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教室で勉強しており、 教室で勉強していて、 しておりとしていて、どのように使い分けますか?(日本語学習者です)

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「教室で勉強しており、」「教室で勉強していて、」 使い分けのルールはありません。使い手の好みの問題です。 日本語学習者のかたなら、「教室で勉強していて、」のほうがよいのでは。 「おり、」を使うと、よく言えば格調高くなり、悪く言うと年寄りくさくなります。 「おる」は元々は謙譲語ですが、連用中止形の「〜しており」は謙譲のニュアンスを失っています。 信頼できる書籍にそうハッキリ書いてあります。何より、新聞や雑誌で「〜しており」がよく使われています。 そのテの媒体が、読者に謙譲する意図があるとは思えません。 詳しくは下記をご参照ください。 【中止形の「おり、」「おらず、」】 https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12453418767.html 以下は一部の抜粋(重言)。 当方の結論は珍しくハッキリしている。新聞や雑誌などで使われる「おり、」「おらず、」は謙譲語ではない。 たとえば 「当店は江戸時代に創業しており、長い歴史を持っております」 といったパンフレットの挨拶文なら、文末が謙譲語の「おります」だから、文中の「おり、」も謙譲語と考えるべきだろう。 これが下記だとどうだろう。 「当店は江戸時代に創業しており、長い歴史を持っています」 「この店は江戸時代に創業しており、長い歴史を持っています」 これはわかりにくい。当方はこの「おり、」はニュートラルな用法だと思うが、謙譲語なのかもしれない。 前者はなんとも言えない。通常は、「おり、」を謙譲語として使っているなら、文末も「おります」にするべきだが、素人が書いた文なら、こういう不一致はいくらでもある。後者に関しては、仮にこんな原稿を書くライターがいたら、二度と発注しない。「間違い」ではないだろうが、稚拙すぎる。もっとマシな書き方がいくらでもあるはず。いえその、そういう話でははなく……。 「この店は江戸時代に創業しており、長い歴史を持っている」 一般の出版物で見る例はこういう感じ。こうなると、「おり、」を謙譲語と考えるのは相当むずかしい。 根拠は以下のとおり。 ■信頼できる専門家の著書の中に「ニュートラルな用法」と明記されている 【2】からひく。 ===========引用開始 (5)[ニュートラルな用法] (a) 話手が一部の方言の話手である場合、ごく普通の表現として「おる」を使うのだが、ほかの人が訊くと、それに違和感を感じたり、方言的にあるいは古風に聞こえるという場合がある。 (b) 標準語の話手の場合でも、書き言葉で「(……て)いる」という内容をいわゆる連用中止法(「書いて」のかわりに「書き、」とする方法)で述べたいときには、「(……て)い、」とは言いにくいので「(……て)おり、」と言い換えることがあるが、これも、謙譲・丁重などの趣はとくに含まないニュートラルな使い方だと見られる。また、「(……て)いず、」もそれほど熟さないので、同様に「(……て)おらず、」をニュートラルに使う人もいる。 ……六教科から出題することになっており、……〈朝日新聞 一九九三年三月一六日一面〉 ……昨年は二一・一%しかおらず、……〈産経新聞 一九九二年九月七日一面〉(P.321~322) この連用中止形(でいいのか?)の問題も長年ひっかかっていた。よく見聞するのはちょっと違うと思う。「書いていて(、)」を「書いており、」とする人がけっこういる。当方がこのことに気づいたのは社会人になって3年目くらいだから、もう10年以上前(一片の噓もない←もういいって)の話だ。 当時の当方が覚えた異和感の理由は、たぶん「古くささ」。手元の本を調べまくった記憶がある。 「書いており、」を使わない人は「書いていて(、)」か「書いているので(、)」を使っていた。後者はニュアンスがかわるので望ましくないのかもしれないが、そこまで厳密に考える人なら別の書き方をすればいい。 たとえば、↑の朝日新聞の例なら、「なっており、」ではなく「なっていて(、)」か「なっているので(、)」にすればいい。 産経新聞の例なら、「しかおらず、」ではなく「しかいないので、」にすればいい。とにかく「おり、」「おらず、」はジジムサいので自分では使わない。 ちなみに、(a)の文は「片たり」になっている。ほかはかなり用心深く回避している様子だが、ここは……。こういう上級者でも、一文が長くなるとこういうことになりがち。 ===========引用終了 ■朝日新聞の例 https://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.pl?Keywords=%E3%81%8A%E3%82%8A&Searchsubmit2=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&Searchsubmit=%E6%A4%9C%E7%B4%A2&iref=comtop_gmenu_search 個人的には「おり、」は使わないことにしている。「いて、」だってあまり使わないようにしている。文章が冗長になりやすいから。例外的に多用しているのは新聞。 ざっと読んだ感じ、ほとんどが〈謙譲語と考えるのは相当むずかしい〉例に見える。そりゃそうだろう。建前上は中立(尊大とも言う)の新聞が、なんの目的で誰に対して謙譲語を使ってるのか想定できない。 ■毎日新聞の例 https://mainichi.jp/articles/20190331/k00/00m/040/012000c (略) この短い文章の中に「おり、」が何度か出てくる。 〈任意で事情を聴いており、〉 〈黒いコートを着た男が映っており、〉 〈同じ杉並区内の乳児院で働いており、〉 〈事件前日と当日は休んでおり、〉 あまりにもヒドいんでチェックした。「間違い」ではないのだろうが、おすすめはできない。〈二度と発注しない〉レベルのライターだろう。

どちらも、「連用中止の形」です。 (動詞の連用形で、読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法) ..・情勢は緊迫し“ており”、予断を許さない、 このような改まった文の中で用いられる「~ており」は、自分を低めた表現ではありませんが、連用中止の「緊迫してい、」は言いにくいけれども、「緊迫していて、」よりも改まった雰囲気を出したい、というわけで、やむなく採用されたものです。 「おる」の本来の用法、すなわち謙譲語であることを意識する人の中には、「~ており、」の使用を好まない人もいるくらいです。 「おる」は「いる」の謙譲語です。 厳密に言えば、軽い謙譲および軽い丁重を表します。「~ておる」も同様です。 ただし、ご質問の場合は【謙譲語以外の特殊な用法】(下記③)です。 【ご参考】 「おる」は「いる」の謙譲語です。 厳密に言えば、軽い謙譲および軽い丁重を表します。「~ておる」も同様です。 ◇軽い謙譲 ..・母がそのように申して“おりました” ..・叔父が九州に住んで“おります” ◇軽い丁重 ..・昨夜から雨が降り続いて“おります” ..・中学生がグラウンドで野球に興じて“おります” ..・遅れて“おりました”電車は、お隣の駅を出発して“おります” ●謙譲語以外の用法 「~ておる」には特殊な用法もあります。 ①卑罵(ひば)語・・・そんな所で何をし“ておる”のだ ②尊大語・・・・・・元気でやっとる(やっ“ておる”)か ..これらは、謙譲の精神とは似ても似つかぬ表現ですが、あくまでもぞんざいな話し言葉、ないしは方言です。謙譲語、卑罵語、尊大語の「~ておる」から尊敬語を作ることはできないのです。 ③連用中止の形 (動詞の連用形で、読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法) ..・情勢は緊迫し“ており”、予断を許さない、 このような改まった文の中で用いられる「~ており」は、自分を低めた表現ではありませんが、連用中止の「緊迫してい、」は言いにくいけれども、「緊迫していて、」よりも改まった雰囲気を出したい、というわけで、やむなく採用されたものです。 「おる」の本来の用法、すなわち謙譲語であることを意識する人の中には、「~ており、」の使用を好まない人もいるくらいです。 ④主語がモノ・コトで、敬意ゼロで文を作成するのに重宝されています。 主語が、取り立てて高める必要のない、もの・こと・動物など、人物の場合は、敬意を払わなくてもよい存在の場合、「ておる」が使われています。 軽い丁重語、すなわち謙譲語としての「おる」の働きが「ており」にも生きているということです。 ..・タクシーが待っ“ており”、 ..・大勢のファンが待っ“ており”、 ..・交渉は未だ合意に至っ“ておらず” 「~ておらず、」は、「~ていず、」の代わりに用いられているわけですが、この場合も、主語は特に高める必要のないものに限られます。 しかし、 ..・お連れ様が待っ“ており”、 とは言えません。「待つ」に「れる・られる」をつけた ..・お連れ様がお待になっ“ており”、 も不適切です。 尊敬語「お待ちになる」に、軽い丁重語の「おる」をつけてしまっては、敬語の不統一になり、これは誤用です。 そこで「~ておられる」が登場したものと考えられます。 「おられる」を「おる」の尊敬語と見なして、 ..・お連れ様が待っ“ておられ”、 とすれば、ひとまず敬語の不統一には陥らずにすむと考えているわけですが、謙譲語の「おる」に「れる・られる」をつけても尊敬語にはなりえません。 「待つ」の尊敬語「お待ちになる」「待たれる」を加えた ..「お待ちになっ“ておられ”、」 ..「待たれ“ておられ”、」 などを耳にすることもありますが、これも敬語の不統一です。 話し言葉では、 ..・朝から何も食べてなくて、 でいいが、書き言葉であれば ..・朝から何も食べ“ておらず”、 ..・子供たちは朝から何も食べ“ておらず”、 ..・犬は餌を食べ“ておらず”、 になりますが、主語は、自分や自分より低い、少なくとも高くはない存在です。それに対して、 ..・ご列席の方々は何も食べ“ておらず”、 と言えないのは、「ており」で見たとおりです。 ..・ご列席の方々は何も召し上がっ“ておらず”、 と前の部分を尊敬語にしてみても同じことで、正しい使い方ではありません。

教室で勉強してい、 連用形中止だと こうなるが、発音しにくいので、 勉強しており、と おる と言う動詞を使う。