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三国志演義で、諸葛亮が、周瑜に南郡を攻めさせて、隙を見て横取りしたのは、あま...

fin********さん

2019/6/1700:31:12

三国志演義で、諸葛亮が、周瑜に南郡を攻めさせて、隙を見て横取りしたのは、あまりにも信義に欠ける行為ではないでしょうか?

劉備はそれまで散々、信義に反することを嫌っていたのに、なぜその時だけ横取りを許したのでしょうか?

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vit********さん

2019/6/1800:24:31

は?
三国志演義をちゃんと読んでいますか?

>諸葛亮が、周瑜に南郡を攻めさせて
違います。周瑜が自ら南郡を攻めています。諸葛亮は関係ありません。

>隙を見て横取りした
違います。周瑜が南郡攻略に手間取ることあれば劉備軍が攻めて良いと魯粛・諸葛亮・劉備の前で周瑜が自ら宣言しました。

>あまりにも信義に欠ける行為
違います。そもそも荊州は劉表の子劉琦が統治すべきもので孫権のものではありません。劉琦が生きている以上、劉琦が南郡の支配者であり、それを助ける劉備に信義があるのです。

つーか、これ全部演義に書いてるだろうw何を読んでるのかw

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sna********さん

2019/6/1708:26:55

演義だと劉表が劉備に荊州を譲ろうとしていた様に記憶しています、劉表の長子劉琦も劉備と行動を共にしてますから、荊州の所有権は劉備側にあるとの前提の上での行動では無いでしょうか

後、演義も大半は正史を元にしています、史実では周瑜が南郡攻略してる間に劉備が荊南四郡を攻略したのち、劉備が孫権に荊州の都督を願い出て、孫権は荊州を貸すと言う形となり、後に荊州の返還を巡って対立しています、史実においても赤壁後の劉備は孫呉を出し抜き続けていると言えるので、その辺の影響もあるでしょう

パグ13さん

2019/6/1703:44:06

うーむ、予想ですが、三国志演義の中で、周瑜も同盟者である劉備や諸葛亮を赤壁の戦い最中であっても殺そうと独断で企んだ、同盟者に対する信義のないたくらみをしています。

さらに、あの周瑜の手柄の横取りのようなシーンは、物語の中では孔明と周瑜の戦いであり、知恵比べの中で孔明が勝った、という展開にしたのでしょう。

さらに劉備が同盟者を得るのは初めてだと思いますが、現実は「同盟とは直接大きなケンカをしない」ぐらいであって、後に蜀と呉は同盟を組みなおしても、蜀の南蛮の反乱は呉が仕組んだという説もみたことがあるので、悲しいことに同盟が破れないギリギリ程度に相手の足を引っ張る行為をすることは当たり前のことだと思います。

横山光輝三国志でも、赤壁の戦い以降、人徳の劉備が荊州南部の敵武将刑道栄(架空の武将のようですが)に対し、いきなり「斬れ!!」と命令している笑えるコマがありましたが、あのあたりになると、横山三国志も目的や権力のため、またはこれ以降の同族の蜀攻略や、劉備の義兄弟や曹操、さらには劉備自身も死んでいく悲しい展開のために、現実性を深めていくストーリーになった、というのは深読みでしょうか。

長い文章ですみません。

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