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比叡山、延暦寺をなぜ織田信長は焼き討ちしたのか? 宗教が政治に介入したからで...

右翼ではないさん

2019/5/1510:34:37

比叡山、延暦寺をなぜ織田信長は焼き討ちしたのか?
宗教が政治に介入したからでしょうか?
昔から、政教分離だな。

右翼ではない

補足高野山の金剛峰寺は?
創価

右翼ではない

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ベストアンサーに選ばれた回答

fbb********さん

2019/5/1512:33:33

金子常規氏著、兵器と戦術の日本史、
中公文庫。古い名著だが武田信玄の
上洛の最大の軍事拠点や基地となる
叡山を潰しておく必要があった。
旧陸軍砲兵の生き残りの証言。
最新の情報ではないが参考になる。

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質問した人からのコメント

2019/5/15 20:00:53

狩猟民族の知恵ですね。
有難うございました。

右翼ではない

ベストアンサー以外の回答

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bir********さん

2019/5/1512:37:24

織田信長が坊主マルもうけ、は
ケシカランと怒ったから。

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goo********さん

編集あり2019/5/1512:27:27

延暦寺に立てこもり、酒、女遊び、略奪、殺生等の仏の道に反する行動を行い、将軍家に仇をなす朝倉家とも繋がってたので、
仏道に反する行為を止め、中立な立場をと取らせるように、足利義昭から要請を受けた織田信長が、
比叡山延暦寺に向かったが交渉決裂。
何度か交渉するも言うことを聞かないので、決裂の時は火を放てと将軍から命令されていたので火を放った。
交渉してるときも何度も中立にならないので有れば焼き討ちにすると警告をしていた。

火を放つ際も、比叡山延暦寺の僧兵や周辺住民に、今から比叡山に火を放つから非難して下さいと要請もしているらしい。

実際の所焼き討ち焼き討ち焼き討ちと言っているが、ボヤ騒ぎ程度で出荷はおさまったらしい。

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2019/5/1511:52:18

>宗教が政治に介入したからでしょうか?

もちろん、それがあったからですけど、でも、それ自体は、昔は普通の事でした。
どこの国でも。そして、今でも。

カトリックの総本山、ローマ法王庁なんて、「バチカン」という一つの国の中枢だったり。
チベット仏教なんて、チベットという国の存在の証しそのものというか。
日本でも、奈良時代、弓削の銅鏡が皇位簒奪を企てた事件がありましたし、信長が焼き討ちした比叡山の僧兵たちというのは、平安時代、白河法皇をして「朕が心に従わざる者、賀茂川の水、双六の賽、山法師」と嘆かせたその“山法師”の事です。

上記、悪い印象の事ばかり書きましたけど、そもそも、比叡山延暦寺というのは、国家鎮護の寺院です。
奈良の東大寺だって、聖武天皇が、国家の鎮護のために建てたものです。
仏教は、天皇が、神道に代わる国家建設の精神的象徴として、聖徳太子の時代に中国から導入したものなのです。
聖徳太子の定めた十七条の憲法にも、2条で「篤く三宝(仏教)を敬うべし」と謳っています。

「政治」の「政」の字は、それ一字で「まつりごと」と読みます。
「政治」とは、昔は、宗教と不分離だったのです。

それだけではありません。
信長の時代、仏教寺院や神社神宮は、多くの土地を領有する「領主」だったのです。
その下には、多くの領民がおり、領民を治めるための役人がおり、領土を護るための軍事力を持っていました。
寺社仏閣は、現実世界における「政治勢力」だったのです。

信長が比叡山延暦寺を焼き討ちしたのは、「政教分離」などという名目のためではありません。
延暦寺が、当時、信長と対立していた朝倉氏、浅井氏と同盟して、信長と敵対していたためです。
信長は、朝倉、浅井、さらに彼らと同盟して信長と対立する武田信玄、室町幕府将軍足利義昭の敵対勢力を打破するために、まず、その連携の一角を担う延暦寺を焼き討ちにしたのです。
つまり、比叡山焼き討ちは、信長が進める「天下布武」を実現するための軍事行動に他なりません。

ただし、古代の政治は「政教一致」が基本でしたが、近代政治は「政教分離」が基本です。
それは、何も、誰かがある時「政教分離」を唱え、それが広く賛同されたから、という訳ではないのです。
文明が発展し、生産技術が向上し、社会制度が進化する中で、「宗教」が「政治」にとって「やっかいもの」になって来たから、おのずとその様になって来たのです。「政教分離」は、いうなれば、後づけの理屈です。
信長の比叡山焼き討ちも、その様な、日本の文明、日本の政治の進化発展の一過程と捉える事ができます。
地上の政治勢力が、精神世界の権威者である宗教集団を、軍事的に攻撃し、殲滅し、屈服させるというエポックメイキングな状況が、16世紀の日本では起こります。
その代表的事例が、信長による比叡山焼き討ちである、とは言えるでしょう。

今日、私たち多くの日本人は、「政教分離」を「当り前」と考えていますけれども、世界を見回せば、これが決して「当り前」でない事に気づくでしょう。
アメリカのトランプ大統領だって、復古的なキリスト教福音派を主要な支持基盤としています。世界では、政教分離は決して当り前ではありません。
比叡山焼き討ちは、織田信長が、私たち日本人に「政教分離」を「当り前」と感じる様に残してくれた最大の歴史遺産だと、私は考えます。

ケガの功名38

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ham********さん

2019/5/1511:46:20

基本的には、比叡山が浅井朝倉を匿い、信長に敵対したことが大きな理由であろう。
この時期の信長は、浅井朝倉連合軍、六角氏、三好三人衆、さらに本願寺など第一次信長包囲網といった状況で、自領である尾張美濃と京都の間にある比叡山に敵方が陣取るという状況は好ましくない。敵対勢力に比叡山が加担するのは許せない事である。
しかしながら、従来言われているような虐殺や比叡山全山を灰にしたというのは、かなりの誇張である事が発掘調査により明らかにされている。

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wkp********さん

2019/5/1511:07:32

一番の原因は、
浅井、朝倉軍に味方し
援軍を出したりして、支援していたためです。

一向衆徒徒の戦いを見て、
寺院としては、信長に協力することができなかったからです。
ということで、延暦寺の衆徒の殲滅を行いました。

その跡地に、坂本に城を作り、織田家臣団
初の城持ち大名になったのが、
明智光秀であります。

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