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神聖ローマ帝国について、(初歩的な質問ですみません) 4点質問です。

nvp********さん

2019/4/3011:30:30

神聖ローマ帝国について、(初歩的な質問ですみません)
4点質問です。

①神聖ローマ帝国領土は、すべてハプスブルク家のものだったのでしょうか?
②領内諸国の政治的権限は、各国や都市を掌握している諸侯に全面的に委ねられていたのでしょうか?
③帝国を統括する皇帝の権限はどんなものがあったのでしょうか?
④そもそもなぜ、二国以上を支配する「帝国」にする理由があったのでしょうか?
一国支配の「王国」ではダメだったのでしょうか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

gen********さん

2019/4/3016:18:38

① 違います。
ハプスブルク家領と、帝国領土は同じではありません。ハプスブルク家領は帝国の外にも広がっているし、帝国領土内には直轄領(家領ではない)、都市、他の諸侯の領地がありました。

② 違います。
領邦国家と帝国自由都市、自治都市や都市共和国は、それぞれ別の国家組織です。複数の領地をもつ諸侯もいますが、同様に皇帝直轄地・直轄都市もあります。
1648年の有名なウェストファリア条約以後は、帝国内の諸邦はそれぞれ主権を認められました。よってそれぞれが半独立国であり、権限を委任されているわけではありません。主権を持ちました。

③ 封建制度上の皇帝という立場のため、最初から権限は弱く、教会の保護者という立場を利用して皇帝の権限を強める帝国領国政策をつづけたものの、教皇庁との対立や長期の戦争によって、中央主権制度の確立に失敗し、前述の条約によって帝国は瓦解するので、皇帝に明確な権限はないものの、帝国内の最大領主であり、経済力と軍事力で小邦を従わせることができました。また選帝侯会議や帝国議会の議長であり、特にハプスブルク家台頭後は実質的に議会と皇帝選挙を主導できました。それと封建制度上の長として軍役を受ける立場であり、皇帝は軍を起こして、特に外敵と戦うことができました。前述の条約以後は領邦は必ずしも戦争に従いませんが、帝国騎士など直轄領では軍役の義務があります。

④ カロリング帝国が始めた帝国というスタイルを継承したからです。皇帝は、ドイツ国王(および他の王位も)を兼ねており、帝国はドイツ以外にも拡大したので、王国を名乗るのは適当ではありませんでした。また、神聖なる帝国の名称は最初から決まっていたわけではなく、変遷あって、歴史的にだんだん定着していったものであり、誰かが名乗ったり名付けたりしたわけではありません。

① 違います。...

  • 質問者

    nvp********さん

    2019/4/3016:45:40

    ご回答、ありがとうございます。

    難しいですが、不明点がクリアになってきました。

    帝国内の主従関係や自治は、領地によって様々なんですね。


    複雑ですが、これを機にもう少し理解を深めたいと思います。

    ありがとうございました!

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na_********さん

2019/4/3016:07:31

①いいえ。
ハプスブルク家の世襲領だけです。

②いいえ。
都市によっては、都市そのものが政治的権限をにぎっていました。

③帝国議会の開催権、王号、公爵号の叙任権
時代によっては、徴税権

④質問の意味が理解できません。
初期の神聖ローマ帝国は、東フランク王国、イタリア王国、アルル王国(ブルグンド王国)の3つを併せて神聖ローマ帝国といっていました。

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