ここから本文です

5代目三遊亭円楽さんと

hir********さん

2019/1/1116:17:05

5代目三遊亭円楽さんと

立川談志さんは、どちらが先輩で

接点はあるのでしょうか?

わかりやすく詳しい方教えてください

閲覧数:
82
回答数:
2
お礼:
50枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

プロフィール画像

カテゴリマスター

yan********さん

2019/1/1118:24:41

落語の世界では年齢に関係なく入門順に先輩、後輩になります。

立川談志が入門したのは1952年、5代目三遊亭圓楽が入門したのは1955年ですので、立川談志のほうが先輩です。
5代目三遊亭圓楽は立川談志のことを『兄さん』と呼びます。

同じ落語協会でしたので前座のころから交流はありました。

談志が5代目圓楽に「寄席でやっている大喜利をテレビでやろうじゃないか」と持ちかけたのが笑点の前身『金曜夜席』。
それが『笑点』になり、圓楽の司会で始まりました。



*”四天王”とよばれた経緯を。

昭和38年の朝日新聞のコラムに評論家の矢野誠一氏が、
「今の若手では志ん朝、柳朝、円楽、談志の四羽烏がいい」と書き、他の記者が、「三羽烏とは言うけれど四羽烏というのは聞いたことがない。四人を並び称する時は四天王と書くべきだ」と注意され、それから四天王になった、んですが、

その当時はまだ4人とも若く(志ん朝(25歳)、柳朝(34歳)、円楽(30歳)、談志(27歳))四天王の前に”若手”というのが付いていました。

文楽、志ん生、圓生に継ぐ、次世代の名人候補だったんでしょうね。

その後、柳朝さんは若くして亡くなり、談志は国会議員になって自分が偉いと思うようになり、円楽は名人圓生の総領弟子のため勘違いし、志ん朝さんだけが一途に真面目に落語の稽古に励んで名人になりました。
柳朝さんは弟子の小朝さんが立派な落語家になって、喜んでいることでしょう。

で、5代目圓楽、その当時はもっと上手い落語家になるだろうと思われた落語家ではあったんですね。
私も一時期はよく聴きに行きました。
そのうち、自分の落語が上手いだろうって自分で酔ってしまい、涙を流しながらの落語、ちょっと鼻につきましたね~。

残念な名人候補でした。

なかなか名人候補から真の名人になるのは難しいですね。
人間国宝に最近なられた小三治さんも、談志さんも残念でした。

もう少しで”名人”ってよばれそうな落語家でダメになるのは、
自分の芸がとてもいいんで、客に”聴かせてやる”と上から目線になっている落語家ですね。
現在、気をつけたほうがいい落語家、いますね~

質問した人からのコメント

2019/1/11 18:45:15

詳しくありがとうございます

ベストアンサー以外の回答

1〜1件/1件中

プロフィール画像

カテゴリマスター

uma********さん

2019/1/1118:14:14

年齢は五代目・三遊亭圓楽さんの方が上ですが入門は立川談志(七代目、自称五代目)の方が早い。
同じ落語協会でしたし、1960年代の演芸ブームも牽引し三代目・古今亭志ん朝、五代目・春風亭柳朝(死後は八代目・橘家圓蔵)と共に「若手四天王」と呼ばれた。
そして、立川談志さんが始めた『笑点』でも共演していた。

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる