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日本の歴史に詳しい方に質問です 日本の戦後の歴史について知りたいです ...

tak********さん

2019/3/1701:10:45

日本の歴史に詳しい方に質問です

日本の戦後の歴史について知りたいです


日本って戦後は何もない焼け野原だったんですよね

そこから高度成長期になって それから

先進国になったんですよね


戦争が終わってすぐって日本って凄く貧しい国だったんですよね

そこから 日本が豊かになったのはいつくらいですか?

60年代 70年代って 高度成長の真っ盛りですが

もうこの頃から日本って豊かだったんですか

50年代は まだ戦後10年程度なので 豊かな暮らしの

イメージはないんですけど

80年代くらいはもう高度成長が終わって バブル期なので

すごく豊かなイメージはあるんですけど

じゃあ その中間の 60年代 70年代って

日本は豊かな国だったんですかねえ

60年代って 昔の東京オリンピックがあって

東海道新幹線が開通したりして 豊かになる

通過時期ですよね もうこの頃から 豊かだったんですか?


70年代は大阪万博があったりしたけど

自分は生まれてないので全然分からないんですけど


60年代 70年代の 日本の暮らしは豊かだったんですか?

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coo********さん

2019/3/1703:19:15

朝鮮特需が抜けてる。

日本が立ち直れたのはぶっちゃけ朝鮮戦争のお陰だと母は証言した。

今上天皇が皇太子時代の御成婚パレードの様子だとか聞いてたんだけど証言してもらってる途中で亡くなったんではっきりとはわかんねえんだよなあ、、、。

そこから55年体制の確立から池田内閣の所得倍増計画を経て経済成長の波に乗ってる。

うちは親が公務員だったんで60年代70年代貧乏やったなあ、、、。

でも当時の民間の給料の伸びなんて半端じゃ無かったって聞いてる。

小学生時分、周りの奴が数千円持って遊びに行くのに、自分なんかは数百円。

二子玉にマックが開店して大騒ぎになってな(笑)

マックで好き放題喰ってるのに自分はシェイクだけだとか、良い思い出だぜ。

着る物がさ、段々みんな良い物になってくんだよな、だからって人間が変わる訳が無くてよ、鼻水を服で擦るとか当たり前(笑)。

昭和の40年代だとまだテレビ自体は珍しくてデカいテレビは羨ましがられてた。

始めは手で回してチャンネル代えてたし、エアコンがある家なんかも見た事なかったな。

上流階級の家が始めに買う訳よ、そう云う高い物は。

民間人は毎年給料が爆上げしてた時代で、各家庭普通にテレビなんかの新しい家電を購入する、豊かさが染み渡っていくような感じだったな、自分がガキの時分は。

勢いが止まったのはオイルショックだな。

それで日本も成長に浮かれてる場合じゃねえなと思い始めたし。

新聞見るじゃん?

一面に中東戦争の影響で1バレルのオイル価格が12ドルから30ドルへとか出てんのよ、ガキの自分でも親に訊いてただ事じゃねえなあと感じてたな。

只、随分前から貯蓄率も世界最高だしそれでも余裕が有ったんだから物価自体大して生活に影響して無かったんだろうなあ。

破産しちゃったけどダイエーの前にサンコーって云う安売りスーパーが有って、オイルショック以降伸びたのがダイエーだったから節約うんだらを考え始めたのもその頃だな。

経済成長が良かった頃って、このまま無限に成長出来る、皆が未来だとか明日を無条件に信じてたから、それがそのまま幸福感に直結してたんだわ。

ま、気分だから当時に生きてねえと分かりっこねえんだけど。

おっちゃんも昭和40年、50年代が一番良い時代だったと思ってるよ。

ま、みんなガキの頃が一番懐かしく思うもんじゃねえの?

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ppi********さん

2019/3/2208:09:20

歴史に詳しいわけではないが、50年代からはまさに同時代人だったからその経験を述べましょう。

一番初の回答のように、敗戦で都会が焼野原になったところで、戦前に獲得した先進国民としての文化と意識は失われなかったので、平和になれば、生活水準の回復はめざましかったのです。

親に聞けば1950年迄は食べるのにも苦心したが、それを越すとまず着るものに、ついで住処(住宅)の再構築に関心が移り、1960年代半ばを越すと中産階級ではその心配などしなくなり、生活の関心はレジャーと娯楽に移行していきました。

親世代にいわせれば「自分らのような戦火に奪われた惨めな青春を子供世代には味合わせたくない」という 頑張り意識、言い換えれば自己向上心が造った国民お互いの豊かさでした。

勤労者の給料は上がっていくが消費者物価も上がるので、農山村や自営の人々は苦しかったのです。でも人手不足が産業構造の変化を促し、農村地帯に製造業が進出することで所得の均等化が進みます。

だが、勤労者でも週休二日制など夢のまた夢で(法定労働時間は現在より8時間長い週48時間)、欧米諸国民の長い夏休みは信じられないほど羨ましかった。
それが覆されたのが、71年のドルショック。以降は、日本円の切り上げ圧力がかかって石油ショックの混乱を世界で最も巧妙に切り抜けて、気がつけば「ジャパン・アズ・ナンバーワン」ともてはやされる80年代になっていたのです。

日本人の平均的な「豊かさ」の推移を 二種類のデータで示しましょう。

1)平均寿命
1950年 男性58.0才 女性61.9才
1960年 男性65.3才 女性70.2才
1970年 69.3才 74.7才
1980年 73.4才 78.8才
2010年 79.6才 86.4才

2)大学への進学率(短期大学と夜間大学を含む)
1960年 男性14.6% 女性7%
1970年 男性27.3% 女性18.4%
1980年 39.3% 32%
2013年 54% 55%

見てのとおり、60年代70年代は 80年代を造る中間段階にすぎなかったのです。
大学進学率で注意しなければならないのが次。

①80年頃まで女性が進むのは二年制の短大がほとんどで、その時代までは数年間勤めたら、結婚退社して若い後輩に席を譲らねばなかった!?のです。
男女雇用均等法が浸透し、男性なみの待遇が保証されると、4年制大学を出た女性の就職先が増え、同時に勤務期間が延びて、結婚年齢が上昇し、これが少子化社会を招く一因になります。

②男性にも70年代以前の大学進学の中には、高卒で働きながら文系の夜間大学(大都市にのみあって、二部と呼んだ)に通って、大卒資格を得ようとする人々が少なくありません。
「5時まで勤務して、学校へ通って9時近くまで学ぶ」、これを若い人が四年間続ける、休日はレポート書きに忙殺される・・・こういった生活には、相当な自制が必要でした。


悪いけど質問しているキミが 甘受した80年代以降の「豊かさ」はこういった先行世代の苦心の蓄積の成果だ、という意識が欠けていると思います。

もう一つ大事なことは、80年代後半の日本人が経験した「日常生活の豊かさ」は、根拠の乏しいバブルであって、本物でもなんでもない砂上の楼閣だったということです。

土地と株価の上昇で、多くの国民が浮かれて多額の借金を重ねて、日常生活に投入しました。
大学新卒で手取り16万しかないのに、8万円のワンルームマンションに住み、スーツを何着もボーナス払いで購入し、さらにマイカーのローンを組みます。職場が永続しなければ持続しない生活です。
中高年の家庭では、住宅ローンの支払いが始まった段階でも、平気で次の自由目的ローンを組んで、別荘や株式投資に投入したり、海外旅行、観劇グルメに費やします。
「ローンが借金で将来必ず、返さねばならない」という鉄則を忘れてしまっての「豊かさ」で、絶対に持続不可能な幻想だったのです。

その幻想に10年以上 気がついていなかったのがわれわれ 日本人です。

bro********さん

2019/3/1921:02:30

60年代は、発展途上国から先進国に一気に駆け上がる高揚期です。
60年には白黒テレビの普及率が1~2割ですが、65年には全戸に普及。70年にはカラーテレビが3~4割に普及していました。冷蔵庫もほぼ同程度でしょう。
名目賃金は毎年1割以上増えています。一方で、バスや郵便、国鉄(当時)などもこれに負けないくらい、値上げしています。
インフレ率が高かったものの、総じて生活が豊かになっていくことを実感していました。

70年代は、先進国入りしたものの実感がわかず、海外旅行に出掛けるのが近所で自慢でした。農協観光といって、JA主催の農家の人を対象にしたツアーが海外のあちこちで珍道中を繰り広げ、それを自虐マスコミが盛んに報道していました。この辺りは、現在の中国人観光客そっくりです。

71年がニクソンショックで、為替レートが変動制になり、1ドル=360円だったものが、80年には200円を割っています。
この時期に、欧米先進国と比べても全く遜色のない一人当たりのGNP(当時はこれを使っていました)になっています。

wmi********さん

2019/3/1920:29:02

何をもって豊かと言うのか判らないけど。
新幹線は国連のIMFからの借金で造った。

不適切な内容が含まれている可能性があるため、非表示になっています。

投稿内容に関する注意

jun********さん

2019/3/1704:25:51

日本とドイツは敗戦国なので、軍事制限されていたので、戦後は軍事に金を使わずに[自国の経済活動だけ]やっていられました。

日本とドイツの経済発展は、奇跡でも何でもなく[当然]です。

そもそも、日本は戦前から[大国]でした。

第一次世界大戦の常任理事国です。

日本が、世界史上初めて、パリ講和会議で[人種差別撤廃条約]を提出したのは1919年です。

ブラジルやルーマニア、チェコスロバキアは、日本に理解。

リベリアやアイルランドは感謝。

アメリカの全米黒人地位向上協会からも感謝。

アメリカは[人種差別撤廃提案は内政干渉]と反発。

白豪主義政策を取っていたオーストラリアは激怒。

イギリスは[日本は五大大国なのだから、待遇の優劣を問題にする事はない]と忠告。

この[人種差別撤廃条約提出]で、アメリカとオーストラリアにロックオンされて、第二次世界大戦に持ち込まれた。

戦後、日本人全員殺して、新しい人間を入れ換えた訳ではないから、戦争が終わったら[戦前に戻った]だけ。

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