

ありがとうございました。

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han********さん

2018/12/2315:13:02

浄土真宗の門徒です。
定年後の人生再構築にと思って少し勉強を始めたところです。

まず仏教の根本教義は、
「この世の全ては苦であるということを認めなさい」ということです。
なぜ苦かと言うと、「執着するから」です。
欲しがるものが与えてもらえないから苦しむのだと。
生きとし生けるものは全て、絶えず何かを欲しています。
腹が減れば食い物、のどが渇けば水、男は女を、女は男を、
子供は親の愛を、年寄りは幸せな余生を。

その執着することをすべて捨てれば苦から解放されるということです。
欲しがってないものが与えられなくても全然平気。
この仕組みを理解し、執着を「捨てる」ことを実行することが「悟り」です。
仕組み自体は簡単です。
だれでも簡単に理解できると思います。
でも実行することはまずできません。
「まず」じゃないな、ゼエッタイにできません。

しかし釈迦にはできたじゃないかとか、
釈迦以外にもその真理に目覚めた仏陀が何人もおられるのだから、
頑張って修業したらいつかは必ず悟りの境地に至ることができるはずというように考える人が古来絶えません。
それで荒行苦行を含めた修業に励む人がいたし、
あるいは摩訶不思議なお経の功徳で即身成仏できるはずと考えたり、
今いる場所では無理だけど、
海の向こうにあるポータラカに行けばそこで成仏できるとか、
そもそも生きている間には無理だけど、
死んだ途端にブツの広大無辺の慈悲の力によって、
一切衆生はただ一人の例外もなく成仏するというような考えが生まれたんです。

ちなみに質問者さんがおっしゃるように、
苦しみも幸福も無常だというのは般若心経にある大乗仏教の究極の奥義です。
おっしゃる通り「悟りも無常なんじゃん」となるのがものの道理ってことになります。
悟っても悟っても無駄なの?と。
これを他の宗派がどう解決したかは知りませんが、
浄土真宗では「そもそも生きてるうちはゼエッタイに悟れない」としました。
だけど死んだ途端に阿弥陀如来が必ず極楽往生させますと。
それは修業や善行の大きさ深さは関係ないんですと。
一切衆生の往生は決定していますと。
それは阿弥陀如来の本願によって決定しているんだと。

浄土真宗の門徒です。
定年後の人生再構築にと思って少し勉強を始めたところです。

まず仏教の根本教義は、...

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