どちらも、「連用中止の形」です。
(動詞の連用形で、読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法)
..・情勢は緊迫し“ており”、予断を許さない、
このような改まった文の中で用いられる「~ており」は、自分を低めた表現ではありませんが、連用中止の「緊迫してい、」は言いにくいけれども、「緊迫していて、」よりも改まった雰囲気を出したい、というわけで、やむなく採用されたものです。
「おる」の本来の用法、すなわち謙譲語であることを意識する人の中には、「~ており、」の使用を好まない人もいるくらいです。
「おる」は「いる」の謙譲語です。
厳密に言えば、軽い謙譲および軽い丁重を表します。「~ておる」も同様です。
ただし、ご質問の場合は【謙譲語以外の特殊な用法】(下記③)です。
【ご参考】
「おる」は「いる」の謙譲語です。
厳密に言えば、軽い謙譲および軽い丁重を表します。「~ておる」も同様です。
◇軽い謙譲
..・母がそのように申して“おりました”
..・叔父が九州に住んで“おります”
◇軽い丁重
..・昨夜から雨が降り続いて“おります”
..・中学生がグラウンドで野球に興じて“おります”
..・遅れて“おりました”電車は、お隣の駅を出発して“おります”
●謙譲語以外の用法
「~ておる」には特殊な用法もあります。
①卑罵(ひば)語・・・そんな所で何をし“ておる”のだ
②尊大語・・・・・・元気でやっとる(やっ“ておる”)か
..これらは、謙譲の精神とは似ても似つかぬ表現ですが、あくまでもぞんざいな話し言葉、ないしは方言です。謙譲語、卑罵語、尊大語の「~ておる」から尊敬語を作ることはできないのです。
③連用中止の形
(動詞の連用形で、読点をつけるなどして文を途中で一旦中止し、さらに次の文節に続けていく用法)
..・情勢は緊迫し“ており”、予断を許さない、
このような改まった文の中で用いられる「~ており」は、自分を低めた表現ではありませんが、連用中止の「緊迫してい、」は言いにくいけれども、「緊迫していて、」よりも改まった雰囲気を出したい、というわけで、やむなく採用されたものです。
「おる」の本来の用法、すなわち謙譲語であることを意識する人の中には、「~ており、」の使用を好まない人もいるくらいです。
④主語がモノ・コトで、敬意ゼロで文を作成するのに重宝されています。
主語が、取り立てて高める必要のない、もの・こと・動物など、人物の場合は、敬意を払わなくてもよい存在の場合、「ておる」が使われています。
軽い丁重語、すなわち謙譲語としての「おる」の働きが「ており」にも生きているということです。
..・タクシーが待っ“ており”、
..・大勢のファンが待っ“ており”、
..・交渉は未だ合意に至っ“ておらず”
「~ておらず、」は、「~ていず、」の代わりに用いられているわけですが、この場合も、主語は特に高める必要のないものに限られます。
しかし、
..・お連れ様が待っ“ており”、
とは言えません。「待つ」に「れる・られる」をつけた
..・お連れ様がお待になっ“ており”、
も不適切です。
尊敬語「お待ちになる」に、軽い丁重語の「おる」をつけてしまっては、敬語の不統一になり、これは誤用です。
そこで「~ておられる」が登場したものと考えられます。
「おられる」を「おる」の尊敬語と見なして、
..・お連れ様が待っ“ておられ”、
とすれば、ひとまず敬語の不統一には陥らずにすむと考えているわけですが、謙譲語の「おる」に「れる・られる」をつけても尊敬語にはなりえません。
「待つ」の尊敬語「お待ちになる」「待たれる」を加えた
..「お待ちになっ“ておられ”、」
..「待たれ“ておられ”、」
などを耳にすることもありますが、これも敬語の不統一です。
話し言葉では、
..・朝から何も食べてなくて、
でいいが、書き言葉であれば
..・朝から何も食べ“ておらず”、
..・子供たちは朝から何も食べ“ておらず”、
..・犬は餌を食べ“ておらず”、
になりますが、主語は、自分や自分より低い、少なくとも高くはない存在です。それに対して、
..・ご列席の方々は何も食べ“ておらず”、
と言えないのは、「ており」で見たとおりです。
..・ご列席の方々は何も召し上がっ“ておらず”、
と前の部分を尊敬語にしてみても同じことで、正しい使い方ではありません。