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グレゴリオ暦1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した時はスペインはま...

hit********さん

2019/1/523:51:30

グレゴリオ暦1549年にフランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した時はスペインはまだ「ユリウス暦」を採用していましたがその後「グレゴリオ暦」に改暦されました。

「本能寺の変」は(陰暦天正10年6月2日)(グレゴリオ暦1582年6月21日)におきました。

明智光秀が

「ときは今、あめが下しる五月かな」と連歌の発句を詠んだのは天正10年5月24日とされてます。

しかし現在のグレゴリオ暦での日本の5月は葉桜が生い茂る初夏であり梅雨ではなく陰暦に対して違和感を感じたものです。

日本は「月の運行を基準として定めた暦法」である「太陰暦」を明治時代の暦法改変まで使用してました。

まず疑問に思ったのが陰暦を千数百年と使用してれば「ユリウス暦」→「グレゴリオ暦」との時間差がかなり生じると思います。

季節で言えば北半球が「グレゴリオ暦」で7月8月の夏の時に日本の陰暦では睦月(1月)であったりする可能性の問題が出てきます。

「グレゴリオ暦」で紀年法として採用れた「西暦」はキリストが生誕した年を紀元元年としてます。

「関が原の戦い」は(西暦1600年10月21日)(慶長5年9月15日)に起きてますがこれは

この戦いがキリスト生誕年から約1600年後に起きた事を意味してます。

ここで最大の疑問になるのが、

年月の記録がいつから日本史で貴族などの役人によって行われたのかは分かりませんが、

仮に聖徳太子(西暦574年2月7日~622年4月8日)(便達天皇3年1月1日~推古天皇30年2月22日)の時代から約1000年間も日本の陰暦と「ユリウス暦」や「グレゴリオ暦」とのズレを放置していたとしたら、

「関が原の戦い」はキリスト生誕年から約1550年後または約1650年後と何十年と言う時間差が生じると思います。

質問:キリストが生まれた年を紀元元年とするグレゴリオ暦の紀年法である西暦との時間差の拡大を日本の陰暦はどのようにふせいでいたのでしょうか?

長々となりましてすみません。

ヒトパン

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ベストアンサーに選ばれた回答

fir********さん

2019/1/600:52:00

日本で近代以前に使われていたのは、正確には太陰太陽暦と呼ばれるものです。純粋な太陰暦ではなく、適度に閏月を入れて調整していましたので、太陽暦とのズレは最終的には補正されます。今みたいな「閏日」ではなく、月単位でゴソッと入れるので、それまでのズレは大きいですが、それでも最大で1ヶ月分しかズレませんよ。季節が違ってしまうということもありません。

ちなみに、純粋な太陰暦で有名なのはイスラム暦です。これは、今でもイスラム諸国で使われており、質問者さんが言われる通り、長い間に太陽暦と年単位でズレていきます。季節もかなりズレますね。但し、グローバル化した現代では当然ながら不便なので、イスラム教徒も日常生活では西暦を使い、宗教行事のためにだけイスラム暦を使っています。これは、日本で旧暦によって年中行事を催す場合があるのと同じです。

多くの地域では、暦は農業のサイクルを判断するために使い始めた歴史があります。ですから、季節がズレてしまっては困るのです。そういう事情があるので、純粋な太陰暦しか使っていなかった地域はあまりありません。イスラム暦の発祥の地であるアラビア半島中心部は、季節感があまりない地域だし、そもそも農業がほとんど行われていませんから、困らなかったのです。

質問した人からのコメント

2019/1/6 08:56:22

回答ありがとうございます!

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