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ポラーノの広場で

hid********さん

2019/4/1720:18:48

ポラーノの広場で

「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
と言ったのは誰でしたっけ?
ファゼーロであっていますか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

isi********さん

2019/4/2321:30:56

ポラーノ広場の当該部分は異稿が多く確実なところは謎です。
最後の章である「6、風と草穂」は特に原稿の改訂が多いため出版社によって内容が微妙に異なります。

宮沢賢治先生が書かれた未発表原稿は、鉛筆書きの原文に対して後に黒インキで大きく加筆修正が行われています。修正箇所の反映具合により出版社によって違いがあるようです。
ちなみに鉛筆書きされた原文では、新しい工場組合の結成式で多人数が演説する構成となっており、そこでは”ファゼーロ”の台詞となっています。

ちくまの全集で読むと、語り手の”キュースト”だと思われます。
その部分の会話では、キューストとファゼーロ(皮なめし担当)、ミーロ(ハム担当)、元から工場にいる老人(酢酸担当)という4人で工場設備の利用方法を話し合う場面に改変されており、

「ぼくはきっとできると思う。なぜならぼくらがそれをいまかんがえているのだから。」
「さあよしやるぞ。ぼくはもう皮を十一枚あそこへ漬けておいたし(後略)」とい
う会話になっています。

ファゼーロは皮加工について話している次の話し手であり、会話の内容と順番から当該の台詞はキューストだと思われます。

通常ちくまの全集を正式なものとする場合が多いようですが、少しシンプルすぎるきらいがあります。これは宮沢先生の他の作品にもいえるのですが最終的な加筆修正を必ず採用するというやり方には疑問があります。

青空文庫を確認すると、講談社を底本にしているのですがちくまの編集とは異なり、当該部分は多人数の会話の一つとなっており誰の台詞かは特定はできません。
以前読んだ岩波も多人数による会話の編集だったと記憶しています。

余談ながら、久々に読み返しましたが、やはり宮沢賢治先生は優れた創作者だと思います。

  • 質問者

    hid********さん

    2019/4/2322:18:18

    あぁ、ありがとうございます。
    もしかして今話しているのが誰なのか、までを追い求めてはいけなかったのかな、とも感じました。
    宮沢賢治はポラーの広場という場所を通して人々の葛藤と受容、協調と、希望を描きたかったのであって個々にスポットライトを当ててないのには理由があるのかなと勝手に解釈してしまいました。
    でも、回答のために再読されるなんて本当にありがたい。
    感謝です!

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