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私は元々気管支炎喘息持ちです。

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ID非公開さん

2019/5/1105:07:55

私は元々気管支炎喘息持ちです。

私の職場は病院で働いていて職場の皆様も私が喘息って事を知っています。
以前に肺炎になり、その延長なのか喘息発作がおきて吸入器と内服薬もらって治療中ですが
最近気温の変化だったり気圧の変化で吸入器吸っても一時的にはよくなるんですが、時間経てばまた発作がおきての繰り返しで…
仕事も最近休むことが多くて皆さんに迷惑かけてるんですが、もうこれ以上休むと迷惑かけると思っていても発作がひどいと本当に一睡もできなくて寝れないほどになって
やはりひどい時は休んだ方がいいのでしょうか。
無理してでも社会人だから行くべきなのでしょうか?

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zz9********さん

2019/5/1716:51:43

咳喘息には息苦しさの症状は基本ないです。
もし息苦しさがあるなら咳喘息ではなく気管支喘息などではないでしょうか?

気管支拡張剤を使用して息苦しさが無くなったという事なので、はやり気道閉塞が少なからずあったという事です。
サルタノールは発作薬(短時間作用型)の気管支拡張剤ですから、吸入すれば5分ほどで気道が拡張して息がしやすくなります。
また、喘息系の咳は気道が収縮したり痙攣したりする事で咳が出ますので、気管支拡張剤で気道が広がった事で咳が緩和しました。
しかし、直ぐには良くならないので、少し咳が出ているのでしょう。

また、喘息は慢性的な気道炎症が起こって気道閉塞が生じますので、上記の薬剤に加えて吸入ステロイドが必要です。
吸入ステロイドを使用しないと気道炎症は良くならず、また息苦しくなって咳が止まらなくなったり、呼吸困難の発作が起こったりしますので、早めに予防薬を処方していただくと良いと思います。

http://myclinic-ne.incvin.net/imobile/contents/medicalinfo/gsk/top_...

症状が無くなっても治療は辞めずに、しばらくは続けてください。

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chi********さん

2019/5/1717:37:52

上司に相談して決めればいい。

本当に相手のことを思うなら、相手の意見を聞くことじゃないかな。
もちろん、あなたがもう無理って思うなら休むべきだと思うけど。
悩む余地があるなら相手の意見を聞こう。

gba********さん

2019/5/1220:58:41

ぜんそくでもうがい薬が効きます。イソジンうがい薬を綿棒を使って鼻の中につけてください。5分ぼどすると効いてきます。

sck********さん

2019/5/1106:49:39

気管支喘息を完治させればすむことです。

どだい肺炎に罹患すること自体、健康管理がまったくできないということですね。

ただボケーといきていたら、馬鹿女の堀ちえみになることがわかりませんか?

気管支喘息を完治させる療法としては、栗山療法、ゲルソン療法、石原メソッド、などたくさんありますが、なんといっても最強なのは西式甲田療法です。

西式甲田療法で喘息を完治させた人はたくさんいます。

以下は実話であり、嘘いつわりはまったくありません。

『腎臓病と甲田療法』甲田光雄・創元社・1500円・(158頁~165頁)
●ネフローゼ型腎炎を克服するまで●
N.M 七歳 (小学生大阪府八尾市在住) 母 N.M筆
1 難病にとりつかれた娘の入院生活
長女M子が腎炎をわずらい、今日に至るまでの経過を、思いつくままに書いてみました。
生後三ヵ月頃になった時、首が少し曲って変だなと気づき、2、3ヵ所の病院へ診察を受けに行きましたら、どこでも筋性斜頚だと診断されました。そこで、誕生日頃までずっと毎日マッサージに通いました。しかし幸いなことに熱を出したり、風邪をひいたりということもほとんどなく、順調に育ちました。幼稚園も2年間に1日しか欠席しなかったくらいで、手のかからない丈夫な子どもでした。
ところが小学校1年に入学した年の6月でした。急に「おなかが痛い」と言いだしましたので、近くの小児科医院へ早速つれてゆき、診察を受けたのですが、原因不明で、4、5日経ちました。その頃の主症状は下痢と嘔吐で、お茶のほかは何も受けつけない状態になっておりました。
そこで八尾市立病院へ入院させましたが、自家中毒ということで、5日間ばかり入院した後、小康を得て退院しました。ところが喜んだのもつかの間で、退院した翌朝、美穂は「足首が痛くて歩けないこと訴えるのでした。これに驚いて再び同病院へつれて行きましたところ「血液の病気で紫斑病だ」と言われ、再び入院して治療を受けることになりました。入院後10日くらい経った頃、今度は「腎炎の症状が出てきたから朝の尿を取って下さい」と言われました。
ここまできて、最初の予想が全くはずれてしまったことにがっかりしました。入院当初は、遅くても2ヶ月間もすれば全快して退院できるだろうと、軽く考えていたからです。こうして入院後、4ヶ月、5ヶ月とすぎても同じような状態が続きました。尿蛋白は(+)か(++)の間を上下し、赤血球は多数出ておりました。
そんな時、1人の中学2年生の男の子が隣りのベッドに入院してきました。病名はネフローゼで、発病は小学2年の時ということでした。それ以来ずっと入院、退院をくり返しているとのことでした。この子どもをみて、また一段とM子の将来が心配になってしまいました。
一方また、主人の友だちから、特効薬として現在娘に使われている副腎皮質ホルモン剤が、実は副作用の強い、恐ろしい薬であることを聞き、大変心配になってきました。大病院に入院させ、たくさんの薬をのみ、毎日毎日注射をしているのに、どうして娘の病気はよくならないのだろうかと、思い悩む日々が続きました。
11月の末になると「ネフローゼ型の慢性腎炎で、現在の状態ではいつ治るかわからない。風邪をひかさぬよう注意して下さい」と、医師から頼りない言葉を聞き、それではいちおう退院しようと、自宅へつれもどりました。
その頃、近所の人から、八尾市内で特別な体質改善療法をやっておられる先生があるということを聞いたのです。これが甲田先生であったわけです。大病院も薬も頼りにならないことを身にしみて痛感している時でしたので、退院するなり早速、藁をもつかむ思いで甲田先生の診察を受けました。
2 玄米、自然食と断食の入門
それからは、いままでと全く違った養生法を実行することになりました。まず、朝起きて、すぐスイマグという緩下剤(かんげざい)をキャップー杯(それを180ccの水でうすめて)飲用します。それから1時間余りしてから生野菜(数種類を混合したもの)の絞り汁を180cc飲みます。朝食はごく軽い玄米の粥1杯だけにしておくよう指示されました。
しかも2ヶ月くらい経つと、その粥も廃止して、朝食は青汁だけにするように言われたので、最初の間は大変不安でした。もしこれで栄養失調にでもなったら、それこそ取り返しがつかなくなるのではないかと思ったからです。それというのも、育ち盛りの子どもには、朝食抜きは絶対いけないと学校の先生から注意を受けていたからです。しかし、甲田先生のいかにも自信に満ちたお顔や声に励まされ、思い切って朝食廃止に踏み切りました。
最初の間はいままでの習慣で、お昼前になるとお腹が空くらしく、それを眺める私の気持ちもついくじけそうになりました。それも、3ケ月くらいまでで、頑張っているうちに次第に慣れてしまい、朝ごはんを欲しがらなくなりました。
なお、昼と夕の2回は玄米を圧力釜で炊いたのを食べさせましたが、これは最初からおいしいと言って喜んで食べてくれました。
副食には生野菜、海草、豆類、小魚および白身の魚などを選び、肉類それにお菓子類は一切与えませんでした。
また調味料も保存料、着色料などの入っている市販のものは使わず、自然食品店で求めたものを買ってきました。味噌は田舎の里から送ってもらったのを使いました。
裸療法は二階のベランダヘ出て、寒い冬でも1日3回実行させました。
温冷浴も、冬季で大変かわいそうに思いましたが、母と娘2人がいっしょに水に入り、必死に頑張りました。
こうした苦労の甲斐があったのか、幸いなことに、入院中あれほどよく風邪をひいてそのたびに病状が悪くなっていたのに、寒い冬中、一度も風邪をひくことなく元気にすごすことができました。
こうして1年生も3学期になり、出席日数の足りないまま、なんとか2年生に進級できました。2年生になってから、今度は日曜日を利用して隔週、つまり2ヶ月に約2回の割合で1日断食をさせました。そして夏休みを待って甲田医院へ入院し、2日間の断食を行いました。この断食期間中、娘は朝から晩まで、とにかく眠ってばかりおりました。この断食療法を受けてから、尿中蛋白が目に見えて少なくなり、その効果に驚くとともに、前途に明るい希望が差し込んできました。
そこで10月の秋には、また3日間の断食を行い、続いて12月末から冬休みを利用して、5日間の断食を行いました。
こうして断食をくり返すごとに、娘の病状は一段一段と好転してくるので、断食の効果に大きな確信が持てるようになりました。いままでは、こんなことをしていて果たして本当によくなるのだろうかと、時々ふっと迷い心が出てきたものですが、いまはもう何の不安もなく、毎日毎日が楽しい療養生活に変わってきました。
翌年三月にはまた入院して、今度は八日間という断食をしました。最初、先生から六日間断食の予定を組んでもらったのですが、娘が「これで元気になるなら、もう二日間延ばしてもよい」と言い出し、結局8日間頑張ったわけです。この断食が終ってから、尿蛋白はほとんど(-)となり、赤血球も(-)になってしまいました。そして無事3年生に進級できたのです。
これまでの通学は、毎日母親の私が自転車の後部荷台に娘を乗せて出かけるのでした。腎臓病は足首を大事にしなければならないという、先生の治療方針に忠実に従ったのです。放課後はまた迎えのために自転車で走りましたが、よく続いたものだと思います。しかし3年生になり、尿蛋白が全く陰性となり赤血球も出なくなったので、やっとみんなといっしょに登下校ができるようになりました。
現在、3年生の2学期も終ろうとしております。この秋は遠足で橿原神宮にも行きましたし、運動会でダンスにも出ましたが、病状が悪化する様子は少しも認められません。今日も学校から帰って、すぐ前の広場で他の子どもだちといっしょにボール投げを楽しんでおります。その元気な姿を見ていると、あの陰うつな入院生活が夢のように思い出されるのです。
つい5日前、以前入院していた病院で精密検査を受けましたが、どこも異常がないということです。
その時、たまたま娘の主治医であった先生にお会いしたのですが、娘の元気な姿にびっくりしておられました。
3 健康法実践の所感
これもこの健康法を実践してきたお蔭であると、しみじみ感謝している昨今です。
最初あれほどつらかった温冷浴や裸療法も、慣れてしまえば本当に快適なもので、最近は自分で砂時計を持って、さっさと水風呂に入ってゆきます。
また裸療法の最中に、盛んに金魚運動や毛管運動を行うのですが、活気にあふれた運動の仕方を見ておりますと、本当に元気になってくれたなあと、頼もしくさえ思います。以前は青白くて、ぶくぶくした腎炎特有の顔つきをしておりましたが、いつの間にか、小さく引きしまった顔になり、桜色でつやがあり、その上、唇も真赤になってきました。真冬の寒の日に、薄着で寒かろうと思い「パンタロンをはいたらどう?」といくら言っても、短かいスカートをはいて、平気で外へ飛びだしてゆきます。なんと元気になったものでしょう。
現代栄養学とは全く反対のような、質素な玄米、自然食の力がこんなに偉大な効果をもたらすということを、わが子の姿の変わりようで、まざまざと見せつけられたという感じです。
しかし、ここまでくるのにいろいろな苦労が伴いました。まず主人の祖母が玄米自然食を実行することに対して、猛烈に反対されたのです。

ーー中略ーー

こうした体験から、どんな食物を食べたら健康になれるかが、よくわかるようになりました。
この貴重な体験は、これから先の長い一生にとって、きっとプラスになることと信じます。
(昭和48年12月15目 記)

気管支喘息を完治させればすむことです。...

was********さん

2019/5/1105:25:44

症状として辛いのは別として、眠れなかったのことを心配されていると読みとっての回答です。
わたしは鬱と診断され不眠気味ですが、仕事には行っています。眠気はありますが、1晩くらいならなんとかなるので、わたしは。
でも自分で仕事にならないと判断したなら、そう伝えてお休みしてもいいのではないでしょうか?
お大事にしてください。

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