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黒田官兵衛は謀略・兵法に通じていましたが真面目で根は親切な人ですから、豊臣秀...

ang********さん

2019/2/2000:31:53

黒田官兵衛は謀略・兵法に通じていましたが真面目で根は親切な人ですから、豊臣秀吉とは仲が悪くゴマを擦れなかったのが痛かった気はしませんか。

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jun********さん

2019/2/2000:58:53

晩年、秀吉と疎遠になったのは、
黒田家にとっては、却って良かったと思いますよ。
若い時のように、秀吉と親密なままだったら、
秀頼の未来を託され、家康と対決せざるを、
えなくなったかもしれません。

黒田如水が敵に回れば、家康にとっては、石田三成よりは、
遥かに手強い相手になったでしょうが、
いかんせん、所領の大きさに差があり過ぎて、
結局、足利尊氏に対抗する楠木正成のようになっしまう可能性も、
高いと思います。

息子の長政に代替わりしていたから、福岡52万石という、
外様大名の中でも最大級の経済力を誇る雄藩の太守として、
明治維新まで無事に過ごす事ができたのです。

質問した人からのコメント

2019/2/26 10:53:36

官兵衛が距離を置いたのかもしれませんね。

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pea********さん

2019/2/2007:43:01

黒田官兵衛は秀次事件に連座しかけるなど秀次の方にゴマを擦っていました。

秀次事件が痛かったですね。

徳川や宇喜多、前田といった大名が主流派となっていきます。

wkp********さん

2019/2/2004:05:37

仲違いしたのではなく、
跡取りができた
豊臣秀吉が、切れ者の黒田官兵衛を、危険視と見られたため、
官兵衛は、自ら隠居を決意し、頭を丸め、
法名を如水として、
自らの心は、水のごとく清らかであると、秀吉に示したのである。

aku********さん

2019/2/2002:29:22

仲違いをしたわけではないでしょ

官兵衛ほどの人物ならゴマなんて容易いし
秀吉ならば見抜いても騙された振りをするでしょう

むしろ、勘兵衛の方から距離を置いたというのが正しいのでは?

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