艦砲射撃というものがあります。
軍艦の手法は陸上の戦車や迫撃砲よりもはるかに口径が大きいので
効果は絶大です。
先の大戦だと、金剛と榛名がヘンダーソン基地に艦砲射撃で
ヘンダーソン基地を一時使用不能にした、実績があります。
以下、wikiより
この項においては、対地射撃としての艦砲射撃を解説する。 艦砲射撃は、戦艦の主砲など、陸上の野砲などと比べ口径の大きな大威力の大砲が使用できるため、支援射撃としてはかなりの効果があり、一説には「戦艦の主砲は4個師団に匹敵する」と言われたほどであった。2006年に戦艦「アイオワ」を最後に世界の戦艦が全て退役したため、第二次世界大戦時における戦艦の主砲で行ったような大打撃力の艦砲射撃はできなくなった。
第二次世界大戦で有名なものでは、ドイツ海軍がポーランド侵攻時に準弩級戦艦「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」で行ったのが同大戦最初の艦砲射撃であった。有力な敵勢力に対し行ったものであればフランス海軍が行った「ヴァード作戦」が世界初である。続いて、アメリカ海軍が太平洋戦争、朝鮮戦争、ベトナム戦争および湾岸戦争で戦艦を利用し、アメリカ海兵隊の上陸前支援として行ったものなどが挙げられる。沖縄戦では、艦砲射撃で地形が変わったとも言われており、生き残った沖縄の人間は戦後自分たちのことを「カンポーヌクェーヌクサー(艦砲射撃の喰い残し)」と表現した例がある。
第二次世界大戦後は、各種ミサイルの発展により、地対艦ミサイルによる沿岸防御、巡航ミサイルという攻撃手段の獲得により水上艦艇による艦砲射撃は終焉を迎えようとしていたが、1982年のフォークランド紛争で上陸部隊の支援のために艦砲射撃が何度か行われている。その戦訓を取り入れて、イギリス海軍は艦砲を搭載していなかった22型フリゲートの後期建造艦へ114mm砲を搭載している。戦艦については、その主砲が持つ大火力を天候に左右されず長時間にわたって投射し続ける能力や、航空機を用いた作戦と比較してコストパフォーマンスが良いことが注目されたが、戦艦自体のコストパフォーマンスの悪さもあり、戦艦が再び主力となることはなかった。
アメリカ海軍では、ベトナム戦争で地上部隊支援のため艦砲射撃を実施している。湾岸戦争においても再就役したアイオワ級戦艦2隻が陽動の意味も込めてクウェート沿岸へ艦砲射撃を行っている[2]。湾岸戦争では、有人機またはRQ-2 パイオニアによる弾着観測支援を受けており、約3週間にわたり計1,102発の16インチ砲弾を発射した[2]。
有名な艦砲射撃[編集]
島原の乱(1638年:オランダ商館)
アルジェ砲撃(1816年:イギリス海軍・オランダ海軍)
薩英戦争(1863年:イギリス海軍)
四国艦隊下関砲撃事件(1864年:イギリス海軍、フランス海軍、オランダ海軍、アメリカ海軍)
アレクサンドリア砲撃(1882年:イギリス海軍)
イギリス・ザンジバル戦争(1896年:イギリス海軍)
ガリポリの戦い(1915年:イギリス海軍、フランス海軍)
尼港事件(1920年:中国海軍)
万県事件(1926年:イギリス海軍)
南京事件(1927年:イギリス海軍・アメリカ海軍)
ガダルカナル島の戦い(1942年:アメリカ海軍)
ヘンダーソン基地艦砲射撃(1942年:大日本帝国海軍)
硫黄島の戦い(1945年:アメリカ海軍)
沖縄戦(1945年:アメリカ海軍)
日本本土(当時)への艦砲射撃
釜石艦砲射撃(1945年7月14日:アメリカ海軍。8月9日:アメリカ海軍・イギリス海軍)
室蘭艦砲射撃(1945年7月15日:アメリカ海軍)
日立艦砲射撃(1945年7月17日:アメリカ海軍・イギリス海軍)
浜松艦砲射撃(1945年7月29日:アメリカ海軍・イギリス海軍)
湾岸戦争(1991年:アメリカ海軍)