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藤堂高虎は、七人の武将に仕えるという不思議な人生を送った方ですが、

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ID非公開さん

2019/3/1804:54:49

藤堂高虎は、七人の武将に仕えるという不思議な人生を送った方ですが、

二番手としての才覚に優れていたという事ですか?
人の株を上げる才覚といいますか。

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jun********さん

2019/3/1811:50:07

戦国時代の武士は、転職が当たり前ですから、
7人の主人に仕えたというのは、決して不思議ではありません。
ただ、それらの人々の中で、最も成功したのが、
藤堂高虎だから、有名になっているだけです。

ちなみに、美濃の可児才蔵という武士は、高虎を上回る、
9人の主君に仕えたと言われていますし、
三河の水野勝成は、9つの家を渡り歩いています。

二番手としての才覚に優れていれば、仕える主人を度々変えたりは、
しないでしょう。
補佐役として、長く一人の主人に仕えたはずです。
例えば、武田家に仕えた春日虎綱(高坂昌信)とか、
徳川家に仕えた本多忠勝といった人たちが、
二番手としての才覚に優れていたと言えます。

高虎のような人は、真逆で、フリーランスのスペシャリストです。
彼の場合は築城術や戦場指揮官、謀略家といった、
一人で多種の才能があったから、どこへ行っても、
重宝がられたという事でしょう。
ただし、所詮は外様の新参者ですから、
主人に心の底から、信頼される事は、無かったと思います。

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sto********さん

2019/3/1821:57:26

一人の人ではなくたくさんの人に仕えるのは不忠だというのは江戸以降に確立されて来た感覚と言われています。なので別に7回主君を変えるのは特に珍しいことではありません。特に自らの槍に自信があるものはよくあるかな?と私は思います。既に出ている可児才蔵や水野勝成の他に渡辺了や塙直之も似たようかと。
高虎の才能が普請などに向いたのは羽柴秀長に仕えたときからかなと思います。それまではどちらかと言えば槍使いの面が強いかと。初陣の姉川の戦いでも首級を挙げてますしね。また、秀長に出会うまでは普通に反りが合わなかっただけで、2番手云々ではないですね。むしろ2番手格というかその家の高い地位に就いていたのは大和大納言家(秀長・秀保)に仕えていた時だけであって、決して2番手とかの高い地位にずっといた訳ではありません。

tun********さん

2019/3/1810:18:43

番手の問題ではないとおもいます。株を上げる才覚ではなくて武将として政治家として能力を認められたということだとおもいます。

wkp********さん

2019/3/1809:06:46

竹中半兵衛ほどではないが、
築城、戦、統治どの部門でも、優れた武将であります。
浅井長政、豊臣秀長等の家臣の時もありましたが、
主君が先になくなり、浪人になっています。

kaw********さん

2019/3/1808:38:57

主人に恵まれないだけでは?

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