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2019/3/15 17:57

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浄土真宗と高野山真言宗の飲酒戒についてですが、まず私の菩提寺は浄土真宗で門徒である私の両親はベロンベロンになるまで毎回酒を飲んでます。 毎年、正月の神棚の酒を母が私に無理矢理勧めて

浄土真宗と高野山真言宗の飲酒戒についてですが、まず私の菩提寺は浄土真宗で門徒である私の両親はベロンベロンになるまで毎回酒を飲んでます。 毎年、正月の神棚の酒を母が私に無理矢理勧めて 来ますが浄土真宗は飲酒戒はありません、高野山真言宗には飲酒戒があったはずです。 私は浄土真宗の門徒ですが、私の信仰の対象は高野山真言宗です。 私は正月に神棚に捧げた酒はどちらの宗派の戒律に従うべきでしょうか? 浄土真宗の菩提寺にその件で聞いたら「神様に捧げた酒だし、飲んでもいいんじゃない? 高野山真言宗側の方は一切分からないけど(^o^;)」とのことでした。

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そもそも、戒とはなんでしょうか。 文字を見ればいましめという文字が使われているので、 普通に戒律という言葉を考えれば、 してはいけないこと、タブー、ルール。 そういった印象を受ける方は多いと思います。 しかし密教の世界で説かれる「戒(戒律)」は 単純にしてはいけないこと、 という戒めの意味だけに留まりません。 もともと戒律ということばは、 戒と律という二つの規範を総称していう言い方です。 このうち「してはいけないこと」として ルールをまとめたものが「律」です。 仏典の全てを総称する言い方に三蔵ということばがあります。 この三蔵に通じたえらいお坊さんを指して三蔵法師というわけです。 この三蔵は経蔵、律蔵、論蔵の三つから成っています。 つまりいわゆる仏典とされるものは大きく分けて、 さとりへの道を説くいわゆるお経(経蔵)と さとりへ歩むものが守るべき規範(律蔵)、 そして仏の教えを先人達が詳しく論じた足跡(論蔵)の 三種類があるということです。 この一つに数えられているほど、 律というものは古代より教団成立の上で欠かすことの出来ない規範であり、 その時代時代の文化的背景を受けて、 仏陀によってまた先人達によって編集されてきた 決まりごとであると言えます。 それに対して「戒」は決まりごとというよりもむしろ 「自らのこころが本来的に持っている自発的な働き」のことをいいます。 すこしわかりにくいですが例えば有名な「戒」に 「不殺生戒」というものがあります。 生き物を殺してはいけないとする戒ですが、 言葉通り殺生してはいけないというルールと捉えると 戒の教えの本質が見えてきません。 我々は決まりとして決まっているから、 いのちを奪うことをしないのでしょうか。 生きる上からはやむを得ない部分も少なからずありますが、 密教では我々のこころの本質的な部分に、 他者の生命を奪うよりも他者のいのちを生かしたほうが 我々自身が心地良い、嬉しい、というこころが備わっていると見ます。 その本質的な自己のこころ、言い換えれば自分の中にある 仏と同質の部分、もっと簡単に言えば「ほとけごころ」。 そういうものが自分の中に また多くの人々の中に本来備わっていることに気がつく。 気がついて自覚してその自分の中の本当の声を大切にする。 そういう在り方を説いているのが戒の教えではないでしょうか。 ですから先にも触れたように「戒」の教え、「戒」のこころとは、 そのままにほとけの心の在り方でもあるわけです。 法話を聞いて「ありがたいな」と感じるだけでは、 一時の安らぎを得られても根本的な解決にはなりません。 お大師さまは「み仏の戒めを大切にすることによって、 人の体は潤いあるものになる。 それはあたかも諸天の飲み物といわれる甘露を飲むことによって、 身にまとわりついた病が除かれるようなものである」とお諭しくださっています。 大切なことは、知ることで満足せずに、知って実践することです。 高野山上にある高野山大師教会では毎日阿闍梨さまによって 「菩薩十善戒」のお授けがなされており、 「十箇条の戒め」のお授けに参加していただけます。 この素晴らしい仏の教えを「ただ聞く」だけではなく、 実際の生活に活用し、実践していただくことで、 皆様が自らや周囲の人を含め、多くのいのちを大切に 生かしていただければこれに勝る喜びはありません。

ThanksImg質問者からのお礼コメント

私の場合、戒律の無い浄土真宗から高野山真言宗に信仰を変えて大正解でした。 今回は大変勉強になりました。 ありがとうございます。m(_ _)m

お礼日時:2019/3/15 20:22