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三国時代では、北方から敵が攻めてくることはなかったのですか?

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ID非公開さん

2019/6/3023:57:12

三国時代では、北方から敵が攻めてくることはなかったのですか?

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ベストアンサーに選ばれた回答

kou********さん

2019/7/218:34:10

先のご回答に補足ということで。


檀石槐の死後、しばらく弱体化した鮮卑ですが、軻比能の時代に盛り返します。
ちょうど、後漢末~三国時代の頃です。

軻比能は後漢(事実上は曹操)や魏と付かず離れずで、時に服従し、時に離反し、戦ったり従ってりしています。

曹丕の時代、田豫や牽招の計略で分裂した鮮卑・烏桓でしたが、結果的には軻比能が諸勢力を糾合してしまい、強大になっていきます。それでも檀石槐の時代には敵わなかった、とありますが。

軻比能はどうも魏の支配から抜け出そうとしたようで、曹叡時代には蜀と連携しようとしたり、いろいろ画策し、魏と戦いますが、大敗。
一度は糾合した勢力も魏に服従するようになり、最後は魏から送られた刺客に殺されました。235年ですから、諸葛亮が死んだ次の年です。

またしばらく大人しくなりますが、三国時代の最後の方、樹機能という人が登場して、また騒がしくなります。
秦州刺史の胡烈(鍾会のクーデター計画をぶっ壊した人)や涼州刺史の牽弘(牽招の子)らを殺したり、なかなかやってます。
三国時代最後の猛将ともいうべき文鴦の討伐を受け、最後は馬隆という人の奇想天外な作戦に大敗、最後は別部族の人に殺されます。279年、呉滅亡の前年です。

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