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共和制ローマとヘレニズム時代より

eln********さん

2019/4/2716:00:04

共和制ローマとヘレニズム時代より

分割統治はいつから始まったものですか?時間軸がわかりません。十二表法とリキニウス・セクスティウス法の間くらいでしょうか?

ポエニ戦争より
中小農民が没落して「パンと見世物」が始まったり騎士が徴税請負人になったのは、戦争が第何回目のときですか?

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him********さん

2019/5/122:36:44

分割統治は紀元前264年から紀元前241年の第一次ポエニ戦争が終わってからです。その戦争で初めてローマはイタリア半島外に領地を持つようになり、シチリア島をそれまでの同盟都市や植民地都市とは違う属州という概念を取り入れ統治を始めます。自治権のない都市ですね。そのかわり、兵役もありませんでした。

第二次ポエニ戦争以後、中小農民が没落し始めます。原因は第二次ポエニ戦争はそれまでの戦いと違い繁忙期には農地に帰るということができなくなりました。17年間の戦争の末、ローマはなんとか勝ちましたが長年戦場に出ていて故郷に帰ってみると土地は荒れ果ててしまっていました。そこに戦争で得た植民地と奴隷を使った大規模農園からの安い農作物がローマに流入し、このダブルパンチを受けた中小農民は没落し始めるのです。一方、資産のある元老院たちや商人(ローマでは馬を飼えるという意味で騎士階級という)は植民地の農地経営で莫大な富を蓄え、貧富の格差が急速に広がります。その後、ローマは海外での遠征を繰り返しますが、そのたびに中小農民は没落していきました。徴税請負人もローマ市民の多いイタリア半島ではそもそも税がないので、属州が拡大する第二次ポエニ戦争以降人数が次第に増えるということになります。といっても、属州に農地を持っていて納税するのはそもそも元老院たちであり、徴税請負人もその一派ですから、重税を課して金をかき集めるというイメージとはだいぶ異なります。不作の時は、徴税請負人は自らの資産で補填しローマに納税し、豊作の時にその分を返して貰うというようなことをしており、意外に損な役割です。むしろ、副業で行なっていた金貸しの方で儲けていたようです。徴税請負人の評判が落ちるのは、ローマが衰退に向かい臨時税が乱発されるようになってからです。

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