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よく戦争を扱ったTV番組などで日本が真珠湾を攻撃した時に「勝ち目のない無謀な戦...

brf********さん

2019/4/1318:16:03

よく戦争を扱ったTV番組などで日本が真珠湾を攻撃した時に「勝ち目のない無謀な戦争であることが分かっていたのに開戦せざるを得なかった」といったことを言っています。

それに対して戦記物の執筆者で有名な故江戸雄介氏は「負けたからあんなことを言っている。開戦前は皆本気で勝つつもりだった。」と言っていました。
皆さまはどう思われますか?

補足多数の誠意あるご回答をありがとうございます。
賛否両論、非常に高度な内容に満足しています。
私は以前、太平洋戦争の分岐点となったミッドウェー海戦に関してブログを執筆しています。
これをお読みいただければ江戸氏の発言をご理解いただけると思います。
「日本敗戦と原発事故ー故江戸雄介氏を偲んでー」
https://ameblo.jp/mscnf/entry-11257464806.html

(ブログより抜粋)
江戸氏は、第二次世界大戦全般における日本の最大の敗因は、軍上層部がおごり高ぶり戦争をなめきっていたからだと述べておられました(原子力発電事故と似てますよね。原発事故直後の政府の発表は「大本営発表」と揶揄されていたし・・・)。

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yuu********さん

2019/4/1408:41:11

>開戦前は皆本気で勝つつもりだった
皆という点は、わけて考える必要があります。

国民の大部分は報道を鵜呑みするしかありませんでした。そもそも、「日米戦は真珠湾攻撃後の東条首相の発表」で、その事態を”初めて知った”状態で、開戦は最高機密でした。禁輸処置で緊張は高まっても、その選択肢が具体的にあると知り得る立場にはなかったのです。

「日本政府」でも、わけて考える必要があります。
対米戦を主導したのは、海軍でした。そして、対米戦=真珠湾攻撃を推進したのは、避戦派と名高い山本五十六が主軸で、昭和16年1月時点で海相及川に次のような手紙を送っています。
「日米戦争において我の第一に遂行せざるべからざる要項は開戦劈頭敵主力艦隊を猛撃撃破して米国海軍及米国民をして救ふ可からさる程度にその志気を阻喪せしむること是なり。此の如くにして始めて東亜の要障に占居して不敗の地歩を確保し依て以て東亜共栄圏を建設維持し得へし」
これは、山本五十六を取り扱った映画でも取り上げるなど、もはや山本や開戦前の日本側を論じるのに必須になるほど有名なもので、であるがために、最後まで対米戦に反対だったと阿川の小説など昭和期の古臭い知識を妄信する愚か者たちが故意に無視する類いのものです。
こうした見解は山本個人に限ったことではなく、真珠湾攻撃後に、海軍は大成功と沸き立ち広報役の平出大佐は「米国海軍は再建に何年もかかる。もしかしたら、5年10年はかかる」と公言して、また避戦的言説で知られる元首相岡田も上機嫌で、皮肉屋の近衛に「岡田までも浮かれおって」と言われる始末でした。そして当の山本は、シンガポール陥落後には、”米国との講和”について言及しています。
阿川信者には「東条が頑迷だった」と見当違いの見方をされますが、本質は「山本は真珠湾攻撃の成功とシンガポールの陥落は米国の交渉材料になる」、と”見ていた”という点です。

よく国力差や資源量を理由に「米国に勝てないと分かっていた」と言われますが、GDPが戦争の勝敗にどれだけ影響するか現代でも絶対の答えは出ていません。それらの指標だけで論じるなら、日清・日露戦争で日本は勝てないですよね。
もう一つ無視できないのは開戦前の日本は”海軍力において米国より優勢だった”のです。
・海軍力で優勢だった
・先制奇襲攻撃をして戦力の均衡を崩せば日露戦争のような勝利をできるとの目論見があった
・具体的作案として山本は真珠湾攻撃構想があった。
これから、
「米国海軍及米国民をして救ふ可からさる程度にその志気を阻喪せしむること是なり。此の如くにして始めて東亜の要障に占居して不敗の地歩を確保し依て以て東亜共栄圏を建設維持し得へし」に算段があるとして推進したのです。
また、独ソ戦勃発後から開戦まで海軍の組織としての公式発言は「英米戦には自信がある」でした。
こうした過信がなければ、山本以下司令部のミッドウェーでの油断は理解できませんよね。

ですから、海軍はまさに
>「負けたからあんなことを言っている。開戦前は皆本気で勝つつもりだった。」
これ以外の何物でもありませんでした。
ただ海軍でも個々人では微妙な空気差はあったりします。
「英米戦には自信がある」と軍務局長岡とともに強気の発言をしていた開戦前の海相及川ですが、独ソ戦の勃発と昭和天皇の避戦の意思を知り動揺して、その結果が昭和16年9月の三相会談となります。この時の及川の態度について、戦後の愚かな人間は彼の優柔不断だと原因を求めますが、本質は「避戦の模索は海軍省の”独断”だった」のが原因です。
一方山本の上司で軍令部の長である永野は、昭和16年4月に就任して、軍令部内の情勢を後知りになったのと、山本の真珠湾攻撃の投機性に懸念がありましたが、組織の移行には異論がなく、あらゆるレトリックを駆使して開戦に持ち込む役割を果たします。

海軍部外となるともっと変わりました。
もっとも単純だったのは、東条以下陸軍です。「対米戦を推進した」というのは大嘘ですが、彼らは「専門外」との認識で、「担当の海軍が自信があるというのだから、そうなのだろう」とある種の気楽さで楽観していました。
昭和天皇は当事者の中でもっとも悲観的な部類に入り、開戦直後から和平を模索するよう言及して、その手段としてローマ教皇の活用すら含まれていました。

結論的には
>開戦前は皆本気で勝つつもりだった
推進者の海軍はまさしくそうだった。
海戦の知識も、ほとんどの対米情勢分析も外務省と海軍からのものしかない陸軍は海軍がそう言うならだった。
首相ながら陸軍軍人の専門馬鹿の東条はまさしく典型だった。
昭和天皇は悲観的で真珠湾攻撃の成功で東亜共栄圏の可能性を見出すよりずっと悲観的ですぐに和平を模索した。
”当時の”政府外には近衛のような皮肉も、全般的に少数だった。
「本気で勝つつもりだった」連中によって日米戦は推進されて開戦に至ったが真相です。

  • yuu********さん

    2019/4/1413:17:50

    >二次世界大戦全般における日本の最大の敗因は、軍上層部がおごり高ぶり戦争をなめきっていた
    事実でしょう。

    現代日本人は無理解ですが、海軍には「現存主義」という戦力を温存して決戦を回避する思考があります。これは一方で退嬰と同義でした。
    だからこそ、真珠湾攻撃で戦力の均衡を崩すと、「米国民の士気の喪失」には失敗しても、「海戦の玄人」である山本以下海軍軍人は「米国は反撃能力も意欲も乏しい」と見ていたのです。珊瑚海海戦、ドゥーリットルでの反撃があった上で、敵地に踏む込む状態ながらあれほど油断していたのは、「想定より米軍は活発だが、なあに正面切って挑んで来たら敵ではない」との楽観を無視しては語れません。

    「米国の底力と恐ろしさを知り尽くしていた」なんて前提がどれほど見当違いか明らかですね。

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2019/4/19 22:58:07

多数の方の誠意あるご回答に感謝します。

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san********さん

2019/4/1812:17:45

「本気で勝つつもり」だったんでしょうね。

「ロシア帝国との戦争に勝利した我々日本軍は、世界最強」だから、アメリカ、イギリスを、相手にしたって、勝てる。

そういう気持ちだったんでしょうね。

日本軍の幹部が、世界の事も、経済や資源の事も、何も知らない「バカ」だった、と言う事でしょうね。

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zer********さん

2019/4/1716:24:11

開戦前の日本から見える国際環境はどうだったか、ということを考えれば察することはできるんじゃないかな

まず、当時の世界は世論といっても情報の質量ともに限られる。市民に与えられる情報の正誤や正確性など論ずるに足らないほどあいまいで主観的。そういう土台からアメリカ、日本、アジアを見た場合、日本人にはアメリカは長年戦争したことのない国、富んではいるが精神性に劣り我慢や忍耐ができない。そのような軟弱な市民の軍隊であれば、国家のために命を捨てることを辞さない、近代においても常に格上の中露らを下してきた日本ならば十分知恵と勇気で勝利できると考えても不思議ではない

ただ、それはあくまで大衆レベルのお話。大衆ってのはいつの時代も無責任。今も情報は多少増えたが、真偽や判断力自体は大差ない。日本国民自体は、さすがにアメリカが強国だということは認識していたが、それを言えば清もロシア帝国も強国だった。戦いに長け、今も大陸で縦横無尽に戦線を広げている日本軍であれば日本海海戦の再来をアメリカ相手にも成し遂げうる。くらいは思っていた人も多いだろう

それに、重要なのは「無謀な戦いとやらを回避すれば幸せな未来が約束されたとは限らない」ということ。1940年時点のアメリカは既に大軍拡の予算を通過させていた。これが完成した後で戦争になれば日本に勝ち目はない。ドイツが英ソを圧倒しているうちに日本がアメリカを短期で破らなければ次はアメリカが準備を整えて日本を攻めてくる。そういう未来が見えたであろう。進も地獄、守も地獄。進んでも3%の勝ち目もないが、守ればいずれ確実に踏みつぶされると見えたらはたして最後まで戦争を回避しようという国はどれだけあるか

syu********さん

2019/4/1716:01:12

短期決戦でどこまでいけたのか?
開戦時の戦力が整っていたのは日本。
開戦後準備が整えば圧倒できる米国。

私はハワイの次はインド洋を押さえ英国を屈服させる努力をするべき
だったと思いますが勝てるかといわれれば不確実です。

補足について
海軍乙事件を思い出しました。

日本軍の最重要軍事機密文書がアメリカ軍に渡ったのに
エリートだから責任を追及しない。
今も昔も日本人の体質が変わっていないのですね。

yph********さん

2019/4/1709:13:23

当時、日本軍国主義は、内政に成功しておりましたので、国内支配体制の完成を背景に、勝ち戦が当たり前の気風が蔓延しておりました。

1965年の原発開始も、ご指摘のような流れからです。こちらも、今なおその流れで、小泉氏の奮闘もあって、反原発が反体制にならないようになって来ております。

cel********さん

2019/4/1614:31:22

こんにちは

最初に偉そうな事を言ってしまいますが…

この手の話って史料に基づいて語るべき、と私は思います。史料が勝手に「こうだったのだ」って言ってもよければ、それっぽい事は誰でも何でも言えますから…。

それから、金太郎飴的に誰もが同じ考えだったのか、まさかそんな事はあるまい、という前提で考えるべき、と思います。でなければ、指導者層に限っての議論をする、軍部で言えば、陸海軍省のトップ二人×2と大本営陸海軍部のトップ二人×2、合計8人に限るとか、です。

また、時期によってもかなり違うでしょう。真珠湾攻撃の時(より正確には、開戦直前の話)にするならば、史料もその時期に限るとか…。状況によって、「楽観度」って当然変わりますからね。ミッドウェー海戦直前は、楽観論がピークと言っても良いのかも知れません。

さて…

「勝ち目のない無謀な戦争であることが分かっていたのに開戦せざるを得なかった」ってな主張は私はしょっちゅうは聞きませんが、そういう事を言う人は確かにいますね。こちらはかなり「ウソ」に近い、とは思います。人間って、自分自身の行動が決定すると、取り敢えずは「目標は達成できる」という前提で考えようとするのが当り前だと思います。特に軍人は、一旦決まったら可能・不可能の確率の大小に関わらず、極力可能にする様に考える事が求められます。「勝ち目がないと分かりつつ、開戦せざるを得ない」というより、「勝ち目の大小は横において、勝つ(少なくとも負けない)つもりだった」というところだと思います。

それに比べれば「負けたからあんなことを言っている。開戦前は皆本気で勝つつもりだった。」の方がまだシックリきます。(可能性の大小は横に於いて)本気で勝つつもりだった、って意味なら、その通りと思います。

資料を少しご紹介しておきます。(直ぐに思い出したものだけです)

まず、日本が事実上の開戦決意(=米国が呑む可能性が乏しい事を知りつつ日本の最低限の要求を決め、それを米国が呑む形で12月1日迄に外交交渉が成立する、それを停止条件とした開戦の決意)を固めた、1941年11月1~2日の大本営政府連絡会議についての大本営陸軍部塚田参謀次長の所感から引用します。

ご自身で読まれる場合は、国立公文書館アジア歴史資料センター(以下アジ歴)の↓のページに、レファレンスコードC12120254700を入力してリンクを辿って下さい。

https://www.jacar.archives.go.jp/aj/meta/reference

~~

一、今戦争をやらねばならずとの意思は永野は強く明らか也然し将来の戦争見透しは不明と言う。島田は永野の言う如く今やるよりほかなしと考え居る様子なるも積極的には言わぬ。
杉山総長は戦機は今なり、陸軍作戦は海軍の海上交通確保と共に占領地確保に自信ありと強く言う。賀屋、東郷は最後まで数年先の戦争の事は不明なるに付決心し兼ねるとて大体臥薪嘗胆の人らしく看取せらる。
鈴木は賀屋東郷に対し種々心配あらんも今戦争を決意する以前に手段無し又物的関係よりも今戦争する方がよろしと説く。

二、一般に前途に戦争の光明なしとすること、及び何とか平和にてゆく方法なきやと考うる為に、「長期戦になるも大丈夫戦争を引き受ける」と言う者なく去りとて現状維持は不可、故にやむなく戦争すとの結論に落付たり

~~

全般的には「喜び勇んでの(事実上の)開戦決意のではない」、それは分かりますね。ただ、その中でも、永野海軍軍令部総長は「将来の見通しは不明」であるのに対して、杉山元陸軍参謀総長は「戦機は今」とか「占領地確保に自信あり」とか、わりと「目先」の話を言っています。

全般的に、陸軍(例えば杉山参謀総長)には、『海軍がちゃんとやりさえすれば、陸軍は責任を果たせるのだ』という意識が強かったように思います。だから「長期的見通し」への関心が乏しい、そのあたりが、11月1~2日の大本営政府連絡会議での杉山参謀総長の発言のトーンに現れている、そんな感じがします。ですので、ひょっとしたら、陸軍の「勝ち負けの可能性の話」って、さほど意味がないのかも知れません。

で、11月1~2日で事実上の開戦決意を固め、それを5日の御前会議で正式なものとする、その前日に軍事参議会に諮った時の永野総長と東條陸相(兼首相)の説明から引用します。これは、ある意味で、ほぼ「結論」を固めた後の発言です。

アジ歴「昭和16年11月4日 軍事参議会に於ける質問要旨」(レファレンスコードC12120205700)の5~7/24に永野総長の説明があって…

~~

長期戦に於ては各種の原因より予見し難き要素を包含す。先づ米に比し我れは諸種の材料、資源少く工業力に於て格段の差あり且開戦後に於ける米の兵力補備につきては今日以上の能率を現はすべきを予見し得べく又海上交通の保護、攻撃等の点に於ても米は潜水艦を東洋に増派すること容易なるべしと思考せらる。之らの点に関してのみ考ふるも数年後の長期に亘り確信を以て戦局の帰結に関し述ぶること困難なり。況んや此間に起るべき世界状勢の変化逆賭し難きものあるおや、日本海軍としては開戦二ヶ年の間は必勝の確信を有するも遺憾ながら各種不明の原因を含む将来の長期に亘る戦局につきては予見し得ず。
又講和の緒につきて一言す。対米作戦に於て最も我苦痛とする所は敵の本拠を衝くこと困難なる点にあり。米は重要資源を他より求めざるべからざるを以て之が妨害をなすことは可能なるも其絶対性につきては懸念なき能はず。
唯英米連合軍の弱点は英国にありと考へらる。即ち海上交通絶ゆれば英を餓死せしめて屈服せしむること最も捷径なり。之に先ち独逸の英本土上陸成功すれば更に有利なり。英を屈服の余儀なきに至らしめ一蓮托生の英米を圧すること吾人の着意すべき点にして日独の間にも此くの如く協定するを利ありとす。

~~

と言っています。軍事面に限れば、長期「予見し得ず」とは言うものの、かなり悲観的ではあるものの、「英国を屈服させるのがもっとも捷径(=早道)とも言っていますね。

それを受けての東條陸相の説明から一部を引用します。

~~

上述軍令部総長の長期戦に於ける見透しに於て二ヶ年後の戦局に就ては不明なりとの点につき補足せんとす。本事項は連絡懇談会に於ても論点となりし所なり。二年後に於ける戦局の見通し不明なるに拘らず開戦の決意に到達せし所以次の如。

(中略)

次に支那事変の見地より考ふるに、対日経済封鎖は益々強化せらるべく我れは何ら策の施すべきものなし。此状態は重慶、ソ連に反映すべし。我占領しある支那の地域満州の動向は如何、更に台湾、朝鮮の向背如何。此の如きは徒に拱手して昔日の小日本に還元せんとするものにして光輝ある二千六百年の歴史を汚すものと謂わざるべからず。
以上により吾人は二年後の見透しが不明なるが為に無為にして自滅に終わらんより難局を打開して将来の光明を求めんと欲するものなり。二年間には南方の要域を確保し得べく全力を盡して努力せば将来戦勝の基は之れに因り作為し得るを確信す』

~~

東條英機らしい「精神主義」的発言ではありますが、ある意味では既に「覚悟」していた、って事だと思います。(ただ、これも彼の「主観」ではありますが、この時期の東條の主張だった「米国が日本の決意を知れば、ビビッて日本の要求を呑むかも知れない」という説明もこの会議でしています。)

最後に、ご質問とは直接関係の無い話も含みますが、平成14年度の防衛省防衛研究所戦争史研究国際フォーラム報告書(↓にリンクあり)の中の『日本の戦争計画におけるイギリス要因—「対英米蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」の消滅まで』(赤木完爾)の結論部分(P97~98)をお読みいただければ、と思います。

http://www.nids.mod.go.jp/event/forum/j2002.html

~~

開戦当時の軍令部作戦課長、富岡定俊大佐は次のように回想している。「この戦争は、敵に大損害を与えて、勢力の均衡をかちとり、そこで妥協点を見出し、日本が再び起ちうる余力を残したところで講和する、というのが私たちのはじめからの考え方であった。だが、そうはいっても、講和の希望にたいする裏付けが、とくにあったわけではない。しかし、当時は、欧洲でも大戦が進行しており、最高指導者の間ではドイツも非常に勝っていることだし、バランスということもあるので、講和のキッカケはその間にでるだろう、と考えられていた」 。
以上にみたような「勢力均衡の観点からの和平の早期実現」という期待的幻想が生じた理由は、日本の政策決定者たちが、長期戦・総力戦について語ることはあっても、多くはその本質を理解していなかったからである。したがって開戦時の多くの日本の政策決定者は戦争の終結について、日露戦争当時の古典的構想しか持ち合わせていなかった。
それは富岡の言葉によれば、「制限戦争観」である。その主要な理由は、日本が総力戦として戦われた第一次世界大戦から近代戦争の本質を学ばなかったことから生じている。

~~

富岡定俊大佐の回顧は、永野軍令部総長の軍事参議会での説明よりも楽観的な言い方には聞こえますが、本質的には言っている事と同じです。

私は、

・あまり、明るい話では無い、勝ち目がどうかといったらあまりなさそうだ、ぐらいの意識は当時の指導者層にはあった

・が、事実として開戦を事実上決意した後は、もはやその話は意味が無い

・そういう状況下で、赤木完爾の言葉を借りれば(負けるだろうという前提で考えられない為に)「期待的幻想」として、「その内講和のチャンスも出てくるだろう。英国だってずっと戦い続けるとは限らんし…」、そうした考え方に飛びついてしまった。

だから、本気で頑張れば何とかなるんじゃね?、みたいな感じの「皆本気で勝つつもりだった」ってところじゃないか

と思います。

長文失礼しました。

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