ここから本文です

250枚です。三国志の劉備玄徳は、皇淑の身分なのに、なぜわらじ売りのような貧しい...

fin********さん

2019/4/1813:00:45

250枚です。三国志の劉備玄徳は、皇淑の身分なのに、なぜわらじ売りのような貧しい商売をしていたのでしょうか?

閲覧数:
86
回答数:
5
お礼:
25枚

違反報告

ベストアンサーに選ばれた回答

kan********さん

編集あり2019/4/1814:33:41

ちょっと何言ってるかよく分かんない回答が付いてますが、まあそれはさておき。

劉備は前漢武帝の頃の中山靖王・劉勝の子孫を名乗っていて、時の皇帝(献帝)から正式に宗室として認められてますから全くのウソではありません。家系図が伝わっていないから確認しようがないだけです。まあ劉勝から劉備まで約300年ほど経ってますから、仮に本当でもほとんど血の繋がりはないと言ってもいいですけど。
劉備から遡れるのは劉備の祖父までで、劉勝の子孫も辿れるのは数世代まで(その後は王位を廃止されて事実上庶民になっている)ですから、劉備の家系が困窮してても何の不思議もありません。まあ親戚から遊学の援助をしてもらってるぐらいなので、近しい一族全体はともかく劉備の家はそれほど豊かではないでしょう。ただし当時は「学問が出来る」というだけである程度の資金力の証明になった時代ですから、一族全体で見ればまあ裕福な部類に入ると思います。劉備の祖父も父も官職に就いており、官職に就けるというのはそれだけで中流以上の家系の証明でもありますから、全くの庶民でもありません。
劉備が筵や草鞋を売って生計の助けにしていたというのは正史『三國志』にも記載された話なのでおそらく事実ですが、それは劉備が幼い頃に父を亡くして一家の収入が激減していた事を示していると考えられます。

劉備が主人公になるのは三國時代当時から約1200年ほど経ってから成立した『三国志演義』という演義の話で、演義とは「分かりやすい文章で書かれた時代小説」という程度の意味です。フィクションではあるけれど「つくりばなし」と切り捨てるのは語弊がありますし、『三国志演義』は俗に七実三虚と言われるように、大筋で史実に沿って書かれています(七実)からその意味でも「つくりばなし」ではありません。
また劉備が時を経て『三国志演義』の主人公になったのは、三國時代から南北朝時代を経て後漢を継いだ魏(曹操が事実上興した王朝)よりも地方の亡命政権に終わった蜀漢の方が「正当な王朝」だと考えられるようになったためであり、別に『三国志演義』をまとめた羅貫中が創作したことでもありません。『三国志演義』が成立したころの中国(明の初め頃)においては、それが「当たり前の正しい歴史認識」だっただけです。
で、今の日本で一般的によく知られている三国志の物語は、この『三国志演義』がベースになっています。先行回答にもあるように、劉備が「皇叔(皇淑ではなくて。皇帝の叔父という意味)」と呼ばれたのは演義の創作ですが、先述したように後漢王朝の宗室に連なる出自と認められたこと、時の献帝より約20歳ほど歳上だったこと(劉備161年生まれ、献帝184年生まれ)などを考えても「皇叔」という設定には何の矛盾もありません。

この回答は投票によってベストアンサーに選ばれました!

ベストアンサー以外の回答

1〜4件/4件中

並び替え:回答日時の
新しい順
|古い順

met********さん

2019/4/1906:18:03

中国で多い姓は劉、李、趙、朱、王、孫など。
いずれも歴代王朝の子孫であることを示すものです。

権力者は正室、側室など妻が何人もいて子供をたくさん作りますから、子孫が多くて当然です。うなずけますね。

ただ、子孫が多いということは、皆が皆、貴族のような暮らしができるわけではなくて、椅子取りゲームで貴族の椅子に座り損ねて澪落するものの方が多いわけです。

控えめに見積もって、劉氏の男に四人ずつ成人の息子がいたとすると漢の高祖から三国志の時代までに13世代。4の13乗で6千4百万もの劉家があったことになります。
その中にむしろ売りの男がいても不思議ではありません。

ris********さん

2019/4/1813:44:32

史実では皇族になんら関係ない人物だったようです。仮にそうだとしても家系図がなく証明できません。三国志”演義(つくりばなし)”の主人公なので、立派にしておかねばなりません。暴力団組織して混乱に乗じて政権転覆を狙って漢王朝中興を目指した曹操政権に刃向う逆賊で、自ら勝手に皇帝も名乗る上に三国一弱い国の主で農民を困らせた。とあれば物語の主人公としてまずいです。

貧乏だけど正当な漢王朝の末裔が漢王朝復興を目指す正義の義士という感じにしたかったので、同じ高祖劉邦の漢王朝と同じ劉であることをいいことに皇室に連なる高貴な人物で野に伏していただけ、ということにしたのです。

言ってしまえば田中角栄の子孫だと勝手に名乗り出た全く関係ない田中さんみたいなものです。

sna********さん

2019/4/1813:24:30

皇淑と呼ばれるのは、曹操の元にいる時ですし、そもそも演義の創作だったはず

史実の劉備は皇族を名乗ってますが、これは否定も肯定も出来ません、祖父が孝廉にあげられ県令を務めているので町の顔役位の家柄でしょう、父親を若くして亡くしたようですが親戚に援助されて慮植の元で学問をさせて貰えるレベルですので、それ程困窮もしていないでしょう、学問そっちのけで遊んでたようですし

i65********さん

2019/4/1813:21:15

25枚じゃねーか

みんなで作る知恵袋 悩みや疑問、なんでも気軽にきいちゃおう!

Q&Aをキーワードで検索:

Yahoo! JAPANは、回答に記載された内容の信ぴょう性、正確性を保証しておりません。
お客様自身の責任と判断で、ご利用ください。
本文はここまでです このページの先頭へ

「追加する」ボタンを押してください。

閉じる

※知恵コレクションに追加された質問は選択されたID/ニックネームのMy知恵袋で確認できます。

不適切な投稿でないことを報告しました。

閉じる