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2019/1/28 22:42

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日本史 太閤検地が荘園制の崩壊につながったというのは具体的にどういうことですか

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崩壊ではなく終焉です。 秀吉は、検地と安堵状発給により、実効支配であった大名領国制を公認し、それまでの荘園制を全く無視しました。 これで実質的には崩壊していた荘園制の法的な諸権利も無くなり、荘園は名目上も消滅し、武士、寺社、公家朝廷とも土地の支配は領国制に基づく形で行われ、近世の幕藩体制に繋がったのです。

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荘園は寄進系荘園という形態で爆発的に広がったのはご存知でしょうか? この寄進系荘園とは最初に土地を開拓した者がいて、税を回避するために手近な有力者や寺院などに寄進をして所有権を書き換えます。 寄進された有力者などもさらに税を回避すべく都の貴族などに寄進します。 寄進された貴族などはさらに有力貴族などに寄進します。 このように、上位の有力者に寄進を繰り返して税を回避していくわけですが、この過程で何人もの名義上の土地所有者が生まれます。 ひとつの土地に対して多重、多層的に所有者が存在してそのうちの誰かが実効的に支配し、帰属問題や誰が収穫物を収納するのかで揉めているのが荘園というものです。 戦国時代には大名などの一円支配が進みましたが、それでもこの構造がかなり生きていたのです。 太閤検地では土地の石高の見積りをするのと同時に、一地一作人の原則に基づいて、土地の所有権は現地で耕作している農民本人のみとし、それを支配する領主だけが収穫物を収納できるとしました。 単純に土地の所有権と支配権の構造を土地所有者(農民)と領主(武士)の二段階だけに整理し、荘園を解体しました。