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記紀には5世の孫という表現をされてる方がいますが何か隠された意味などがあるので...

guu********さん

2008/11/803:07:59

記紀には5世の孫という表現をされてる方がいますが何か隠された意味などがあるのでしょうか?

5世の孫、日本書紀や古事記では何々の5世孫とされる方が何人かいます、間違いあるかもしれませんが私の知ってる限りでは、神武天皇はアマテラスから5世孫、神功皇后は開化天皇の5世孫、継体天皇は応神天皇の5世孫、(竹内スクネは違い
ましたっけ?)ですが、この3人は日本古代史を語る上でかなりの重要人物であることは間違いないと思います。(実在したかは別にして)、このような重要人物に
まるで謎解きのキーワードのように5世孫とふられてることが以前から気になってました。
慶雲3年の勅(706年)で5世孫まで皇族とする事になったようですが、ちょうどそのころは記紀を編纂していた時期で、
タイミングが良すぎです。
すべては継体大王の正統性をアピールするためのことだったのでしょうか?
継体のために初代天皇の神武の系図にまで手を加えなきゃならないほど継体天皇は日本書紀、古事記にとって
重要な天皇だったのでしょうか?そのわりには 継体 という名は格のないような印象があります。
神武 応神 天武 といった威風堂々とした印象ではなく、機械的な事務的な印象しかないんですが。
5世孫という表現は記紀の編纂を命じた天武天皇にとって都合のよいものだったからなのか?
藤原家にとって都合の良いものだったのか?
みなさんはどう思いますか?みなさんのご意見お聞かせ下さい。

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lad********さん

2008/11/810:40:43

記紀の編纂は、天武天皇が自己の正当性を担保するために命じたものと考えています。

かといって、荒唐無稽なねつ造は周囲が受け入れるはずのないことであって、それまでに口承・伝承されてきた正当化に都合の良い神話で構成されていると思います。
その中に5世孫の神話がいくつかあったので採用したのでしょう。

創世のころの5世孫というキーワードは、それこそ天武天皇を正当化するため(冒頭は存命中に作られているはず)ではなかったのでしょうか。

勝手な空想ですが、
天武天皇が5世孫でしかなく、しかし優秀であったために若かりしときに中大兄皇子から義兄弟として迎え入れられた人だったのではないかと思います。
だから、年齢詐称疑惑や異母兄弟疑惑が出ているのではないかと思っています。

継体天皇に関しては、天智天皇の系図で編纂時に実在を疑われない(ある意味重要)最終天皇なのではないかと思います。
その為、伝承されている神話との接点(神話の国体と現在の国体を継ぐ天皇だから継体の諡だと思います)として、都合良く5世孫にしてあるのではないでしょうか。

※空想をふくらませると、天武天皇は5世孫でも直系では無かったのではないでしょうか、だから天武天皇没後、天武天皇は天智天皇の実の兄弟と書き直され、系統も天智系の血統に戻されてしまったのではないでしょうか。

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sac********さん

2008/11/807:16:42

5世の孫の謎という質問自体が勉強になりました。

五体満足の5や、指の基本構造が5本であったり、仏教の五大、地・水・火・風・空や、道教の五行、木・火・土・金・水など、5世の孫は、事実を書いたと言うより、中国思想の5の神秘に基づいて、神格化されたと言うことかもしれませんね。

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gra********さん

2008/11/806:54:05

たしかにそうですね。

5世の孫というのは「遠い関係なのは確かだが、ちゃんと皇族の範囲で繋がっている」と世間が納得する限界なのでしょう。

逆に言えば、この5世の孫との表記が唐突にある場合は、おそらく実際には系譜が繋がっていない可能性が濃厚でしょうね。
おっしゃる通り、5世孫まで皇族とするという決定をしたから、5世孫の範囲だったと記録しなければ都合が悪かったというだけの理由だと思います。

継体帝の為に系図に手を加えるというより、継体帝が系図からはみ出しているために、強引に常識の範囲内の一番端に据えたということではないでしょうか。
良く言われていることですが、継体帝の即位の記述自体が極めて曖昧であり、はっきり言うと新王朝の始祖であった可能性が濃厚です。
重要とかいう問題ではなく、万世一系を保つには記録を改竄さざるを得なかったのでしょうね。

ちなみに、継体帝という名前、勇ましさはありませんが「国体」を「継ぐ」訳ですから、かなり意味深な名前であるのは確かです。
この名前だけで(神武・応神・崇神もそうですが)、新王朝の創始者であったということを暗示していると思います。
継体帝の場合は、武や神の字がないので、確かに武力で天下を取った大王ということではないのでしょうがね。

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